第96話:閑話4:アイラ
今日は少しだけ寒いわね。
今年で七歳になるアイラはそう思いながら暗闇に漂っていた己の意識を浮上させ、右手側にある手すりに右手を付き、身体を起き上がらせた。瞳は閉じたまま可愛らしい顔で部屋を見渡す。
部屋はあまり大きくない。一教室分だろうか。彼女の身分やらを考えれば狭い方だ。また、部屋にある調度品は少なく、大抵は壁に沿って置いてある。とはいってもその壁も大抵は手すりなどがついていたりするが。
そんな自室を見渡したアイラは、手すりにつり下がっていた風鈴みたいなガラスの鈴を撫でる。
すると、数秒もしない内に茶髪のメイドが静かに扉を開けて入ってきた。お腹の下らへんに両手を添え、茶色の瞳を伏せている。
「おはようございます、アイラ様」
「おはよう、リーナ」
そしてリーナは妖精の如く微笑んだアイラへと近づき、着ているパジャマを脱がしながら、何処からか取り出したドレスにも似た黒のワンピースと子供用のコルセット、身体を冷やさないための下着や羽織りを手際よく着せていく。
アイラは少しだけくすぐったそうに顔を捩りながらも、頬は少しだけ緩んでいて閉じている瞳も若干嬉しそうだった。
「アイラ様、失礼します」
「ん」
アイラに服を着させ終わったリーナは丁寧にアイラを抱え、ベッドの脇に置いてあった木製の車いすに座らせる。それからこれまた何処からか取り出したブランケットをアイラの膝に掛ける。
アイラは膝にかかったブランケットを可愛らし右手で掴み、その布ざわりを楽しむ。リーナはそれを見ながら、ブツブツと呟き、天井に掛かっているシャンデリアや壁にある燭台に火を付けていく。
「リーナ。昨日私にやらせてって言わなかった?」
「あ、すみません、つい、いつもの癖で。明日はアイラ様にお願いしますね」
瞳を閉じているがそれに気が付いたアイラは、自分の後にいるリーナにふてくされたように頬を膨らまして口を尖らせる。
リーナはそんなアイラを微笑ましくみて、月光と見間違うほどに煌く銀髪を撫でる。それだけでアイラは嬉しそうに閉じている目を細め、頬を綻ばせる。
「ええ、約束よ」
「はい、約束です」
フフっと可愛らしい笑顔を交換した後、リーナはアイラが乗った車いすを押してドレッサーの前へ移動させる。
アイラは常に座っている。右足がなく、左手もないから立つことも歩くことも難しい。だからいつも車いすに座っている。
それ故に服はベッドに座った状態で着させた方がいい。それが一番似合うように選べばいい。
まぁ、なにが言いたいかといえばおしゃれは重要だ。
「アイラ様、今日は寒いですね」
「ええ。いくらお父様が用意してくれた暖炉の魔道具があっても今日は寒いわ。雪とやらが降っているのかしら」
アイラは雪を見たことはない。アイラが生まれてからこの都に雪が降ったことはなかった。だからか、アイラは雪がどういうもの知りたくて少しだけ好奇心が含んだ声でリーナに訊ねる。
今年で七歳になる幼女とは思えないほど落ち着いた口調ではあるが、ここら辺は子供だとリーナは思いながら、アイラの艶めく銀髪を櫛で整えながら首を振る。
「今日は降っていませんね」
「そうなの」
「ええ。ですが、王宮天占師によれば今年の春近くに雪が降るかもしれないと言っておりましたよ」
「そうなの!」
天占師とは天候を占う力を持った職業持ちのことである。王宮に雇われているので大抵は天職持ちなのだが、今回占った天占師は天職ではなく後から選んだ適職であることをリーナはつらつらと話す。
アイラはそれを聞きながら雪がどんなものであるか想像した。リーナやお父様から聞いた話では冷たく白く溶ける氷と言っていたが、あまり分からない。
