第150話 正しさ。2/4


それでもイミトは自身への諫言かんげんを無視するかの如く、


「——クレアとでセティスの退を頼む。言われなくても無理はしねぇさ、直ぐに帰ってくるよ」


無理矢理にと会話を進め、暗がりにて静観していた黒き台座に鎮座するクレアのみに視線を流して彼女らから更に数歩と離れ始めていく。


——何故だ。何故だ。何故だ。

そのの意味が、今のカトレアには解からなかった。


「なっ——馬鹿な、その方とに向かうというのですか‼ 危険です、あまりにも‼」


ただ一声——寄り添って目を見て言葉を掛けて貰えればいい。たったそれだけの時間の遅延を惜しむのならば、此処に戻る事そのものが時の浪費に等しいのに何故、単なる声の一掛けを惜しむのか。


その事に対するいきどおりが先を行き、男の無謀な独断も相まって殊更にカトレアの声は荒さを増してゆく。


けれど、男はやはり軽薄を装って、装い続けて。



「クレアが居たら危険じゃないんだってよ。信頼されてて何よりだな、クレア」


怒る事すら馬鹿らしくするような普段通りの冷笑で茶をにごすかの如く去り際の言葉をつむぎ続けた——そうして彼の背中越しに膨れ上がる魔力が周囲の白き羽毛を吹き飛ばしながらを巻き始めれば、それは彼がを始めた事を明瞭に示している。


「——ふん、単なる事実であろうが。それで言うなら貴様が信頼されてらんという話だ」


「茶化さないでください‼ クレア殿も……正気ですか、彼を一人で行かせるなど、と言わざるを得ません。戦地に赴かない事も、なにより——」


何故に、他の者たちは彼のを止めないのか——別件でくすぶり沸き立ち始める感情が、当面のいきどおりの火種と混ざり合って怒りの矛先が変わっても尚、八つ当たりのように語気は強まったままに飛び掛かる寸前のような勢いでカトレアは状況を全て把握している様相の他の者たちにも食って掛かるのである。


だが、どうであろう。彼女の、言い方を悪くすればを満たして落ち着かせる事は兎も角、彼——ひいてはカトレア以外のにとって、それを語る必要があるのかははなはだと疑問。


こと此処まで詰まった状況下で、むしろがあるのかもしれない。



「……我とソヤツは、もう今は。そこの阿呆が野垂れ死のうが我が共連ともづれに死ぬ事は無い」


カトレアがイミトの無謀を止める為にを持つであろうクレアを論破すべく放った説法に対する答えもまた、カトレアにはの一つであって。


いつから、そうであったのか。さりげ告げられた衝撃的な事実に、虚を突かれ、静やかで揺るぎないクレアの言葉の圧に圧倒され掛けるカトレア。


——人と魔が合わさる禁忌のすべで、魂が繋がっていたはずのクレアとイミトが、いや——それだけでなく、そのようなものでなく、何処か強いがあると、それがであったと思っていた物が、いとも容易く崩れ去る。


イミトに迫る——彼が自ら向かおうとする死の危機に対するクレアの言動も、あまりにカトレアに取っても思えたのだ。


解っている、分かっている。


彼を——イミトを止める事が、敵に連れ去られた少女デュエラを見捨てる事だという事は。


イミトが、己らが己の無力がゆえに守り抜く事が出来なかった少女デュエラを疲弊し切ったに助けに向かおうとしている事も。


分かっている、解ってはいるのだ。彼女とて。


「そんな……いや、だとしても——足手纏いながらセティス殿の事ならば私が命を賭して守ります、我々に戦力をいて、結果として目的が果たせぬようなら本末転倒——‼」


それでも二律背反にりつはいはんの感情、密やかに心の奧で掛けられて揺らぎ始める天秤てんびんはかり。どちらも死してなど欲しい事など決して無いが、このままであれば何方どちらもが失われかねない。


カトレアの眼が見据えるのは途方もない非情な、映るのは不信不安の脆弱ぜいじゃくおびえ、せめてもの希望にと圧倒的強者であるクレアの随行ずいこうは叶えたかった。


無事を祈れる、彼の帰還と少女の救助の達成を願える、僅かばかりでも不安を拭えるを強く欲していた。


だからこそ、カトレアは彼が己らからそむける彼の顔も見ておきたかったのかもしれない。


「子供のようにわめくな。セティスの夢見が悪くなろう」


 「……で、ですが」


けれど——やはり数多の人の手を用いようとも収まる事がかなわない広き世界は、カトレア如き一個人の心情に配慮を贈る事など決してなく。ただ連綿、カトレアにとって言葉をさえぎるクレアの美しき黒髪がそうであるように鋭く望みの前に立ちはだかって気圧けおすばかり。


