第146話 現世転生。1/4


 黒紫につやめく長い前髪の暗幕をサラリと掻き分けて、表舞台に引き摺り出すのはメデメタンが隠す焼けただれ、或いは肌が腐り落ちて血管や眼球が剥き出しになっているような顔色。


「アド……姉様……」


などという摩訶不思議で明らかな矛盾をはらむ現状を目の当たりに、前髪を暖簾のれんのように捲られて頬に当てられる手のぬくみ——さもすれば冷たさ、どちらにせよ己の体温とは明確に違う差異に鳥肌が立つような想いで声を震わせるメデメタン。


——姉が浮かべる表情は、しゃなりとした——いつもの余裕に満ちた微笑み。



「ホンマ酷い顔やわ。メデューサ族のあらわれやなんや知らんけど、母様も綺麗にのに……になぁ」


紡ぐ言葉は、さもすれば今まで聞いた事も無かった姉の本心か。

決して嫌悪は抱いていない。抱いていないように見える。


ただ真っ直ぐに這いずっていた泥だらけでもある己の醜顔しゅうがんを見つめて、心の底から同情を禁じ得ないと言ったつややかな溜息ためいきを漏らす様にも、あわれみ以外の感情は無いようで。


を見られたなくて、表にも出んで引き籠ってばっか……他の妹らとも遊ぶのも億劫おっくうになって」


「アンタは、こんなにも家族想いのええ子やのになぁ」


蛇の肢体のうねりの如く片手から両手で前髪を掻き分け、妹の頬を両手で支えて己の視線から逃げられないように抑え込む——あまりにもが、そこにはあった。


嘘は無い。嘘は無い。

腹の内に安穏としない、メデメタンが耳を塞ぎたくなるようなを抱えながらも。

嘘は無い。嘘は無い。


だからこそ、心をえぐるような鋭利さが研ぎ澄まされているような気さえして。


一方で、

「……っ」


「お兄さんは、も少しの相手をして貰いますで‼」


もう一人の長女アドレラははたから見れば仲睦なかむつまじき姉妹の会話を邪魔させまいと遠目で眉をしかめる化け物に巨大な扇子や柔軟な体を利用した止めどない殴打や蹴りなどの体術を振る舞い続ける。


相手の攻撃を弾く扇子や手下の蛇を足場に変えて、地より噴き出る人骨亡者の強襲や化け物の男が繰り出してくる槍の一振りを器用に交わしながら地に足を付ける事もなく淡々と時を流し続けていた。


——のは、であったろう。


「何を……するつもり……」


なにて。別に怖い事やあらへんよ。家族水入らず……元通りになるだけ。あっちの兄さんがやっとる事と似たようなもんや。の相手するんなら力を合わせんと」


被害者面をしていたのは、どちらだろう。


「最初は、ちぃと……苦しいかもしれんけど、我慢出来たら、わっちが優しくしてあげるさかいな」


頬を抑える両手でメデメタンの視界を固定し、己の穏やかな表情にだけ集中させる中でアドレラの背後で蠢くのは彼女の和装束の着物のすそから這い出てくる大蛇の数匹。


「ガルちゃん……アルちゃ……メルちゃん‼ 辞めて……ね、姉様……」


そしてキョロリと顔の位置を固定されながらも視界を端々動かして蠢く蛇が横たわる妹達の絡み付く様に凶兆を察してメデメタンは懇願こんがんした。


頭部を破壊されて尚も生き続け、自己修復能力が備わっていると言えど未だ意志が宿らずに動かぬ肢体、アドレラの従える大蛇達が妹達を楽々と丸飲みにする様を想像する事は容易な事で。


企みは薄々と察する。アドレラは力を求めている——背後でと戦う化け物が、確かに大勢の強力な魔物たちを自らの肉体に取り込んでを得たように、自らの肉体に妹達を取り込んでさせて、魔力や肉体共々に怪物と成り上がろうとしているのだろうと。


しかし、今や下半身を失い——這いずるだけで精一杯の満身創痍でもあるメデメタンにそれを阻止する術が有ろう筈もない。


だった——


『あー、やっぱだな。


彼の声は、時折と

耐えて耐えて、迷い迷って、待ちかねた挙句にのだ。


「——溶け……や、気を付け‼」


を抑えていたもう一人のアドレラの眼前にて、彼の言葉の通り——は崩れる砂場の城の如くとなって溶け消えて。


「「——‼」」


警告が走った直後にはメデメタンを抑えるアドレラの傍ら、まるでが巨大な鎌を振るうが如く腕を振りかぶらせて赤い瞳がたぎらせられる。


化け物の男が消えて、新たに現れたるその男の名は、イミト——デュラニウス。


「俺は、それでも——ぇ‼」


メデメタンが下半身を失う一撃を喰らう刹那に一瞬だけ垣間見た、暗き闇の深奥に潜むただ一人ひとりの人間。


所々と水溜りになる黒き泉の一つから跳び出すように躍り出て、彼は真っ直ぐな槍をしならせ、メデメタンを抑える為にかがんでいたアドレラへと襲い掛かったのだ。



「くっ——んか‼ どないなになっとんねん‼」


さすれば堪らずと攻撃を受ける事を嫌って這いつくばる妹を置き去りに咄嗟に跳び退いてイミトの攻撃をかわすアドレラは、予定外の行動を強いられて思わずと不平不満を露に語気を強めて言葉を荒げる始末。


