第150話 正しさ。4/4

——。


 吹き荒ぶ猛風が渦を巻いて輝かしき羽毛をさらい上げ、ほとばしる花火の如き白光を散らした後に真なる姿を取り戻しゆく静寂の森。先ほどの喧騒が嘘であったかの如く訪れたは、あまりにもに——しかし重々しき空気ばかりを避けて食べ残したかのような無惨さを想わせた。


「騒々しくわずわしい羽根を散らしていきおってからに……貴様らも、いつまで呆けておる。座って休め——だが、気を抜くでないわ」


台座に鎮座す漆黒の鎧兜に引っ掛かる白き羽根を毛嫌って、黒き煙と共に兜の裏に秘められた白黒の髪を溢れ出し、胴と首の別たれた魔物デュラハンのクレアはその凛とした顔をあらわにさせて外界の空気一吸いを直ぐ様にと押し返す。


「……本当にだけで大丈夫なのですか? イミト殿の力量は理解しているつもりです……しかし、もう一人の方は——」


それは残されて倒れかけの魔女を抱えて立ち尽くす彼女の無様を嘆いての事か、尚も醜態を垂れ流すように、すがりつくように向けられる眼差しにクレアの眉間にしわが些かと寄って。


或いは輝きを失いて崩れ落ちる砂の如く世界に溶け消えゆく天使の羽毛、その煩わしさに彼女の機嫌は僅かに損なわれたのだろう。



「今の貴様らよりは役に立つであろうさ……セティスを寝かせ貴様も暫く休め。その間に緩んでおる貴様らの半人半魔の術式も組み直しておいてやる。二度は言わすなよ」


「「……」」


挙句、己は無様な者たちの子守にも等しい役目を押し付けられて、反吐が出るような静寂の退屈が蝕んでくる事が酷く身に染みる。昼間に始まった戦いで帯びていた熱が冷めゆく——嗚呼、無様たるは己もまた等しくか。


「どのみち力なき者が、力ある者の選択をあらがい止める事など叶わぬ。余力を残せる程の力を持たぬ己らの不甲斐なさを噛みしめるが貴様らに与えられただ。享受きょうじゅせよ」


閉塞感の有る森の中であっても、やけに空間に空白の虚無を感じる一幕、慌ただしい喧騒が過ぎ去りて殊更に際立つ情景を見据えた眼差しの裏で、さもすれば放たれた些か鋭き言ノ葉は己にも向けられていたのかもしれない。



「——だが……バジリスクの姉妹のを相手取り、、そして今も生き残っておる。もはやとも言わん……我などは姉妹の一柱も倒しておらんからな、口ばかりと言われても致し方ない身の上よ、まったく」


しかして森の静けさの中であろうとも、木ノ葉一片ひとひらから伝いしたたる何処よりと遅ればせながら結露したのであろうしずくが堕つるのと同じく、行き場の無い彼女の想いは徒労の息と共にまぶたとばりの向こう側に秘められていくのであって。


真実は、決して口外されぬ胸——心の内。



「……何を仰いますか、クレア殿の支えなくば、どの戦闘もこうまで上手く行かなかった。トドメを刺した功ばかりを誇る訳にも行かないのは事実……我らにイミト殿に返せる言葉も無いのもまた同じなのでしょう。分かっているのですよ、解って、居るのです」


唐突に告げられた厳しさの合間の、夢幻ゆめまぼろしの如き触れれば瞬く間に弾けそうな泡沫うたかたにも似た意外な人物からの思いも寄らなかったねぎらいに、僅かに目を見開いて——されど、あまりに手放しでは喜べぬ状況。


時の流れと猛風に押され弾かれた願いの欠片を今は拾うように腰を低く落としつつ、女騎士カトレアは抱きかかえている魔女を再びと寝かしつけながら悔しげに、しかし自制に努めて静かに言葉を返すばかりに留めて。



