第105話 混濁の清流。4/5

***


その前に——その状況を創り出した魔女は今、という所に話を向ける。


「始まった。意思疎通が取れて一先ひとまずの安堵と言った所」


上空の風に薄青髪を煽られながら、下方から聞こえる音に耳を澄まして彼女の冷淡な眼差しが向くのは結界術によって抑えられている瘴気の不吉極まる様子の黒雲。


「だから、いい加減——ソチラ側も私の意図を汲んで欲しい所でもある」


通常の雲の内部のように水素が弾けて発生する雷では無い別の何かが胎動する気配を感じさせる瘴気の塊を見つめるセティスは、背後に居るもう一人に気遣いは無用と宣うように振り返らぬまま徐に声を掛ける。


そこに居たのは今や青痣だらけの魔女、レジータ・ジル・ベット。


「人に気持ちを理解して欲しいなら、まず人の気持ちを理解しな。セティス・メラ・ディナーナ」


コチラも空に浮く箒を足場に立つ【剛腕】の魔女レジータは自慢の体格の良い腕を組み、瘴気の様子をうかがっているセティスに鋭く強い眼差しを浴びせ掛けながら皮肉めいた物言いでセティスとの会話に乗った。


「私は充分に理解していると思っている所だけど。ソチラも怪物を説き伏せたいというのなら、怪物の気持ちを理解する所から始めては? レジータ・ジル・ベット」


「「……」」


対立の渦中、幾重にも交錯し、それでも折り合わなかった二人の魔女は視線すら合わないが夜風に晒される街の上で深く、深く会話を交わしているような静寂の時を過ごす。


「お仲間が戦ってるってのに、大っぴらに堂々と暗躍してるもんだね。そりゃ何だい——勿論、この短時間でそれだけの瘴気を集められるとも思って無いし、アンタが結界で抑え込んでるのも見りゃ分かる。だが、そので何をするつもりだい、アンタ」


この街に住む魔女たちの頭目であるレジータ・ジル・ベットは反逆の魔女セティスが、この街におびただしい瘴気の惨劇をもたらしかねないと彼女を止めに来た。しかし確かに今、状況を冷静にかえりみてみれば瘴気の惨劇の幕を開けようとする所か、幕を降ろそうとしているようにも彼女の瞳には見えていて。


「——魔物を創る。このまま瘴気が拡散するよりはマシだろうと忠告」


実際、セティスもまた己が瘴気を封じた結界を何の手立ても無く解き放つような心積もりは一切なく、むしろ瘴気による被害を最小限にする方法を模索している最中なのである。


その為に——必要だったのだ、彼女との会話が。ここに至り。



「魔物を創るとは……またおぞましい事を言うもんだ。その封印を維持したまま橋の下に戻す事は出来ないのかい」


ズキズキと痛む体中の痛み、頬に残る打撃の余韻を親指で拭うように撫でてレジータはセティスの言い放つ表現に些かの嫌悪感。そして神妙に目の前の事実から目を逸らしながら夢想する。


天才ならば、杖の一振りで何か全てを安全に解決する魔法の一つでも使えるのではないかと言わんばかりに。


しかし、当然と現実はそう容易くは無いのだろう。


「不可能。この武器から撃ち出した術式は発動の簡易さを追求した為に煩雑で繊細——この場で直ぐにでも追加の施術しなければ崩壊してしまう。この量では魔石のように未完成な状態で結集する事も出来ない」


眼前にて不吉にうごめく瘴気の暗雲に目を逸らすレジータを他所に、何かを決意した様子で腰から静かに銃に似た武器を取り出したセティスの端的な説明。武器に装填していた魔石を取り出しながら、彼女は機械的な武器の調整を始めるに至る。


そして、彼女は言った。


「ここからは交渉、私が瘴気を用いて魔物を創り——瘴気の拡散を防ぐ。その対価は私たちの——瘴気の量から見て、どのような魔物でも浄化の魔法結界を周囲に張り、下に居る聖騎士アディ・クライドや街の警備や傭兵たちと協力すれば死傷者も無く簡単に倒せるレベルの魔物だから危険は無い」


心を掻くような夜風が吹き荒れる上空で、温めていた腹案を言葉に背後のレジータへと投げかけるセティス。冷淡な瞳——相も変わらない感情の読みにくい鉄面皮には変わりは無いが、何処か真摯に彼女は犠牲となる物と仕事に求める代価をつまびらかにレジータに明かす。


その価値が如何ばかりなのかは、受け取り手次第。


「……数は」


少なくとも交渉の余地はあると、レジータは思ったのだろう。差し迫る危機の中、大言壮語とは程遠い酷く冷徹で機械的なセティスの口調から放たれる文言に虚言は無い物と思われ、彼女の差し出した提案は酷く彼女にとって魅力的で。


