第4話 デンジャラスオールド

「お待たせ」


 リウは十分ほどで戻り、冷め始めたハンバーグの残りを頬張る。冷めても美味しいハンバーグに、彼女はいたく感動していた。

 煙草を吸うと言ってバグウェットは席を立ち、そのままレジで会計を済ませてから喫煙ルームへ向かう。一人で煙草をふかしながら少しだけ無駄な事を考え、部屋を出た。


 席に戻ると、ちょうどリウが最後の一切れを口に入れた所だった。噛みしめるように、残念そうに最後の一切れを堪能し飲み込む、満足げな顔からハンバーグが彼女に与えた影響の大きさを感じることが出来た。


「ごちそうさまでした」


 そう言ってリウは手を合わせる、その動作は余りにも自然で感謝に満ちていた。先ほどまで見ていた彼女からは想像できないほど繊細な動きだったからだろう、二人の目はその動きに釘付けになっていた。


「なに? どうかした?」


 二人に向けられる謎の視線に戸惑う彼女にシギがそれとなく言い訳をし、三人は店を出た。ベルと呼ばれる人物に会うために三人は再び歩き出す、通りは相変わらず人に溢れていた。


「ハンバーグは気に入りましたか?」


「最高! 他の料理もあんなに美味しいの?」


「ええ、とても美味しいものばかりですよ」


 幼子のようにはしゃぐリウ、シギはそれを見てニコニコと笑っている。これではどちらが年上か分からない。

 興味なく、気だるげに後ろを歩くバグウェットのにリウが向き合った。


「ごちそうさま、美味しかったわ」


「お褒めに預かり光栄だな」


 そんな慣れない言葉をだるそうに口にした彼は、彼自身が思っているよりずっと優しげな眼をしていた。


「あんなに美味しいものがあったなんて……みんなにも食べさせたいな」


「みんな?」


 そう、と言ってリウは少し顔を曇らせる。彼女の言うみんなとは、グランヘーロにある孤児院にいる子供たちの事だ。

 彼女は院では一番の年長だったため院長である父の手伝いをしており、その中にはまだ幼い弟や妹の世話も含まれていた。


「院での生活は苦しいけどみんなで助け合って暮らしてきたの、だけどたまにはあれくらい美味しい物を食べさせてあげたいなって」


 院での食事は野菜の切れ端が入った薄味のスープ、日が経って硬くなったパンなどお世辞にも美味しいとはいえない物ばかり、だがみんな一緒ならと硬いパンを長い時間をかけてゆっくりと食べ、スープを平等に分けながら生きてきた。


「血の繋がりは無かったけど、私たちは家族だから」


 彼女の脳裏には院で待つきょうだい達の姿が浮かぶ、子供たちはそれぞれつらい過去を背負って院にやって来る、一言も喋らない子や夜中に叫び声をあげて跳ね起きる子などそれぞれが背負わなくていいはずの過去を背負っていた。


 そんな子供たちに毎日少しずつ話しかけ、夜は眠るまで隣にいたのは彼女だった。

 そこになにかを『してあげている』という感情は無い。

 ただひたすらに彼女の中の善性がそうさせた、ただそれだけである。


「いつか来れるといいですね、その時はまたバグウェットの奢りでご飯を食べましょう」


「うん」


「……なに良い話風で俺に奢らせようとしてんだ」


 そんな時、歩く三人の目に前方から歩いてくる少年が映った。所々に汚れの付いた服を着た少年は、小さな籠一杯の紫の小さな花を売り歩いているようだ。道行く人々にたどたどしく花を差し出している。


 だが少年から花を受け取る人間は一人もいない、その光景にリウが胸を痛めていると少年はこちらにゆっくりと歩いて来た。


「お花はいりませんか?」


 そう言って少年はリウに花を差し出す、彼女が花を買ってあげようとポケットに手を入れたが、その中にはほんの少しの小銭しかない。

 その事を伝えようとすると、少年はにこりと笑う。


「お金はいらないんです、この花を渡したいんです。ひとりでも多くの人が楽園に行けるように、祈りをこめた花を」


 無垢な少年の口が紡ぐ言葉は、それに答えようという気持ちをリウに抱かせた。ここまで言われては、この花を受け取らないわけにはいかない。

 彼女が少年から花を受け取ろうとしたその時だった。


 花を受け取ろうと差し出した手をバグウェットが掴む、そしてそのまま無言でリウの腕を引っ張り歩き出した。

 少しずつ離れていく少年は悲し気な笑みを浮かべ、三人の後ろにいた人々に再び花を渡すために行ってしまった。


「ちょっと! なんで!?」


「いいから、早く歩け」


 強く腕を引かれ、リウは半分引きずられるような形でその場を後にした。

 


