第106話 凪の下層。1/4
静かであった。
不思議とその瞬間は、風も吹かず海の
「御身体が治るまで、もう少しで御座いますね。アナタサマ」
「き、貴様……がほっ、な……何の……つもりだ、ぐほっ、がはっ」
ゆるりとした佇まいで目の前の敵の倒れ伏して
路上に転がる聖騎士ラフィスは、彼女の言葉の通り——攻撃に悶え苦しみながらも徐々に砕かれていた鏡張りの四肢の修復を遂げて、もう直に立ち上がれる程の格好である。
「何のつもりとは?」
「手加減のつもり……か。今、この状況で——本気を出さない事に何の意味がある。私に体を直させて貴様に何の得……が」
確かにデュエラは明らかに手加減をしているようだった。彼女が本気を出せばラフィスが死守している腹部以外の肉体箇所は、まさしく鏡を砕くように軽々と破壊されているはずである。
しかしながらラフィスがソレを問える程の現状の展開、首を
そして少女は、語るのだ。その真意を——さも当たり前に。
「——ああ。いえ、単純にアナタサマの腹を砕く為に使おうと思っている技が掛けやすくなるから待っているので御座いますよ。それから下手に手足を砕いた状態で攻撃しても、お腹の防御に集中されてしまうそうで御座いますものです」
何の憶測も、賭け事に臨むようでもなく——確信を以って告げる実力差。たとえ四肢が正常であろうと、一対一の攻防ならば遊んでいても勝てるのだと。
少なくとも、聖騎士ラフィスには——そう聞こえたのだろう。
「……どこまでも、どこまでも——貴様らは舐めた事を‼ 【
未だ欠けては居ても握り締められ、震える拳。ラフィスは激怒した——目の前の傲慢を許して置くものかと。己の抱える、あらゆる
背後からの風を
だが——彼女は純粋で無垢な故に、虚言も壮語も吐きはしない。ただ、脳が処理する客観的な事実のみを口にする。
「——ホントに、これだけ用意できているのなら、さっさと御身体を直せば良かったのに【
湧き上がる路上のタイルや瓦礫は彼女の配下。這いずる様に、しかし一瞬にして彼女を纏う
なにも——用意していたのはラフィスだけでは無かった。
「はじ……弾いた、だと……⁉」
聖騎士ラフィスが敵に一矢報いるべく、敵の
恐らく何一つ——天に昇る流星のように去ったラフィスの渾身の一撃は欄干の少し上を通り過ぎ、何一つ傷つける事なく、空へと昇り消えていく事だろう。
「知らないので御座いますか? 地下深い暗い洞窟には……光は通らないので御座いますよ」
「
故に、ラフィスは震えた。目の前で何事も無かったかのように歩み寄ってくる怪物に細い糸目を愕然とヒビ割れる程に見開かせながら。
「——失礼で御座いますね——蛇では無く、龍なのです」
「さぁ、そろそろ立ってくださいなのですよ……そのままの姿勢だと綺麗に、全身を粉々に出来ないかもしれないので」
不吉に揺らめく黒い顔布、理不尽とも思える程に生物としての格が違うと——理解出来ないと、この時のラフィスは未だヒビだらけの鏡の身体と心で理解したのかもしれない。
「やって……居られるか‼【
「せめてコレを別の場所へ——」
それでもラフィスは運命に
全ては仲間の為——彼らが胸に秘める計画の為に。
だが——、
「あ。もうそのままで良いのですよ。良い感じなのです」
そんな想いは虚しく——彼の運命は既に
「——なっ⁈ か……べ⁉ ゴム、か」
「【
「しまった——反ぱ……がばぁ⁉」
グニャリと柔らかく歪む透明な壁は、やがてラフィスが衝突した際の勢いを吸い込み、そして元に戻ろうと吸い込んだ勢いをそのままに吐き出し、ラフィスの身体をも弾いて宙へと浮かす。
更に直後、跳ね返ったラフィスの身体目掛けて飛来するのは勿論、彼女である——鱗に酷似した岩石の鎧を纏う腕で宙に浮いたラフィスの腹部を狙い澄まして捉える打撃。
腹部の衝撃で折れ曲がるラフィスの身体は勢いを持て余し、また別の方向へと弾かれて。
「反射できるのは——アナタサマだけじゃないのですよ‼」
まるで光のようだった。ラフィスが操る光の球体のようだった。
「ぐぼっ、がっ、ぎぃや、がぐぅっ⁉」
いつの間にか周囲全方位に囲うように幾つも見えざる壁が存在し、飛び交うラフィスの勢いを吸い込み、
「ふふ……あははは‼ カタイカタイで御座いますね‼ もっと速くするで御座います‼」
「ふざけ——ぎゅゃら⁉」
何が起きているのか分からぬまま、体中にあらゆる角度からの衝撃が蓄積していくような感覚。
衝撃に耐えきれずに治りかけていた腕は
「これ
そして——見えざる壁の中を跳ね回る二つの影が交錯し、デュエラの拳は跳ね回る互いの勢いそのままにラフィスの腹部に捻じ込まれ、更に——
「アナタサマは、殺しても良いで御座いますからね。果物は——面倒がらずに少しずつ撫でるように回しながら優しく刃を入れていくのですよ‼」
クルリと一瞬にしてラフィスの背後に回ったデュエラは祈るように両手の指を絡ませて大槌を振るうが如く曲がったラフィスの腰を
「——……あばぁぁぁあ‼」
すれば、その衝撃が限界——であった。硬く、これまで硬く死守してきたラフィスの身体で、唯一とヒビ割れる事の無かった腹はついに砕かれる。
「ええ⁉ 速っ‼ でも、割れたのですよ‼」
——魔王石。
「そ、それだげ……は——ぜっだいに……‼」
封印されているにも関わらず異色を放つ
どちらの手にそれが渡るかの
しかし、その時——皮肉な電流が予兆として弾ける。
「【
「「——‼」」
求める二つの手の中央で禍々しく異彩を放つ魔王石を守るように、円弧を描く回転する雷撃は軌道上にある空気を勢いよく弾き、魔王石に近付いた二人の身体も弾き飛ばすに至る。
「……これ以上、僕の前で如何なる暴力も許しては置けない。それだけが——今の僕が選べる唯一の事だ」
そうして街路に転がり落ちる魔王石。
それを足下にフワリと電磁を嘶かせ、舞い降りる聖騎士——アディ・クライド。
「あ、アディ……」
「……。あ、カトレア様は——⁉」
求めぬ者の最も近く——欲する者の手には届かぬ、何と皮肉な運命か。黒い顔布が雷を繰り出す騎士の相手をしていた仲間を探す合間、同じく聖騎士であるはずの鏡の怪物は砕けた体で愕然とその姿を眺める。
雷閃の騎士の眼差しには——これまでに無い程の確固たる意志が
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