第167話 信頼。1/4


弾かれた金属の音——大剣が地に刺さる重さを伝える音がそれに続き、その場に滞っていた全ての音を押し退けて、あたかも真空と成ったが如く張り詰めた緊張からの沈黙が一瞬と漂った。


「あの距離から……的確に届くように投げたか——何と凄まじい膂力と勘の良さ」


 「クスクス。血の気が多いなぁ……これで本来の力を出せてないというのも、いっそ笑える話じゃない?」


そうした後で息を飲み、この場の剣呑な雰囲気に登壇の気配を滲ませる第三の勢力の影なき影について湧き上がる想いを吐露するのは老人ガラルと少年スペヴィア。


羽ばたかせていた巨大な蠅の羽を止めて地に降り立っていたスペヴィアの朗らかな笑い声に、神妙な面立ちで緊迫感を持っていたガラルは気を緩ませぬように持っていた刀の柄を握り直して構え直す。


「クレア……デュラニウス……」


半身を液状化させていたままのアーティーの半透明の肢体が小刻みに揺れる。

遅ればせて吹き荒ぶ飛来した大剣が切り裂いてきたのだろう一陣の風に混じり、まるで凡夫が巨大で獰猛な肉食獣と相対した時に感じるような生物としての格の違いを痛感させられる威圧の気配がビリビリと電流が如く肌を焼き削るようだった。


——確実に、見られては居る。

もはやこの場を、既に彼女に支配された縄張りとされたような感覚。


たったひとつと放たれた大剣が変え果てさせた状況は、その場に居る誰しもの胸の内で危険信号を甲高く鳴り響くには容易く、刻々と鮮烈な予感を脳裏に刻ませていた。


そんな中にあって、


「……ガラル・ディエゴ。そしてスペヴィアの顔をしたアナタ、お二人はクレア・デュラニウスという獣について、どれ程の知識をお持ちで?」


夜の闇に沈む広大な樹海の片隅にて、誰よりも先に彼女の獣の牙である大剣の動きに気付き、知っていたかの如く見事に槍の一振りで弾いて魅せた彼女だけは尚も平静に、未だ姿の見えぬ巨影に感嘆の想いを吐露した老人と少年に現状の認識を問うに至る。


「僕はB・スペヴィア——なんて今はどうでも良いか。良いかな……彼女については討伐対象ではあるから少し様子は見てたけど、実はあんまり情報は持っていませんね。強いて言えば短気な事くらい?」


敵対する立場、敵対した立場ではあろうとも、こと更なる混迷を齎しそうな第三の勢力の介入に際し——如何な立ち回りが最善か欲するは思考の合間。


 気に掛かった呼び名に対して、そう言えば名を名乗らぬ失礼があったなと思い返しつつも、利害と打算の一致が産み出す余白を埋めるように、眼鏡を掛け直す彼女——ルーゼンビフォアが徐に放った問いの会話に乗り上げた少年スペヴィア。


そしてそれには、周囲の状況を探り続ける密やかな一瞥を流していた老人ガラルも続くのだ。


「——某は彼の男が一人で在った時に会話を交わしたのみ。未だ彼女の顔すら拝んでおりませぬよ。そのような話は、一刻も早く貴殿のお連れを離れさせてからが宜しいと思いますがな」


「「「「……」」」」


彼は問いの答えを返しつつ、関わらせるべきではない事に関わらせてはならぬだろうと遠回しな指摘をルーゼンビフォアに言い回し、


幾度目かの圧倒的な状況の変遷に思考が僅かに追いつかぬ様子の暗躍者らに鋭い視線と共に気付けのような威圧を一瞬と分かりやすく放てば、彼らの固まってしまっていた思考をハッと思い起こさせる。


「ふぅ……それもそうですね、レヴィさん。アーティー・ブランドとそのお仲間たちと同行し、彼らを守りなさい。命令です」


「——はい、ルーゼンビフォア様」


何度も何度もと意図されぬまま動きを遮られて、為す事の出来なかった撤退の始まりも、そこで漸くとその場に居た全ての者たちが同意するに至ったようだった。


何故の問いだったかを比喩として傍らの棚に置き、一息を吐いたルーゼンビフォアからの指示に対し、かつて少女だった怪物レヴィは——かつてリヴィという名を持っていた少女の面皮に張り付く瞼を閉じて腰に履くスカートの両端をつまみ、淑女のように持ち上げてこうべを下げる。


——名の綴りや表記を失念し、間違えていた訳では無い。

決して。


兎角——ある一つの事柄に対する妥結の雰囲気が緊張の一幕の後に訪れてた。


 だが——


「俺はこの場に残る。貴様の監視だ、ルーゼンビフォア……少なくとも、戦いが始まるのを確認するまではな」


そう全てを一任してなるものかと暗躍者のリーダーとして、或いは——さもすれば今は岩石の牢獄に閉じ込められているラフィスの友としての立場でアーティー・ブランドは液状化している下半身をズズリとは這わせ、ルーゼンビフォアと彼からすれば謎の老人や少年の近くへと一歩と前に出るのだ。


「急げ、バルドッサ……もう時間がない」


 「ああ——ブロム、ガレッタを頼む」


「う、うん……ごめんね、ガレッタ」


 「そうやって謝るから意識させて気持ち悪くなるんですのよ、アナタは——は何も言わずに黙って運びなさいな」


そうして此度の舞台の役者は揃ったのだと、場面の移り変わり——幕を下ろさぬままに忙しなく、アーティーの台詞合図で次の展開に要らぬ者や物はその場を捌けさせなければならぬと各々と各々が役目に準ずるが如く動き始めて。