 先ほどの場所からずいぶん離れた、リウはバグウェットの手を振り払う。強く握られていたため腕が痛かったこともあるが、それよりもなぜあの花を受け取らせてくれなかったのかが気になる。


「ここではああいう奴らに関わるな」


 バグウェットはただそう言うばかりで何も教えてくれなかった、シギも何も教えてくれない、どうしようもない疎外感を抱えたまま目的地であるベルの店に到着してしまった。

 店は大通りから少し外れた場所にあり、人通りはまばらだったがアグリーの店のあった地下街と比べると多少は明るい雰囲気がある。

 店には看板が出ておらず、この店の存在を知らなければ素通りしてしまいそうな地味な佇まいだった。


 恐る恐る店に入る二人を見て、リウは疑問を抱かずにはいられない。

 だがすぐにその理由を知ることになる。


 店の中には一人の老人がいた。顔に刻み込まれた歴史を感じさせる深いしわ、頭にかぶった黒いペレー帽から覗く白い白髪が、見る者に彼が老人であることを気付かせる。

 もしこれらがなければ彼を間違っても老人だとは思わない、身に着けたウッドランドパターンの迷彩服の上からでも分かる筋骨隆々とした体、腕は丸太のように太く右目の眼帯は対峙した者に凄まじい威圧感を与える。

 三人を見るグレーの左目は、今すぐにでも彼らを刺し殺しかねない鋭さだ。


「よおバグウェット、どの面下げてここに来たんだ?」


 低い、鼓膜を揺らすように静かに喋るベル。

 バグウェットは愛想笑いを作る事しかできない。


「お久しぶりですベルさん……今日はお日柄も良く……」


「そうだな、今日は良い日だ。儂も気分が良い」


 口元に凶暴な笑みを浮かべ、バグウェットを手招きする。

 バグウェットの一歩は重い、ゆっくりとベルのいるカウンターに近づいていく。


「もっとこっちに来い、お前にプレゼントがあるんだ」


「そりゃ……ありがたい事で……」


 感情のない言葉を吐きながら、地雷原にいるかの様な歩き方をするバグウェットの後ろでリウは呑気にそれを見ていた。一方のシギは体を強張らせ、何かに怯えているような表情をしている。だが彼女から見ると、確かに見た目は恐ろしいがなぜここまで二人が警戒しているのか分からなかった。


「ねえ、何で二人ともそんなに静かなの?」


 一応声を潜めるようにシギに問いかける、彼はこちらをゆっくり見ると静かにしろという意味のジェスチャーを取ってきた。


「今は何も言わないでください、余計な雑音は命取りです」


 その言葉から並々ならぬものを感じ、リウは口を閉じバグウェットを見守った。


「お前も好きなもんだ、喜ぶぞ」


 カウンターにバグウェットが近づききった時、彼の額に銃口が突き付けられた。

 ベルの手には黒光りする散弾銃が握られている。


「どうだいC&C社製AAー24、かっこいいだろう? 引き金を引きゃあ、お前の鼻くそぐらいの脳味噌しか入ってない頭も木っ端みじんよ。今日は良い日だ、死ぬにはうってつけだろう?」


 バグウェットのこめかみを一筋の汗が伝う、いまベルが引き金を引けば放たれた十二ゲージスラッグ弾が自分の頭を吹き飛ばせる事も、このベルという男は冗談やシャレでなく本当に引き金を引く男だという事を知っているからだ。

 店内に鉛のような重苦しい空気が充満する、リウを除いた二人はいつでも動けるように身構えた。

 

「……今日の所は勘弁してやる、昨日掃除したばかりの店をお前の肉で汚すのも気分が悪いからな」

 

