第84話:絵と本:this winter

「ねぇ、ライン兄さん。描いた絵、見てもいい?」

「……いいけど、まだ完成してないよ。あと、四枚描いて、言葉も付けなきゃ」

「? まぁ、途中経過を見てみたくて」


 おかしな事を言っていたが、俺とクラリスさんは座っていた丸椅子から立ち上がる。まぁ、俺の場合、三歳児であるから、立ち上がるというよりは飛び降りるといった方がいいのだが。


「ちょっと、僕、まだ休憩が!」

「あとでクッキー作るから」

「……なら」


 ライン兄さんは紅茶を慌てて飲み干した後、立ち上がった。そして、ライン兄さん専用エリアの扉のドアノブに手をかける。


 この扉は特別仕様で、登録した人物しか握れないようになっていて、また開けないようになっている。


 あと、開く人間の思念を受信し、エリア内に入れる人物を選別できるのだ。なので、ライン兄さんが拒否すれば、透明な結界に阻まれて入れなくなる。


 まぁ、クラリスさん並みの相手になるとそれが通用するか如何かが分からないが、それでも有効だろう。


 ライン兄さんがそんな扉を開ける。俺達もその後に続く。


 そして、少しばかり歩いた後、シンナーにも近い匂いが漂う扉の前でライン兄さんが止まった。


 ライン兄さんのアトリエである。


「入って」


 俺達はそのアトリエの中に入る。


「これは……」


 そしてクラリスさんは感嘆を漏らした。


 アトリエには何百という絵画があった。壁にかかっていたり、天井に付いていたり、床に散らばっていたり。地面は絵具やら、泥やらで汚れ彩色豊かな場所であった。


「ライン兄さん、片づけてないじゃん。アテナ母さんに怒られても知らないよ」

「いや、もう怒られたから当分は大丈夫だよ」


 いや、だったら片づけた方がいいと思うんだが。


 俺が呆れていると、クラリスさんも呆れた表情をライン兄さんに向けていた。いや、呆れもあるが、懐かしさというかそういう色もある。


「お主はロイス似なんだの。いや、けれど、この散らかしようはアテナ似でもあるな。……どっちにしろ、二人のだらしない部分を受け継いでしまったわけか」

「え?」


 ああ、確かに。


 ライン兄さんってロイス父さんと同じで、この散らかし具合でもすべて把握していると言っていたし、これが一番いいとも言っていた。あんだけ、ロイス父さんの執務室の惨状を批判していたのに。


 でも、アテナ母さん……


 俺ってまだアテナ母さんの研究室に入った事ないんだよな。危険な植物とか劇薬とかが置いたあるらしいから、立ち入り禁止されているんのだ。ただ、アテナ母さん専用の仕事部屋はキチンと整頓されていたはずなのだが。


「ねぇ、アテナ母さんもこんな感じなの?」

「ぬ、うむ、そうだの。普段は綺麗好きなのだがの、本を散らかすのが得意での、冒険者時代に一ヶ月間、借家を借りて過ごしたことがあっての。そして、その借家を引く払う際にあやつの部屋にいったらの」

「いったら?」

「部屋中が本で埋まっておったのだ。冗談でも比喩でもなく、数千か、数万か、分からんが部屋が本の海に沈んでおったのだ。たぶん、あやつの専用の異空間もそんな感じの筈だの」


 ……それは分かる気がする。アテナ母さんってリビングで本を読んでいる時も、いつの間にか自分の周りに本の塔を築いている時があるし。そして、それを俺の“宝物袋”と同じような空間に適当に放り込んでいたし。


