第158話 龍の姫、2/4


「ふぅ——……【龍連華デュエレード】」


これまでとは何かが違う。何が違うかと問われれば、握った拳が跳ねる事は無く、拳撃を放つ事も無く、『はす』の文字が違う事。


ただ天使アルキラルの中にある魔力の流れが膨れ上がり、気配の激しさを増していくばかり。さもすれば跳ねているのは彼女の中に内在している——あらゆる力の方であるのかもしれない。


「あら。あらあら、凄いわね……もしかして、デュエラの事を強くしてくれたのは貴女なのかしら。んふふ……デュエラの成長速度にも納得だわ」


さしもの余裕を魅せていたマザーですら、覚悟の滾るアルキラルの様相に女帝の威光を揺るがせぬものの称賛の言葉を彼女へと贈る。


動ぜぬままに吹き荒ぶ乱流を自ら起こし、逆立つ銀髪と清廉せいれんと輝く蒼い瞳が想起させるのは広大な蒼の天空。


禍々しきマザーの魔力の圧をはねね退けて清々しくもある威圧を刺々とげとげしく敵に向けていて。


そこから始まるのは言わずもがな、怒涛の攻撃。


「——口が裂けても、そのような事は言えませんね」



 「行きます‼ 【龍土起デュダレト】」


まぶた一撫ひとなで、瞬きの刹那——省みるのは如何な想いであったろうか。流れるように腰を低く落としながら後方にすべらせる片足、踏み出した前に残していた片足と共に容易くと地を砕き、鋭い大地の破片を共連れに彼女は死線を越える。


己が生み出す流れの中に左右転々と攪乱の動きにて踏み砕いていく土くれを巻き込んで跳ね進むアルキラルの肢体——特に周辺の拳に纏う破片は凄絶せいぜつな砂嵐にでも巻かれるが如く猛烈な勢いで彼女に付き従い、拳を軸に回る回転刃の様相でマザーへと迫る。


「でもね、私はデュエラと話したいのよ。殺しはしないから、邪魔をしないで貰えないかしら」


とはいえ、とでも言うべきなのか。強大無比なマザーにとっては、それすらも児戯なのか。刃の如き土の乱流に包まれるアルキラルの拳は、難なくと未だ乱流の刃拳じんけんと化していない手首を弾く事でしのがれ、あまりにも呆気なく紙一重でかわされる始末。


だが——、

「断ります。私は彼女を連れ帰る、その為に此処に来たのだから」


 「【龍種唄デュレスティマ】」


それでもとが流れを極めたアルキラルの拳技けんぎであるようだった。突き出した拳が弾かれ、いや——弾かれたが故に水平に開くアルキラルの腕の先で暴れ回る土破片の流れが、その真価を発揮した。


圧縮された拳を包む力の流れが、土を巻き返し——時を経る毎に多くの大気を巻き込んでいく。


風の音が、強く鋭く吹き抜けて。


——土が掘りこされる程の力であるならば、風も容易に生まれよう。

まるで、合唱でも始めたようであったのだ。


腕を弾かれて体勢を崩したアルキラルであったが、それも束の間——彼女は周囲に生まれ出でる風の奔流に乗って回れ右へと踊るように淀みなく目にも止まらぬ速さで幾度か回転し、僅かに空へと浮いた足を真っ直ぐに掲げた踵落かかとおとしを繰り出すに至る。



何故なぜ? 貴女達は何か勘違いをしていると思うわ……私はデュエラを傷つけるつもりなんか無いのよ、むしろ守りたいの。貴女達と同じくね」


 先ほどの拳をかわしたが故に僅かに反り返って居たマザーの姿勢、それでもやはり容易に体をひねってアルキラルの踵落としを片腕で受け止める。


踵落としに込められた力は相応の物だったには違いない。


衝突の直後、周囲の——特に踵落としを受け止めたマザーの直下を中心に、月のクレーターや隕石落下の痕跡のように地底の岩盤が沈み込み、衝撃波が大空洞に盛大に走ったのだから。


「世界は残酷……弱い子に居場所なんて無い。そうでしょ? ましてや石化の呪いで世間から忌み嫌われるメデューサ族は特にそうじゃない?」


「……」


それでも——揺るがないのだ。衝撃波にあおられた後、思わずと砂埃から目を守った少女デュエラが様子をうかがい直すべく急いで振り向くも、アルキラルと対峙する母の如き怪物の口調は息も切らさずに変わらないまま。


「【龍光景デュリグミト】」


 徐々に周囲のあらゆる流れを己に引き込みながら強さを増していくアルキラルが踵落としを受け止めたマザーの片腕を足場に、空へと跳ね上がりながら拳の連打による恐らく魔力の弾丸を無数に放とうとも——