冷たい感じは分かる。溶けるというのも、冷たい個体が液体に変わるものだと去年の冬にリーナに黙ってこっそりやったから知っている。まぁ、その後右手が氷の冷たさによって凍傷になって凄く怒られたが。
しかし、白とはどんな色だろう。私の知っている色と同じなのかなっと首を傾げる。リーナはアイラのそんな心の動きを悟っていて、けれどそれに突っ込むでもなく静かに雑談を続ける。
「そういえばアイラ様。アイラ様がお好きなバック・グラウスの最新作が手に入りましたよ」
アイラは女の子であるが、貴族の令嬢たちに人気な恋愛小説よりも男性が好きな冒険物語が好きだ。ただ、恋愛小説が嫌いなわけではない。大好きである。
ただ、まだ幼い故に少女の細やかで儚い恋というものがあまり分かっていないので、単純な恋愛物語や騎士物語といった王道が好きである。
バック・グラウスの小説は魔物や世界各地の自然を直感的に理解しやすい表現で書いており、また恋愛物語も分かりやすく入っている。添えてあると言っていい。
「本当! 今日、今日読んで!」
「ええ、分かっています」
だから、今まで一度も敷地内から出たことのないアイラにとっては垂涎ものの小説なのである。見知らぬ世界を見知らぬ視覚を直感的に捉えられる。
他の小説は目の情報が多くて悩むことがあるが、バック・グラウスの小説は悩みにくくて、更に知らない外や恋愛物語が楽しめる。
アイラは興奮した様子で伏せていた顔を上げる。
リーナはそんな可愛らしいアイラの様子を母のように温かく見守りながら、アイラが急に顔を上げたせいで少し乱れた髪を櫛で丁寧に整えていく。
それからドレッサーの鏡を見ながら少しだけ銀髪を整えた後、ドレッサーに置いてあった青の小瓶に入っていた液体を数滴掌に垂らし、それをアイラの美しい髪に馴染ませていく。
整えた髪を固めるように、最終調整する様に馴染ませた後、ドレッサーの上に置いてあった黒のバレッタを銀髪の後に付ける。最後のピースのように美しくアイラの銀髪に嵌った。
「アイラ様、ペンダントはどう致しますか?」
「……いらないわ。けど、そうね。右から二番目のブレスレットをお願い」
アイラは目が見えない。だから、アイラは見た目の可愛らしさや自身の容姿にあった装飾品を身に付けようとは思わない。
だけどアイラは魔力が視える。魔力の輪郭が視えて、魔力の色が視えている。
あらゆる物には魔力が宿っていて、大抵はその物の輪郭と魔力が作り出す輪郭は一緒だ。含まれている魔力によって輪郭がぼやけたりはっきりしていたりと若干の違いはあるが。
そしてアイラはその物に宿っている魔力の色で身に付ける装飾品を決める。今日の自分の気分と照らし合わせながら装飾品を決める。
「わかりました」
例えば、アイラが言った右から二番目のブレスレット。アイラにとってはその右にあるブレスレットも、また左に並んでいるブレスレットも違うものに視えている。色が違うから。
けれどリーナから視れば、そこに並んでいるブレスレットは全て細い黒の鎖のブレスレットにしか見えない。実際、同じブレスレットなのである。
まぁしかしリーナがそれを気にする事などない。慣れているのもあるし、これを同じものだとアイラに言えばアイラを傷つけるだけである。
というかそもそも、普通に光として色を捉える常人だって気分によって同じ装飾品なのに違うと言い張る人もいる。同じようなものだ。他人は自分と全くもって同じ世界を見ていないのだ。
当たり前のことだ。気にする事でもない。
だから、今日も今日とていつも通りの朝の支度が終わり、リーナはアイラの右腕にブレスレットを付けた後、車いすを押して部屋を出た。
安らぎの朝食の時間が始まる。
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