 と、俺が納得していると、ライン兄さんがいそいそと部屋を片づけ始めていた。


「どうしたの、ライン兄さん。当分は大丈夫なんじゃないの?」

「……いや、父さんと同じって言われるとなんか。あの執務室を批判したから」

「なるほど。……けど、それは俺たちも手伝うから、先に見せてくれると嬉しいんだけど」


 俺はチラリとクラリスさんを見た後、ライン兄さんを見る。クラリスさんはうんうんと頷いている。やっぱり手伝ってくれるか。


「そう? なら、先に見せるよ」


 パッと可憐で可愛らしい顔に笑顔が咲く。将来、女どころか男すら泣かせそうだな。大丈夫かな。


 まぁ、舞踏会とかで痛い目見たらしいし自衛はできるか。


 そんなライン兄さんは手に持っていた絵画をわけも分からない場所に突っ込み、そして部屋の中央においてあった椅子の近くに移動する。


 また、そこには小さな机があり、ライン兄さんはその上にあった数枚の紙を持ってくる。


「これなんだ」


 俺とクラリスさんはライン兄さんが手に持っている紙を受け取り、パラパラと見ていく。


 絵は、綺麗だが。


 ……絵本的な感じがするな。


 一枚一枚、背景やらが違うが、一匹の蜥蜴が描かれている。どの絵にもいる。


「ライン兄さん、これって……」


 そして、俺はこの絵に、いや、絵の流れに見覚えがある。


「うん。『旅の蜥蜴』だよ」


 『旅の蜥蜴』とは、この世界の子供が読む簡単な本である。文字を読んだり、書いたりするための物語として有名だ。


 ああ、確かに、これは予想外ではなかったが、この世界では予想外だった。


「絵本か」


 この世界に絵本はない。


 そもそも、絵で一般的な物語を語ろうという発想があまりなく、絵は神々への祈りとして描かれることが多い。あとは所々に詳しい絵が描かれているが、それでも文字で基本的に説明する本が多い。専門書みたいな感じだ。


 物語性があったとしても、絵と文字、そしてページをめくる動作の全てを同時に使って語る物語を作るということはないのだ。


 日本だと起源は絵巻物語だが、確か海外だと宗教布教で使われたのが始まりだったけ。そしてたぶん、ラノベ的な絵付きの神話本があるから、今はその発展途中だったんだろう。あと、数十、数百年の収斂によって誕生した概念だったんだろう。


 それをライン兄さんは一気に飛び越えた。俺が適当に言ったとはいえ、アレだって基本的な概念だ。時間によって積み重ねてきた事を省いた。大元の概念だけを言ったはずだ。


「……セオの世界にはこれと同じ奴があるの?」


 ただ、ライン兄さんは少しだけ浮かない顔をしていた。


「うん」

「……そうなんだ」


 そしてガクッと肩を落とす。


 と、思ったら顎に手を当てて、首を傾げた。


「……セオが言ってた連続性って……」

「絵巻物語って言って、丸めた一枚の細長い紙に各場面の絵と文字を描いて」


 俺は“宝物袋”から、長い紙を取り出し、それを丸めていく。


 あ、意外と重い。力が入らない。


「ほれ」


 と、思ったら、クラリスさんは意図が分かったのか、紙を巻いてくれた。そして巻いた紙の端を掴み、ゆっくりと引く。


「そう、こうな感じに次々に場面が現れるんだ」


 俺は無理やり魔力操作と魔力を発光させて絵と文字を描き、クラリスさんが紙を引くたびにそれが現れるようにする。


「……へー、こういった動作もあるんだ」

「うむ。捲るのではなく、引くのか」


 ライン兄さんとクラリスさんは興味深げにそれを見つめ、また、ライン兄さんは描き途中の絵本を手に取る。


 そして、黙りこくった。


「……セオ、僕はこっちを先に作るよ。あと、たぶん、色々な説話や民話、神話をこっちで描いてみる。その絵巻物語?っていうのは後回しにする。セオにヒントを貰ったとはいえ、この絵本っていうのかな、これは僕がかみ砕いていきたいし」


 わかる。どんなヒントがあって、補助があったとしても、自分が見つけた、もしくは作ったものは大切なものだ。


 誰かに取られるのは悔しいし、もし取られたとしても自分の中でかみ砕いていきたいものだ。魔術だって、前世の数学やら何やらを使って、また、この世界の過去の成果を発見したものではあるが、それでも俺の一生のものだし。


「うん。頑張って。あ、絵本作りなら俺も手伝うから。楽しそうだし」


 けど、手伝うくらいはいいだろう。楽しそうだし、絵本っていうのは子供のものじゃない。絵と言葉と動作で訴える芸術だ。


 大人になってもよく読んでいたので、作り手になってみたいという想いが少しだけ湧いてきた。


「うん、いいよ」


 そこから、俺とライン兄さんの絵本づくりが、そして本づくりが始まった。

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