「……傷の舐め合いだな、みっともない——このもどかしさを晴らす敵が来る事を願うばかりだ。戦略的に同意したものの、退屈ほどに身を焦がすものも無いな」


そうして増々と時を経る毎に尚も空虚が広がり色合いを増す暗闇の旅情——彼女らを繋ぐのは、あまりにも細く容易く千切れてしまうような現状の無力に対する共感と、今や床に落とした氷が常温に戻りながら溶け出していくような遠ざかりの気配のみか。


戦争の日和の一つの区切り、一転して暇を持て余すような小休止、激動の反動、ある意味でのに様々な思考の余白、情感が沈黙と言う所作の中で溢れ出していく。



そんな折、それは或いは——ほんの気まぐれ。


「少し——をしてやろうか。些かと無様に生きて、この地に流れ着いた……他人の為に生き続けて、この地に至るまで何も……何か一つと己が望む事すら得る事の出来なかったの——あまりにも退屈で数奇な人生の話を」



「「……」」


さもすれば退屈を与える世界への報復。黒白の織り交ざる長い黒髪を、すっかりと暮れた漆黒の夜の中で凪海なぎうみの如く波打たせるクレアは、意味深長に暇潰しの口寂しさを埋め始めた。


天使が残した羽根もまた、もはや風前の灯と全ての光を失う頃合い。


「貴様らは、己が己だと自覚した時——己となった時分の記憶を覚えておるか。そのような事、問われなければ考えもした事が無かろうと思うがな」


闇深い森の深奥より放たれるが誰の事を指す昔話なのかは、密やかに耳を潜めた魔女と騎士の二人には明白だったに違いない。ゆるりと開かれた口から紡がれる言葉を何の違和感もなく受け入れて阻害せぬように呼吸や声を潜める気配を強く滲ませる。


「その男の原点は、ただ広い空と——学び舎で遊び回る子供らの甲高い声が耳障りに響くだけの平穏で退屈な一日だった」


嗚呼、嗚呼——聞かなければならない事だった。聞いておかなければならないと思える事だった。


無意識に察していたのかもしれない。



「勝てば卑怯だと責められ、負ければ道理だとあざけられる。酷く平穏な——退屈な生き地獄、男はその日……何の事も無く、ただ世界の欺瞞ぎまんと己の役回りに初めての絶望したのだろう」


何故、何故なにゆえに、彼女が此処に居たり、らしくもない——他人の昔話の語り部を暇潰しに選んだのか。その本当の理由を、言語化を拒みながら察せざるを得なかったのかもしれない。


そして——。


***


 その頃、やはり男は風に恨まれていた。なんの遠慮も無く黒き二輪自動車の猛威を盾に平穏に夜を過ごそうかという世界の静寂を掻き乱し、当然の報いのように生まれ出でる風音の恨み言に耳を裂かれながら夜空を進むのだ。



「……本当に宜しかったのですか。彼女らとあんな別れ方をして」


ちょいとくもりなき空を見上げれば満天の星々のきらめき、過ぎ去りし太陽に代わって御機嫌を放つ満ちた月の光があるにも拘らずと宣うように漆黒の闇深い煙に塗れて先を見据え続ける男へと、


背中に抱き着く格好の執事服を着た天使が耳の後ろに片手で銀の髪を掻き上げつつ殊更に男の背に密着の度合いを強めつつ耳元まで近づいて問えども、動揺の欠片もこぼれ落ちはしない。



「——まるで浮気女のピロートークみたいに他の女の話を得意げに聞くなよ。お互い、二回戦に突入する暇は無いのは解ってるだろうに」


そうして男は言った。風音が荒れる旅路で、天使にその返答が届いたかも分からないまま。


「良いんだよ、正しさなんてのは後付けで他人を批判する方便やら現状の不満から逃げる為の結果論の詭弁きべんに違いねぇんだから」



 「それに今日で終わりにするつもりは、当然——あってたまるかってな」


——彼女らの尽力が間違いだとのたまう正しさなど、在ってたまるかと怨み晴らすが如く、曇りなき夜を堂々と往く。

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