「貴様らの力量不足や体調をかんがみて戦力を分ける訳では無いわ、タワケが。戦略として必要に応じて戦力を別つのだ——視野を広げよ、カトレア。憂慮すべき敵はだけではあるまい」


彼ら個々人を取り巻く現状、勢力とは個の集合——或いは延長、様々な結末を求めて渦を巻く人々の蠢き、それらが対立して生まれゆく奔流。その流れの中で、カトレアの願いのみに配慮される事が有ろう筈がない。


クレアの制止の最中も膨れ上がり を持って黙々と準備を進めるイミトの背姿もまたその一つに過ぎず。


「ツアレストの追っ手ですか——それともこの期に及んで、私が裏切るとでも」


「馬鹿者。いつから貴様は我らと何の目的で旅をしておるのか……を始め、我らの命を狙うの事を忘れたか」


吹き荒ぶ冷ややかな夜風と、不安をあおる森の音響。たとえ人類にとってせわしない戦争の日和であろうと当たり前に続く密やかに鳴き始めた夜の森の虫々、鳥獣のいとなみ——あまりに世界は広く、皆等しく与えられた時の中で同時進行に、言ってしまえば無関心に事を進めゆく。


で、あるからこそ考えなければならない事は多いのだ。

自らのを叶えたいと思えば殊更に。


「——‼ いや、ですが現状、それらの勢力はこの戦争には——」


 「そもそもイミトやデュエラにバジリスクの用向きや因縁があったとはいえ、我らにバジリスクの騒乱を始めとして我の体を持っておる鎧聖女の情報を匂わせ、城塞都市からであろうが。何も仕掛けて来ぬと考えるは脳が足りぬ。違うか?」


「……」


当然、カトレアばかりでは無いのだ。何らかの目的や願い、様々な思惑を持つ者はカトレアばかりでは無い。


イミトやクレアもまた然り——カトレアよりも些かと視野を広く、先々を見据える彼女らの果たすべき目的も手法も、少なくとも目先のモノを欲したカトレアよりも優れ、正しいと言えるのかもしれない。


「獲物を取る瞬間——或いは相手が疲弊する戦争の終盤に攻勢を仕掛ける為に戦力を温存する……戦定石いくさじょうせきの一つであろう」


「希望的な観測をしておるのは貴様だ。この阿呆がバジリスクとの戦いで倒れるより、勝ちを取ったその後で貴様らを人質に取られて無様に死ぬ未来よりはマシであろう」


正しいのだ、確かに。酷く冷静で客観的で——イミトがこれより行おうという無謀よりも、遥かにクレアが語る危惧すべき未来の方が実現性が高いことは否めない。


返す言葉も無く、気付かされれば何方どちらが正しく冷静な判断かなど分かり切っている。


そんな折、森の落枝らくしを踏み折って散る羽根と共に静やかにカトレアへと近寄る足音が一つ。


「——お気持ちは察します。運命に翻弄される騎士カトレア……差し出がましいとも思いましたが、コチラを。皆様をお待ちしている間に回収しておきました」


「……水竜の剣と水鏡の短剣」


差し出されたのは天使のほどこし、細やかな慈愛じあい。つい今しがたの夜前の昼下がりにて命を懸けた化け物たちとの殺し合いで失ってしまったと思っていた女騎士カトレアの名も並ぶさやに納められた姿で視界に跳び込めば、


その家宝と呼ぶに相応しい絢爛けんらんで威風堂々とした武具の出で立ちもまた、彼女に児戯のような駄々を律し、正しい振る舞いをせよと勇猛に述べるようで。


みっともなく。みっともなく。


「戦う為には必要でしょう。逃げる為では無く、前を向き——進む為に」


 「……」


正しさとは何かと彼女は内々で問いて、押し付けられる正しさに無力感を禁じ得ぬ故に生まれる悔しさ、口惜しさで受け取った家宝の武具を強く握り締める他は無い。


「彼の事は、私にお任せを。必ずと共にアナタ方の下にお返しいたします」


葛藤で摩耗まもうする心、迷い迷って散り散りに整わない思考——このような感情に至る判断が果たして本当に正しいのか、頭では——理性では簡単に理解出来ている事が心の奥底では未だに納得し切れていないのだ。



「——くく、信じる者は救われるそうだぞカトレアさん。まぁ俺は、そんなもんで救われた事ぁ無いけどな」



 これまでの、どの瞬間よりもカトレアは、悪魔のように世界をせせら嗤う男の冷笑を理解する事が出来ずに居て、どんどんと突き放されていくかの如く彼の声が、彼の姿が今までの如何な瞬間よりも遠く、遠くのものに思えている。


少し駆け出して、手を伸ばせば——そこに居るはずにもかかわらず。

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