或いは——彼女もまた、迷いに苦しむ心を誤魔化すように、罪悪感に贖罪を求めるように、目の前の小さな魔女の甘言に興味を撫でられたのかもしれない。


「事前に計算している暇はない。経験的には十は行かない——片手の指で足りると推測。質を重視しなければ相当の数になるし、時間も要する上に変質時の誤差で外に漏れる瘴気の量も危険も増える。戦闘地域自体の拡大も望む所では無いでしょ……早く選んで」


しかしながら、そのレジータの迷いを知ってか知らずかと言った風体で冷徹に彼女は迫った。一歩たりとも動いていないはずのセティスの雰囲気が、まるで間近に迫った気さえして。



「マーゼン・クレックの研究か……魔物の質、だなんて——本当に狂気じみた言い方だ」


「否定はしない。どのような学術にも、そのような側面はある——この街の発展が生んだアレと同じ」


人の限りある人生において間違えたと思う選択をする事は往々にしてある。年甲斐もなく青痣あおあざを作ってしまったレジータしかり、銃に似た武器の持ち手を握るセティスしかり——されども、それを責めれる者は多く居れど、救える他者などそうは居ないが世の無情。


しかし何もせぬ者の言葉に意味は無く、何も選ばぬ者の動きに意義は無い。

少なくとも——背負う少女は、己にも他者にも赦しは与えないだろう。


故に彼女は、此処に居た。


「……いいだろう——何か必要な事はあるかい」


まぶたを閉じて目をつむる。その折に見た立ち向かう少女の背中が、レジータには如何ばかり大きく見えた事であろうか。組んだ腕を解き、剛腕の魔女は張り詰めさせていた力を溜息として吐き捨てて。


「周辺住民の避難の継続、戦闘区域の選定と共に現状のを中心に出来る限り正確に六属性結界陣の用意、下に集まっている警備兵と連携して魔物に備えて、それから、これは出来れば街の魔力エネルギーの一時停止。避難の対象は上層も含めての話」


「以上——間に合わなくても作業を始める【正式装填リコムル・ブリュッセ接続施術ビルデアルキス】」


そのレジータの息に背を押され、夜風に晒される街並みの空で魔女セティスは十に似た武器を構え、薄白き水晶のような結界術を己の武器から解き放つのだ。

その選択を——実りある成功か、或いは失敗とする覚悟を以って。



「——サンプル取得、魔素比率の計測開始。接続術式、射出——成功。作動の確認、正常——魔力補充を開始、制御術式の展開に移行」


セティスの武器に呼称は無い——決まった形も有りはしない。それでもそれを正式と述べて、真の形と表した姿は、多様な種類の図形が描かれたボタンが幾つも並ぶ長方形の薄い箱。


端的に例えを言ってしまえば、コンピューターを操作するキーボードと言った所であろうか。


カタカタと、カタカタと、ボタンを指先を器用に素早く動かしつつ薄白い結界に表示される魔法術式に目を流すセティス。


時折、キーボードの両端に銃に似た武器の面影残された銃口から白い光線が飛び出し、少し離れた位置にある瘴気を抑え込む封印結界と繋がり、変化をもたらす。



その様は——この魔法溢れる世界でも異形な光景である事は間違いない。

いぶかしげにセティスの作業を見つめる眼差しがそう語っていて。


「……ひとつ、聞いていいかい。さっき、何で嘘を吐いた——瘴気を暴走させるなんて不安を煽るより、こんな状況になってると説明した方が時間は掛かっても慌てなくて済んだだろう。部屋の片づけの言い合いも口から出まかせだったのかい」


それでも、レジータは後方に控えさせていた魔女の数人を呼び寄せる気配を滲ませる中で、見慣れぬ作業について尋ねたい好奇心を抑えつつ、今はコチラと優先すべきと理性が急かす事柄について尋ねた。


「アレは敵の行動を誘導する為の虚言。計画の立案において期限は重要——期限に応じて取捨選択をする事に私の言動と矛盾は生じないはず。あの状況でアナタ達の協力を求める事は労力に対して成果が期待できなかった、ただ……それだけ」



「……やっぱり私にゃ、アンタらの言ってる事が少しも納得出来やしないね……信用して欲しい状況で自分が嘘つきだと言ってるようなもんじゃないか。間違いなく、アンタはバミラさんの妹弟子だ」


そして器用に何が出来ようとも不器用感が否めない答え。己を含めて度し難い人の拙さにレジータ・ジル・ベットは息を吐き、嘆くような独り言を漏らす。



「バミラ・メラ・イシタ……出来れば一度、会ってみたかったけれど——もうそんな余裕も無いのが現状。恐らく師匠が魔境の研究を始める前の鹿だと思うけど……」


「この街の偉人に、馬鹿とは言ってくれる——まぁいいさ、反論している時間は無いんだろうしね、コッチも適宜てきぎ、仕事をさせて貰うとするさ」


やがて山積する因縁を棚に置くように背中合わせ、遠くからレジータの指示を聞くべく飛来する若き魔女たちの下へ降りるレジータ。


そんな折、


「……感謝する」


少女が小さな声で述べた言葉は夜風をすり抜け、彼女の耳に確かに届いたのだろうか。

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