名字反対

 ことの始まりは、1つの悲しい事件だった。

 都内の中学に通う女学生が、いじめを苦に飛び降り自殺をしたのだ。いじめの理由は、彼女の名前が変だったから。愚かすぎる理由だが、学校という狭いコミュニティではそれだけでも十分に迫害の理由になってしまう。

 いじめの加害者の名前はプライバシー保護の観点から報道されないが、内容が内容だけに被害者の名前は公表されてしまう。若くして命を絶った少女の名字は、毒島というものであった。

 

 この痛ましい事件に憤る人々は多かった。彼らは学校の不手際を追求し、また被害者の名前だけを報道するマスメディアも攻めたてた。学校のウェブサイトを荒らしたり、加害者を特定しようとする愉快犯も大勢現れた。

 そんな騒動の中、人々の憤りは怪しげな方向へと向かっていってしまう。




 一介のサラリーマンである佐藤太郎は、会社の後輩とファミレスで昼食を摂っていた。ふと窓の外を見ると、人々が集まって騒ぎながら行進をしている様子が見えた。


「あれはなんの騒ぎだ?」


 その言葉に後輩が答える。


「あれっすよ、名字反対デモっす」


「名字反対?」


 名字に賛成も反対も無いだろう。佐藤は言っている意味がよく分からなかった。


「先輩知らないんすか?もっとニュース見たほうがいいっすよ。

今の時代に名字なんていらないだろう、って主張してる人たちがいるんすよ」


「名字がいらないねぇ…」


「ほら、ちょっと前に名字が原因でいじめられたっていう話あったじゃないですか。名字がなければあんな事件もなかった、って話になってるんすよ」


 それはどう考えても名字じゃなくていじめる奴が悪いだろ、と佐藤は思う。


「SNSとかで調べたら、色々出てきますよ」


 佐藤はスマートフォンで言われた通りに調べてみる。すると、「名字反対」というタグで主張をしている人が多く目についた。

 流れを追っていくと、どうやら最初はいじめ被害者のような酷い名字を変更できるようにすべきという主張だったが、難読名字に対する不満や、名字を選べないことへの不満、夫婦別姓の問題などが混ざり合い、最終的に名字は不要じゃないかという主張に落ち着いていったらしい。


「ふーん…」


「まあ、僕としても名字はあんまり好きじゃないですし、別になくてもいいっすけどね」


そう言う後輩の名字は、下呂というものであった。




 それ以来、佐藤は名字反対運動のニュースを意識して見るようになった。別に彼自身は名字があってもなくてもどちらでもいいのだが、この頓珍漢な主張がどうなっていくかが見ものだったのだ。

 すぐに話題ごと消え去るだろうと思っていたが、むしろ名字反対運動はどんどん大きくなっていった。連日ニュースで取り上げられ、コメンテーターが情報番組で激論を交わし、国も対応に追われるようになっていった。

 名字廃止論者はさまざまな論理を打ち立てていく。曰く、名字に縛られるのは自由の侵害である。曰く、名字は旧態依然とした男尊女卑的な社会システムの象徴である。曰く、海外には名字という概念がない国も多く、この国は遅れている。

 反論する人間もいたが、そんなに名字が欲しいなら勝手に名乗ればいいじゃないか、人に押し付けるものではない、いじめられた子供の悲しみを無視するのか、などと糾弾されては言い返しようもない。


 そして、世論が最高潮に高まったとき、国会で1つの法案が議決された。佐藤が見るニュース速報動画の中で、政府からの発表が行われる。


「えー、この度の臨時国会にて、名字廃止に関する法律案が衆参両院にて可決されました。今後、戸籍にはマイナンバーと名前のみを記載し、名字は非公式のものとすることになります……」






 それから数ヶ月後。

 一介のサラリーマンである太郎は、会社の後輩とファミレスで昼食を摂っていた。


「名字の騒動、やっと落ち着いてきたな」


「そうっすね」


 名字が廃止されて最初の頃は、お客様情報や内部書類の改定などでにわかに忙しかった。官公庁も徹夜続きだったと聞いている。今では、その繁忙も過去のものになっていた。


「しかし、今考えても訳が分からん騒動だったな。まさか国が動くとは」


「まあ今度また衆議院選挙があるっすからね。国民からの人気のためってのもあるんじゃないっすかね」


「なるほどな」


「あと、名字がなくなってマイナンバー使うことが増えたじゃないっすか。政府がマイナンバー主導してたんで、その狙いもあったみたいな噂も聞くっすね」


「ふーん……」


 確かにそれは一理あるな、と佐藤は思った。


「まあ、別に世の中はたいして変わってないっすけどね」


「確かに。まだ名字を使ってるやつも多いしな」


太郎自身も、「佐藤さ……、あ、太郎さんでしたね」などと取引先に言われたら、「いや、佐藤で大丈夫ですよ」と答えている。結局のところ、公式だろうが非公式だろうが、使うべきだろうが使うべきでなかろうが、人々にはあんまり関係ないのだろう。




 ふと窓の外を見ると、人々が集まって騒ぎながら行進をしている様子が見えた。


「あれはなんの騒ぎだ?」


 その言葉に後輩は答える。


「あれっすよ、マイナンバー反対デモっす」

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