「……弱い事は罪、裁かれて然るべき。競争の後に淘汰とうたされていく——負ける事は哀れで、悲しい事よ……そんな想いをデュエラにさせたくはないでしょ?」


語る言葉の現実性——説得力を表すように軽く次々と飛来してくる魔力の拳圧を片手の動きのみで弾き、あしらう強大なマザーのたたずまい。時を経る毎に確かにアルキラルの気配様相も遥か強者の高みを想起させてくるが、それでもまだ届かない絶対的な理不尽がマザーの態度には滲み出ていて。


心苦しくなってくる。見れば見る程に心が苦しくなってくる。


「愛する子供を立派な強い子に育てる。大人の責任よ。ね?」


 「【龍水撒デュノルディアレ】」


己の為に再びと地に降り立ち、這うような体勢から見下ろして微笑むマザーと目を合わせて地面スレスレの——盛大な津波の如き魔力の放出を伴う足払いを放つ背中を見れば見る程に、無茶無謀に挑み続ける虚しさを感じて心がキュッと締め付けられて。



「——そのやり方が、……頼んでも居ない半人半魔の禁忌を彼女に侵させる事だと、世界を知り、強者である貴女が監視し続け、庇護ひごする事だと」


不謹慎だとは解っている。アルキラルは少女を、己を助ける為に戦っている。

だからこそ、心苦しく——未だに目の前で繰り広げられている戦いに割って入れぬ、逃げる事すらままならぬ臆病な己が許せなくもあって。


少女は只、ジッと心を締めあげながら下唇を噛むように彼女の背を見続けていた。



「んふふ。子に力を受け継がせる……母が子を見守り、強く育てる。自然な事じゃなくて?」


「あの子は貴女の物では無い——まして貴女が、彼女の母で在ろう筈がない‼」


 「【龍発芽デュエナリア‼】」


——何を、伝えたらいいだろう。何を、伝えられるだろう。


少女の苦悩のその頃合い、恐れの眼差しを背に痛いほどに浴びながら天使は想う。

己も彼女の母では無い。言えた義理では無い。


津波の如き魔力の放出の直後に岩盤を叩くように、或いは風に揺らぐやなぎを捉えるように間合いを詰めながら無数の乱打を放ち、考える。


「血縁なんかにこだわるのは、さもしい事よ。重要なのは愛しているかどうかだけ」


その通りかもしれない。では、己は少女を愛しているか。

少女との間で育んだ記憶は無い——では何故に神に逆らってまで此処に至り、少女の為に懸命に戦うのだろう。


原点に立ち返ろうや、その答えは見えてこない。



「私が問うているのは、彼女の意思を他人の貴女が尊重するかどうかです」


無数の乱打の終わり掛けの一撃に己が胸に込み上がる想いの何かを、己の攻撃を容易く凌ぎ続けるマザーの掌へと叩きつけるアルキラル。


そして無機質で冷静に見える感情の希薄な蒼い瞳には、それでも——確かに、未だ言語化できていない答えが滾っているようにも見えて。


「それを納得させる為に——話がしたいのを邪魔しているのでしょう?」


「彼女が納得しないと言っている‼ 貴女の都合で彼女の体の中にの何がだ‼」


込み上がる憤り、と同時に満を持したようにアルキラルの身の周りに纏うように集まっていた力の奔流が臨界点に達した様子で一瞬と慟哭し、膨れあがった。



「【龍摘廻デュルキラ‼】」


此処に至るまで、さんざ荒ぶらせていた周囲全ての流れが——まるで一つの場所に帰結するように、背後に跳び退きマザーとの距離、間合いを取ったアルキラルの右足へと収束される。


そうして——やがて至るは金剛石の如き輝きを帯びる蹴りの重く鋭い一撃。



「——何故それが貴女に分かるのかしら。貴女だって他人でしょ? 本人から直接聞いたとでも?」


対するマザーも辟易としつつあったアルキラルの連撃への対処から解放されて、今一度と己の声を、意思をハッキリと伝えようと両手を前に差し出して腕のじり絡ませるように僅かにひねる拍手の構え。


「っ——」


先ほど、目の前の全てを——母に牙を剥いた娘のアドレラを、彼女の配下の数多の蛇を、自らに従う無数の蛇の何もかもを一瞬にして遥か遠くに吹き飛ばしたマザーの技が跳んでくる——


自身の足に集約される流れの数々を制しながら恐らくと巨大な破壊を生み出すだろう蹴りを繰り出そうとしたアルキラルは歯を噛んだ。


もう今は、遥か高き大空洞の天井へと跳び上がって難を逃れた前回とは違う。


前回と比べてしまえばマザーの技の発射点の眼前——アルキラルは当然と覚悟を決める他は無い。



「ね、デュエラ。貴女は——どう思う?」


対して相手の力量を図り、何の事は無い相殺の構え。まるで既に難局を退けているかの如く首を真横に傾げて前方のアルキラルの背後で腰を抜かしたままの少女に微笑みかける母の如き怪物。


「【母地一喝メグル・リディオ】」


未だ何一つと、予想外の事は無い。

何一つと、母は御見通しと宣うだけのように、子の尻を拭うが如く、手は——叩かれた。


蹴りを放つと同時に、手は——叩かれた。

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