ただ——

ただ——これは、予め全てが決められていた物語では決してない。


この場の誰もが暗黙の内に了承し、それらが最善と状況が動き出そうと——



「——確かに、もう時間は有りませんよ。まさか、手負いの仲間をかばっている状況だから積極的には仕掛けては来ないと、この剣も単なるだと、安易にそう——お思いでしたか?」



「「「「——‼」」」」


場に居なかった、外様の彼女にとってそんな他者の事情などのだから。


そう悟っていたのは、やはり彼女を知っていたルーゼンビフォア——ただ一人。



「バルドッサぁぁあ‼」


まるで——そうだ、手榴弾のような爆弾が投げ込まれて、死を一瞬にして悟り走馬灯の如き時の流れの中でソレが何かを嫌という程に思い知らされる時間——気配を察知し、振り返ったアーティーを始めとした他の誰もが見た物は世闇の中にあって一際と存在感を放ちながら降り降りて来た漆黒の鎧兜ひとつ。


けれど——それが単なる漆黒の鎧兜ひとつで在ったのならば、それほどの咆哮はアーティーの口から放たれる事は無かったに違いない。



『——がれ失せよ——【業炎バスティーバ‼】』



爆弾が破裂するように盛大に宙に展開される蒼白い魔法陣——飛翔して辿り着くまでに終え賭けていた詠唱の終末が最期にと耳を突き、刹那の間合い——走馬灯が流れる合間に噴き上がり始める轟々とした炎——それらは、巨躯なる男バルドッサや、絆を紡ぐガレッタやブロムの背後——或いは目の前にて溢れ出した。


——このままであれば、そのままであれば、今も周辺で燻る森の樹木の瓦礫の如く炭と化し始めていたのは間違いはなく。


だが——

「【リク神焔フレース‼】」



 「そう……守りすらも攻めていく。先に邪魔を排除してから、確実に安全を確保するんですよね——貴方は‼」


けれどと、そうはさせないと義理立てて、全てを悟っていたルーゼンビフォアが誰よりも早く駆け出して突然ともいっていい殺意に脅かされたアーティーの仲間たちの前に瞬間移動と見紛う程に立ち回り、オレンジ色の焔を噴き出す槍を地面に突き立てて庇う動きを魅せたのだ。


——噴き出した噴炎に対し、また等しく同じ熱量の焔を盾とする。

そうして拮抗する力と力——衝突し合う二つの炎は各々と逃げ場を求めて左右に別れ、そこに在った悲運の樹木の群れ群れを巻き込み、灰も残らぬ程に一瞬にして焼き尽くしていくのだろう。



「——久しいな、ルーゼンビフォア……遅いのでコチラから出向いてやったわ。迷子にでもなっておったか、それとも暗がりの森は怖くて進めない性分であったか」


やがて鳥が翼を開くが如く左右に広がるは、昼にでもなれば分かろうか照る事も無い広く壮大な炭の色。止めどなく思える程に世界に広がる衝撃が、月が固唾を飲んで見守る中で広大な森を揺らし、膨大な熱風にて部隊を整えていた。


その中で彼女は宙に浮いていて。


屈強な体も無く、振るえる腕脚も無く——ただ、鎧兜ひとつで地に立つあらゆるものを見下げるように宙に浮き、神——いや、悪魔のように業々と燃える炎の情景の只中で地に創り上げられていく黒き台座に降り立つのだ。



「少し身の程を知らぬ輩に絡まれていたもので……良い動きでした、レヴィ……後で褒めて差し上げますよ」


そうして畏敬、威光を知らしめるが如く——とにかく尊大に、唯我独尊と振る舞う漆黒の鎧兜が徐々にと黒き硝煙を解いていくように消え失せて美しき黒と白の髪を持つ頭しかない怪物が言葉を放つ中、


彼女の放った嫌味皮肉に言回しに言葉を返しながら、彼女の強襲を防いで魅せたルーゼンビフォアは己の背後に在る光景に振り向きもせぬままに彼女では無い彼女に言葉を紡ぐ。


「……」


そこに在ったのは己と共に即座に動いて前に立ち、命じられた通りに守るべき対象を守り彼らの代わりに猛火を浴びて黒焦げに染まり倒れた一人と言って良いかも分からぬ怪物の姿。


「た、助かった……大丈夫、ガレッタ?」


 「え、ええ……私は大丈夫ですわ」


一人の少女を庇うように有無を言わさずに振り向いて少女に覆い被さった割腹の良い少年。


「無事か、バルドッサ」


 「——ああ……俺も問題ない」


少しすすで汚れては居るものの、炎には耐性がある様子の岩石化する肉体を操る巨躯の男。


嗚呼——未だ、誰もが犠牲にならずに済む現状——そのような状況を鑑みれば、仰々しく齎された破壊の凄惨さと降臨した彼女の脅威を語れども、結局は何も出来ぬ森が酷く燃え尽き始めているだけとも言えるのかもしれない。


だが——少なくとも、それもまた——


雁首がんくびは揃っておるようだ……ふん、少なくとも我が本気で暴れられるくらいには持てば文句も無いが——今の腹持ちでは、些か少なくも思えるわ」


単なる導入——ここよりと始まる災害災禍の予兆の一つに過ぎぬと、飽きもせずに語ればならぬ事であろう。



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