 そう言ってベルは銃を下ろす、バグウェットは力が抜け危なくへたり込みそうになった。シギも警戒を解き肩の力を抜く。

 リウは何が何やら理解できずに呆然としていた。


「まったく……お前らに渡す武器なんざ無いってのにな」


 ベルはぼやきながら、カウンター下に置いてあった武器箱を店内のテーブルに勢いよく置いた。

 そして呆然としているリウの方をジロリと見た。


「誰だ? お前んとこの新しい奴か?」


「違えよ、この後の仕事の依頼人だ」


 ベルはリウの前に立つ、彼女は自分を見下ろす老人となんと言葉を交わしたらいいか分からず、ひきつった笑顔を作っていた。


「名前は?」


「リ……リウ・バスレーロです! 初めまして!」


 勢いよく頭を下げた彼女を見て、ベルはふんと鼻から息を出した。

 それがどういう事を意味するかは分からないが、とりあえずいきなり頭を吹き飛ばされる事はなさそうで安心した。


「中に来い、今日は少し長くなる。そこにいてもつまらんだろう」


 硬い笑顔のままの彼女をベルは店の奥へ誘う、バグウェットたちは信じられないものを見ている顔をしながら彼女に奥へ行くよう促した。

 店の奥に通されると、大きめのテーブルと椅子がある質素な部屋に通された。冷蔵庫やガスコンロがあるだけの、余計な物が何一つない部屋だった。

 ベルは座った彼女の前に菓子の入った籠を置くと、好きなように食べて良いと伝え店先に戻って行った。


「ありがとうございます!」


 背中越しの感謝の言葉に、ベルは振り向かず右手を上げて答えた。




「爺さん、あんた子供が好きだったのか?」


 驚いた顔をしたままのバグウェットの言葉には答えず、ベルは整備の終わった銃を武器箱からいくつか取り出した。


「おっ、綺麗に直ってるな」


「当たり前だ、儂を誰だと思ってる」


 前の依頼で派手に壊したバグウェットの銃は、本来ある輝きを取り戻している。

 

「それから小僧、お前のもあるぞ」


 ベルはシギの背丈ほどもあるバックを、店の奥から二つ追加で持ってきた。


「お前はまだこいつとは違って武器の使い方には少しばかりの見どころがある、これからも精進しろ」


 シギはテーブルに置かれたバックの中身を除く、預けた時とは比べ物にならないのが一瞬で分かった。艶や汚れは一つとて無い。


「ありがとうございます」


「それからこいつもな」


 シギの物と同じく持ってきた大きな紺色のボストンバッグを開く、中にある物を見てバグウェットは目を細める。文句を差しはさむ余裕のない一品、原形を留めないほどに壊れていたというのに。


「助かったよ爺さん」


「礼はいらん、仕事だ。だがあのアグリーとかいうイカレに言っておけ、電話をする時は薬が抜けてからしろとな」


 分かったと言い、バグウェットは銃を胸元に入れた。シギに帰り支度をさせながら、代金を支払う。

 渡された札束を数える手を止め、ベルはバグウェットを見た。


「あの子はここの生まれじゃないな?」


「ああ、グランヘーロから来たらしい」


 珍しい光景だった、ベルは先ほどの一件から分かるようにかなり危ない人間である。店で誰かがもめ事を起こそうものなら、あっという間に全員纏めてミンチにするような危険な老人である。

 話す事と言えば銃や仕事の事くらいなもので、人のバックボーンに興味を持つような男ではなかったはずだ。冷静に答えたつもりのバグウェットも、思わぬ不意打ちに声が上ずりそうになった。

 

「珍しいな、あんたがそんな事を気にするなんて」


「あんな綺麗な目をした人間を見るのは久しぶりだからな」


 武器屋の客は一般人では無い事の方が多く、ましてやここは大通りのガンショップのような護身用のちゃちな銃を扱っているわけでは無い。客からの要望があれば、銃はもちろん爆薬、刀剣、暗器、パワードスーツからミサイルまでありとあらゆるものを扱う。

 それらを扱う人間は得てして目が濁るのだ。輝きを失い、命を軽んじ人として何か大切なものを失った目になっていく。


「目が曇っちまった方がここじゃ都合がいい、儂もお前もずいぶんと曇ってる」


「爺さん……今日はよく喋るな、いまさら心変わりしたのか? あいつを見て自分も綺麗に生きようってよ?」


 嫌味と皮肉をたっぷりと込めてバグウェットは喋る、それもまた珍しい光景だった。シギは再び身構えざるを得なかった、いつものベルならば銃を持ち出してきかねない。

 だがその言葉に怒る事無く、ガハハと大きくベルは笑った。


「侮るなよ小僧、儂がそこまでロマンチストだと思うか?」


「年を取ったら分かんねえだろ、俺だって最近は恋愛ドラマで感動するようになったんだからよ」


 二人は牽制し合うように笑った。

 シギは気が気では無かったが、とりあえず警戒を解き体から力を抜いた。


「あの子に優しくしたのはただの気まぐれだ。いちいち突っかかるな」


「そうかい」


 ベルは再び金を数え始めた、数えながら何て事のない取るに足らない話をする。

 シギの目に映るその時の二人は、先ほどよりも近い場所で話しているような気がした。

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