第30話 アクノレッジルート

「はい、お口に合うか分からないけど」


「あ、ありがとうございます」


 ソファーに座るリウの前に紅茶が置かれる、彼女はコーヒーやジュースは飲みなれてきていたが紅茶はまだ飲んだ経験が無い。

 目の前に置かれた白いカップの中から、湯気と香りを放つ淡い茶色の液体に彼女は怖恐れおののいていた。


 エルは自分の分の紅茶といくつかのお菓子をテーブルの上に用意し、リウの前に座る。

 彼女に促され、頭を下げてから恐る恐るリウは紅茶を口に運ぶ。

 口に運ばれる道中で、紅茶はすでに良い香りをこれでもかとリウの鼻にぶつけていたがそれは口に入れた瞬間、更に暴力的にリウの口の中で爆ぜた。

 コクや風味、旨味に香り、そういったものに疎いリウの貧乏舌でも理解できる。

 これがとてつもなく美味しい飲み物だと。


 静かに衝撃を受けながら、紅茶を飲むリウ。

 一方のエルは慣れた様子で紅茶を口元に運び、香りと味を嗜んでいた。

 

 二人の間に会話らしい会話はまだない、少し重く気まずい空気を感じたせいかリウの中から紅茶の衝撃が少し抜ける。

 自分はここへ紅茶を飲みにきたのではない事を思い出し、リウは手に持っていたカップをテーブルに置いた。


「あ、あの……」


「どうしたの?」


「昨日はその……ごめんなさい!」


 リウはテーブルに頭をぶつけんばかりの勢いで頭を下げる、昨日の一件で彼女に非は全くといっていいほど無い。

 とはいえ自分の身内が取った言動でエルを傷つけたのは明らか、となればここは自分が謝罪するのが正しいと彼女は考えていた。


 本来はバグウェット本人が頭を下げるのが筋だろうが、彼は今ここにいない。加えてあの性格だ、エルにバグウェットが謝る姿をリウは想像できない。それもも彼女の頭をテーブルに向かわせる一因となっていた。


「頭を上げて」


 罵倒され、厳しい言葉を投げつけられてもおかしくないとリウは覚悟していた。

 それだけにエルの穏やかな声に驚きと、未知の恐怖を感じている。


 実はそこまで怒っていないのでは、それともあれはあくまでバグウェットの責任だと考えているから自分には何の怒りも無いのかもしれない、もしくは怒鳴るや叫ぶといった感情を通り越し、静かにブチ切れているのではないか。そんな考えがリウの頭を駆け巡る、だが上げろと言われていつまでも頭を下げているわけにもいかない。


 リウは静かに頭を上げた。

 

「謝らなくても大丈夫、あなたは悪くないから」


 そう言ったエルの表情は穏やかだった、小さく口元に笑みを作り控えめに笑う。

 その表情はリウを安心させるには、充分すぎるほど穏やかだった。


「確かにショックはあったけど……意見や価値観の食い違いは誰とでも起こりうる事、だから私たちの事を理解できない人がいたとしても不思議じゃないわ」


 エルの言葉にもう一度リウは頭を下げ、彼女の大人な対応に敬意を示した。



 その後、カップに入った紅茶を飲み干すと二人は部屋を出た。

 エルに話すのに良い場所があると誘われ、二人は三階にある公園を訪れていた。公園はかなりの広さがあり、地面には青々とした芝生が敷き詰められている。百以上ある送風機を使用し自然な風をイメージし、園内には鳥などの動物も生息している。

 限りなく外の公園に近い作りをしたこの公園は、確かに居心地は悪くなかった。


 園内に設置されたベンチに腰を下ろし、二人は少しだけ園内の平和な光景を眺めていた。


「あの……どうして今日は会ってくれたんですか? 昨日の事を考えたら、私になんて会いたくないんじゃ?」


「……あの時あなたが言った言葉、それが気になったから」


『私も同じですから』


 あの時リウは確かにそう言った、何か深く考えていたわけではない。

 自然と口から出た言葉だった、大切な人を亡くし何かに寄りかかりたい彼女の姿、そしてようやく見つけた寄りかかれる場所を否定され泣く彼女の姿は、とても他人事のようには思えなかった。


 リウもまた大切な家族を失っている、なればこその言葉だった。

 


「もしかして、あなたもなの?」


「……はい、私もきょうだいを亡くしました。まだ幼かったきょうだいたちを」


 そしてリウは彼女にその事を話していいか確認を取ってから、自身の事についての話を始めた。リウはエルの事について知っている、だがエルはリウの事を全く知らない。お互いの持つ情報量の差、それが二人の距離を遠ざけていた。


 そのためここでリウが自分の事をエルに話したのは英断だといえる、もちろん彼女の中にそういった論理的かつ計画的な考えは微塵も無い。彼女がエルに自身の事を話したのは、この二人しかいない空間で一方的にエルの過去を知っている自分が卑怯とまでは言わなくとも、ずるいような気がしたからだ。


 その感覚を言葉にするのは些か難しいが、噛み砕いて言うとフェアではないような気がしたのだ。だから彼女は自分の過去をエルに話した、生い立ちやきょうだいたちの事、そしてその結末を。

 

 思い出を一言語るたびに、心の中には灼けるほど淡い記憶が。

 事実を一言語るたびに、それが漏れ出しリウの心をひどく爛れさせる。癒えない傷を抱えながら、それでも目の前の人間と分かり合うために彼女は言葉を紡ぐ。それが耐え難い苦痛であったとしても。