けれど——


「アド姉様‼」


置き去りにされたはずの妹が気に掛けたのは奇襲を受けた姉の安否。

あくまでも家族の心配ばかりで。


「……ホントに良い女だな。あんな事を言われて、こんな状況になって」


そんな彼女に対し、半ば呆れ気味ではありながら横たわる彼女の妹達——アルティアやメルメラに絡みついていた蛇を槍で串刺しにして薙ぎ払いながら称賛の言葉を紡ぐ


「けど選べよ。選択肢は三つだ」


しかしながら傲慢に思いつつも、思うが故の——再びと、いや未だに一固まりになる事が無く周囲に散りばめられていた彼の黒き魔素が、これまでとは比べ物にならない程に——まるで泡沫うたかたの夢が覚めていくが如く彼の下に渦を巻くようにつどいて凝縮され、黒装束を形作る。


その瞬く間に巻き起こる事象の果てに現れるのは、きっと恐らく紛れもない彼がここに至るまで明かしていなかった姿


最初からのだ。

全てが——彼の魔力が産み出したでしかなく。


そして今や、偽物の人形から流れ続けていたは途絶え——名残は赤き瞳と肌に走る黒の刺青くらいのものだろうか。



「俺と一緒に母親を殺すか、お姉ちゃんと一緒に母親を殺すか、俺と協力するフリして後で俺に殺されるか」


目まぐるしく変わる状況の変遷、足下で這いつくばるメデメタンが顔を見上げて前髪を掻き上げて一息を吐いたイミトの様子をうかがう中で、放たれる鋭い一瞥いちべつが彼にとってメデメタンに差し伸べられる唯一の掌だったのかもしれない。


メデメタンの尊厳や意思を無視し、身勝手な善意で彼女を抱きしめて彼女の存在をたっとび、褒め称える事など——ましてなぐさめる事など出来ようはずもない。していい筈も無い。


母を殺すと宣い、妹たちを大いに傷つけ、彼女自身の下半身を切り裂いたのも己だ。

その選択に後悔こそ無いのだろうが、今さら——死なせたくないなど、仲間になれなどと真っ直ぐに言えた義理も無い事ははなはだ理解している。


幾多の魔を喰らいて肥やしとし——数多の命を蹂躙じゅうりんし尊厳をはずかしめるような赦されざる禁忌を犯そうとも、しかしそれでも彼はであった。


彼は未だに、であり続けていた。


或いはが、であったとも言えて。


「逃げ場は無い、未だに何が起きてるか分からねぇつらでボケ倒してる連中も——流石に手負いのアンタが妹達を抱えて逃げる姿を見たら放っとかないだろ。そっちを選んでも良いけどな」


嗤いも込み上がらぬ程の滑稽こっけい、あまりにもな非合理、みっともない自己矛盾。

紡ぐ言葉が白々しく強がり続ける脅迫の体裁だけが匂う脅威なき脅し文句に他ならない。


挙句——譲歩に至り、打算の提案。


——彼はいていた。

自らが招いた論理破綻の穴、淀んで波立つ覚悟の無様を見られる事を嫌って精悍な顔を創り続けていた。


だから、だから——彼は急いていたのだ。


「他人様の家族の事に、口ぃ出さんで頂きたいもんやわ‼ ホン——マ⁉」


「……やべ」


「なっ——くっ‼」


予定が崩されて、虚を突かれて、手を抜かれてマトモに戦っていなかった、魅せられていた拮抗きっこうしているという勝負の様相も演技だった、騙されたと憤慨し、再び彼から妹達を奪い返そうとする字面では美談の姉の焦り冷静さを些かと欠いた動きの果て——、


唐突に空から降ってきた斬撃に身体を裂かれる様よりも遥かに無様な今の己のを——彼は、に見られたくなかったから。


これもまた、自己矛盾。


強欲に浅ましく、欲張りながらも、それ故に望まぬ展開が訪れる可能性が多く跳ね上がってしまう事を知りながら彼は己を律する事が出来なかった。


「もうそんな時間かよ、様よ」


時は誰にも等しく訪れて、故に誰かを特別におもんばかる事も無い。力の結晶として収束されて深々とした漆黒の色合いに染まる黒衣の揺らぎ、片足と片腕を一挙に切り裂かれて崩れるアドレラを他所に、アドレラを切り裂いた黒き大剣よりも遅れて地に降り立つ影ひとつ。


死に神の衣の如き朧気おぼろげで不可思議な存在感を放つイミトの格好を曖昧なと評するならば、彼女の姿はある意味でイミトとは対照的で至極明瞭——という表現に相応しきと述べる他は無く。


頭と胴が別たれる死を超越したと宣うような姿をかたどる首無しの騎士、戦場で産まれ堕ちて数百年の刻を生き、最強と謳われるまで武名を世に刻む魔物デュラハンのクレア・デュラニウスが今——この戦場に参上す。


「——もあるものだ。今しがた置き去りにしたはずの顔がもあると思えば……伝わっておった気配からが未だに腑抜けて迷っておるつらをして」


彼女は、一瞬にしてしたのだろう。


状況を理解して屈強な体格をした骸骨騎士の腕の中——漆黒の鎧兜越しに辟易と、深々と瞼を閉じたと分かる程の吐息を世に突き刺して、やがてに押し当てるようにうたうのだ。


「幾ら力を得ようと貴様の性根はりず本当に変わらぬな、鹿


彼が心の底から嗤いたくなるような、言い逃れのしようもない真っ直ぐな事実を——謳うのである。

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