第86話:木を隠すなら森の中:this winter

 よし、まだ俺達がしようとしている事には気が付いていない。


「そうだよ、母さん。絵本っていうんだ。セオが教えてくれたんだよ」

「あら、そうなの。……それにしても……」


 ライン兄さんが無邪気に頷き、アテナ母さんはペラペラと絵本を捲りながら読んでいく。ロイス父さんも気になったのか、席を立ち、アテナ母さんの後から顔を出し、一緒に読んでいく。


 アランとユナは面倒事だと感じ取ったのかどうかは分からないが、俺達の会話には関わろうとはせず、自分たちだけで話を盛り上げていた。


 こっちを見る事すらしない。


「これって確か『旅の蜥蜴』だよね」


 絵本を最後まで読み終わったロイス父さんが、思い出すように目を動かしながら問うてきた。


 まぁ、『旅の蜥蜴』は大人も読むが、基本的貴族の児童向けに作られた本だからな。うろ覚えなんだろう。


 というか、ロイス父さんって貴族の子供ではないし、読んだこともないかもしれない。……いや、流石に家にあったていう事はロイス父さんたちが買ったっていう事だし読んだことはあるか。


「そうだよ」

「あれを簡略化して全てに絵を入れたのかしら。けど、絵は……いや、違うわね」

「うん、絵も短い文も捲る動作全てで『旅の蜥蜴』を作ったんだ」


 いや、凄いよな。


 元々は一応小説だ。小説を絵本に落とし込むって結構大変な作業だ。


 セリフや文の取捨選択。その場面の背景だけでなく、登場人物の内面的な心情などを上手く表現する絵。そして、各場面場面が繋がりやすくするように、絵を配置し、捲る事によってそれらが繋がる様にする。


 何度も言うが、凄い事なんだよな。


 アテナ母さんやロイス父さんは、そんな凄い事を為したライン兄さんを嬉しそうに見て、また、艶やかな緑がかった白髪を撫でる。


 ライン兄さんは嬉しそうに目を細める。


「それで、セオ。何を企んでいるのかしら?」


 そして、アテナ母さんとロイス父さんは俺に対してはとても鋭い目を向けてくる。酷い。俺だけじゃなくて、ライン兄さんだって企んでいるのに。


 というか、ライン兄さんの発案なのに。


「何も企んでないよ」

「じゃあ、何で印刷について聞いてきたの?」


 ロイス父さんが間髪入れずに鋭い声を俺に投げかける。ライン兄さんはこっそり逃げようとする。


「ほら、絵本って文字を覚えるのにもいいから、エイダンたちにもあげたいなと思って。けど、ライン兄さんに同じのを何冊か書いてもらうのは大変でしょ?」


 だが、俺はぎっちりとライン兄さんの手を掴み、逃がさない。ライン兄さんは表面上、にこやかにしているが、内心では怒っているだろう。


 この話を上手く切り上げない限りは、いずれライン兄さんにも疑問の目が向けられ、詰問されるはずだからだ。


「確かにそうだね。けど、文字を覚えるのに向いているか……」


 ロイス父さんが顎に手をあてて考え込んだ。あれ、不味ったかも。


 いや、ただ絵本の有用性に気が付いただけで、俺達が何か企んでいるなどという発想にはならないはずだ。だいたい、俺が何かを作ったならともかく、ライン兄さんは自分の赴くままに何かを作ることが多い。