「……これで全部です」


 リウが話している間、エルはそれを黙って聞いていた。正確には黙って聞いていたというよりも、何も言えなかった。

 彼女は本音を言ってしまえばここまでリウのこれまでが壮絶だとは思っていなかった、だが実際に話を聞く事によって彼女は自分の想像力の無さ、そしてリウの過去を過小評価していた自分の愚かさを思い知らされた。


「……ありがとう」


 謝るべきだったのかもしれない、あなたの過去を軽んじていたと謝るべきだったのかもしれない。

 だがエルの口から出たのはただ感謝の言葉だった、血を吐くような思いをしながら、自らの中にある辛い記憶を話してくれたリウに。

 自分と辛い記憶と感情を共有してくれようとした彼女に向けて放たれた感謝の言葉、それは今までのどんな時よりも穏やかでそして心からの感謝の言葉だった。


「あなたはとても優しいのね」


「……ありがとうございます」


「ねえ、あなたは……リウちゃんは私の事をどう思う?」


 エルの言葉に変化が見えた、それはわずかだが確かに二人の距離が縮んだ事を示していた。


「え?」


「あの人の言うようにお人形遊びをしてる馬鹿な女だと思う? それとも頭がおかしくなった可哀そうな人、とか」


 その質問をしてから自分が呆れるほど性格の悪い人間だとエルは思った、だがそれでも彼女はリウからその質問の答えを聞きたかった。


「そうは思いません」


 即答、電光石火の回答に面食らいながら彼女も続ける。


「じゃあどう思う?」


「私……は」


 一瞬の沈黙、時間にすれば十秒もないだろう沈黙を経てリウは口を開いた。


「エルさんみたいな在り方も、一つの道なんじゃないかなって思います。私だってバグウェットやシギ君、ジーニャさんみたいな人たちがいなかったとして、もしこの街で一人取り残されたらエルさんと同じような道を選んだかもしれません」


「……そう」


「だから頭がおかしいとか、可哀そうとは思いません。人にはどうしたって寄りかかれる場所が必要ですから」


「……そう」


 エルはその言葉を聞きながら、少しずつ項垂れて行った。そして肩を震わせ泣き出してしまった。

 当然のようにリウは慌てる、自分が何かまずい事を言ったのだろうか。だとしたら何と謝るべきなのか。あわあわと慌てるリウ、そんな彼女をエルは胸の中へと抱き寄せた。


「エ、エルさん?」


「ありがとう……本当に……ありがとう」


 リウの言葉、それはエルが何よりも欲しかった言葉だったのかもしれなかった。

 バーウィンがこの世を去り、喪失に沈む彼女に周囲の人間は口々に声を掛けた。


『あまり抱え込まないで』


『他にも良い人はいるから』


『かわいそう』


 その言葉に悪意も敵意も無かった、だからこそ余計に彼女を追いこんでしまった。


 そしてヒューマンリノベーションにバーウィンのアンドロイドを造った時、周囲の人間は二つの種類に別れた。

 彼女の行動を手放しで称賛する人間と、彼女の事を悲しみからおかしくなったと陰口を叩く人間の二種類である。


 称賛する人間たちは口々に、


『それで前に進めるならいいんじゃないか』


『空いた心の隙間がそれで埋まるなら』


 そんな事を言っていた、だが彼女の事を認めているようでその言葉には彼女を理解しようとする意志は全く見えなかった。

 認めているようで、理解を示しているようで、彼女とその在り方について議論する気はさらさらない。心の底では理解できないくせに、理解のある言葉を言って自分をそういった事にも理解のある人間だと見せたい者。


 そして陰口を叩く人間たちは、


『アンドロイドで代わりを造るなんてね』


『結局のとこ外見だけ好きだったってことでしょ』


『機械で代わりを造るなんて、どこかおかしくなったんじゃない』


 そう言って彼女の前から姿を消した、アンドロイドは広く普及しているがそれはあくまで業務用などのいわば設備としての側面が強い。

 人間のましてや死んだ恋人や家族そっくりのアンドロイドを、故人の代わりとする行動に対する認知も理解もまだまだ無い。だからこそ彼女の事を可哀そうな人、頭がおかしくなった人として軽蔑する人間も少なくなかった。


 だからこそ、だからこそリウの言葉はエルに響いた。

 理解のない称賛も、陰湿な憐れみも傷ついていた彼女には必要なかった。

 自分と同じ、もしくはそれ以上の悲しみを知っているリウ、そんな彼女は確かに言った。


『そういう在り方も一つの道なんじゃないかなって思います』


 その言葉を聞いた時、エルは理解した。

 自分が求めていたのは、ただ横に座って自分の事を肯定してくれる人だった。それだけだ、それだけで良かったのだ。

 

 

 出会い方は最悪、話した時間も短い。

 ほとんど他人と同じかもしれない自分よりも年下の少女、彼女はエルの求めていた言葉を自然に導き出していた。


 この言葉が正解だったのか、それはまだ分からない。

 だが彼女には必要だった、同じ立場で自分の今を認めてくれる人間が。

 

 自分を抱きしめたまま泣くエルの背中に、リウはそっと腕を回した。




 応接室でバグウェットは高級な革のソファーに座り、パトリックと対峙していた。


「いきなり何の用だ」


「いやね、ちょっとあんたと話をしたいと思ってさ」


 自分の前に出されたコーヒーを勢いよく飲み干し、バグウェットは少し乱暴にカップを置いた。

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