 つまり、疑われる事はない。


「まぁ、エイダンたちにあげる分は〝転写〟を使うし、印刷機のことは忘れてよ」

「母さん、絵本は後で返してくれればいいよ」


 俺はそう言って、絵本をパラパラと捲っているアテナ母さんと顎に手をあてて考え込んでいるロイス父さんたちから離脱する。


 ライン兄さんも同様である。


 そして、俺達はリビングではなく、地下室の中央エリアの方へと移動した。寒いし、部屋が温まるまで時間がかかるがしょうがない。


 ほとぼりが冷めるまで、ロイス父さんたち前で話をするのは控えた方がいい。



 Φ



「それでライン兄さん、黒の絵具ならって言ってたよね」


 ロイス父さんに中断されたが、俺はキチンと覚えている。ただ、ライン兄さんは覚えてはなかったらしく、頭を捻った。


「……あ、うん。言ったよ。黒の絵具というよりは文字を書くときに使う墨なんだけどさ」


 けど、思い出したらしい。それから席を立ち上がり、後にあった棚からインクが入った小さな壺を持ってくる。ついでに紙と羽ペンもだ。


「この墨は違うんだけど、これに似た墨が安く作れるはずなんだよね」


 ライン兄さんは羽ペンの先にインクをつけ、紙に何かを書き込んでいく。それはやがて容を為し、そして狼になった。


 羽ペンでここまでの絵を描くとは、と俺が感心しながらライン兄さんを見る。


「ねぇ、セオ。白黒の絵本なら手軽に印刷ができる?」

「うん、できるね」


 木版印刷、いや、裏映りしにくい紙をナイフで切り抜いて……まぁ、どっちにしろ魔力を使わずにできるだろう。


 いや、そもそも白黒だけならクラリスさんが前に作った魔道具の印刷機を、連結方式とかを使って絵本用に改良すれば魔力消費を少なくすることができるはずだ。


 この町は別だが、普通、貴族や魔法使い系の冒険者以外はあまり魔力を持っていない。鍛えていないし、生活魔法さえ使えれば生活には困らないからだ。


 だからこそ、絵本を大量生産する際にそんな人たちだけでも、印刷機を扱えるようにした方がいい。


「……ねぇ、セオ。今思ったんだけど、普通に本の方は問題なく印刷できるんだよね。というか、今も魔法を使ってやってるらしいし」

「確かにそうだね。けど、流通量は多くないし、現時点で紙の値段はそこまで安くないし、本自体に馴染みがある人も少ないからね」

「あ、そうだった。というか、文字を読める人を増やしたいんだった」


 俺達は識字率をあげたいと思っている。


「……でも、白黒の絵本でもインクの値段とか高くならない?」

「その分、ページ数を少なくすれば良いと思う」

「……まぁ、確かに」


 識字率が上がれば本を読む人が増える。需要が増えれば供給が増え、安くなる。そうすれば、前世の様に気軽に本が世の中に出回る。簡単に言えばそんな感じだ。


 そうしたら、文才ある人たちが多く現れ面白い本が読める。俺もライン兄さんも沢山の思想が入り乱れている本を読みたいのだ。今の常識だと考えられないような本を読みたいのだ。


 そのためには、本を書きやすくして、印刷しやすい環境を作る必要がある。


 その手始めに識字率を上げるところからだ。


 それに俺が今書いている、というか纏めている前世の知識の本や魔道具、魔法に関する本なども、色んな思想が出てくれば出しやすくなる。


 こないだアテナ母さんたちに見せたところ、荒唐無稽な、もしくは劇薬的な知識ばかりで、どんな影響がでるか分からないらしいから見せないようにと厳命されたのだ。少なくとも、魔術の件が終わるまではやめてくれと。


 だが、待っていることはできない。なので、劇薬が劇薬でなくなる環境を創り出した方がいい。


「だから、簡単な白黒の絵本を描いてもらっていい? その後、木彫りとか使って一応印刷をしてみた後、色々と試行錯誤していきたいし」

「……結局、何度も試さないとだめだよね」

「うん、そうだね。前世の知識があっても、別段本に詳しいわけじゃないからね。一応、一つの正解みたいなものは知ってるけど、それが正解とは限らないし」


 地球の歴史と同じ歴史を辿る必要はない。


 科学がない分、魔法や能力スキルがあるし、不思議な鉱物や植物もある。もしかしたら、そっちで手軽に大量生産ができるかもしれない。


「よし、セオ、二時間くらい待ってて。直ぐに描き上げるから」

「分かった。楽しみにしてる」


 ライン兄さんはさっき描いた狼の絵を持って部屋を出ようとする。俺はそれを見て、一つ思い出した。というか、なんでこれで思い出したんだろう。


「あ、ちょっと待って」

「何、セオ?」

「白黒の絵本、こういう風に描けない?」


 俺は“宝物袋”から、予備の紙数枚取り出し、全てを重ねて半分に折った。そして、それを本の様に見立てて捲る。


 アテナ母さんに渡した絵本は一枚一枚、切ったり張り付けたりしたから、手間がかかったのだ。


「……分かった。やってみる」

 

 ライン兄さんはそれを見て、自分の工房に引きこもっていった。


 それを見届けた後、俺も工房に入る。木版か紙か、色々とできるところを試していかないと。

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