第72話 偽りて座する者。1/5


——その世界は、白にいろどられきらびやかな湯煙の如く銀河のまたたきが宙を漂う場所である。


まるで、にあるような浮遊感を帯びる現実味の無い世界。

細い骨格の日傘がフワリとクルリと回る。


その場所に立っていたイミトには何処となく覚えがある貴婦人の薫り。



——現れるんじゃねぇよ、。何か用か?」


驚きは無かった。むしろ慣れ親しんで飽き飽き辟易としているかの如き溜息を吐き漏らしつつ、小首を傾げてまゆを下げる。



「ふふふ……神の寵愛ちょうあいを受けているかもというシチュエーションなのに随分な口振りね、さん」


「それに——もう戦いは終わったようなものじゃない。アナタの勝ちで」


時折とその存在を感じさせる穏やかな女神の声色がハッキリと耳に届き、晴れていく銀河のまたたきの如き色合いのもやの向こうで、まるで子を見守る母の如き優しげな微笑みを尽くす貴婦人。


——女神の名は、ミリスと言った。


西洋の古き伝統のドレスと言った具合の薄い桃色の生地に白のレースが装飾された衣服を纏い、赤いケープで彩る優しげな雰囲気を帯びる彼女に、



「まだ勝っちゃいないだろ……負けてないだけで。向こうも最初から勝つつもりもないみたいだしな」


イミトは挨拶も早々、ミリスが放ったに異議を唱える。

よみがえる記憶と、現状——己が立っている場所をかんがみて、己に何が起きているのかを大まかに察して彼はミリスへと不遜に言葉を返すのだ。



「そうかもね。だから今、私はアナタに会いに来たのだもの……に触れ始めたアナタに」


そんな悪態に、自虐気味に笑みを漏らすミリス。彼女は物寂し気に小首を傾げつつ、うれいを帯びた面持ちで差していた日傘を丁寧に閉じてイミトを見つめる。



彼ら二人の声しか響かぬ虚しく、音の少ない静寂な世界——宙を漂う無数の銀河の慟哭どうこくのみが酷く耳を突いて。


イミトは己が何故、目の前の女神にを察するに至る。



「……ああ。か……俺が人生をゲームだと思ってなまけそうだから説教でもしに来てくれたのか?」



「まぁ……一応ね。教えてあげましょうか? かつて私が創った世界に何があったのか。私からすれば時間は無限な訳だし」


心苦しく語りたくない思い出話を仕方なくイミトへと語ろうとするミリスの顔色を横目で見ながら、白々しく周囲の見物けんぶつを行うイミト。



そして少し思案したで、彼は答えた。


「——要らね。生憎あいにく、教科書片手に椅子に座ってる時間は好きじゃねぇ……それに自分の足で歩いて考える考古学の楽しさを知る機会を俺から奪わないで頂きたいもんだ」


余計なお世話だと悪びれて突き放すようにポケットに手を入れて、皮肉めいた笑みで彼は彼女にとげのある言葉を贈った。



「この世界がゲームだろうが妄想だろうが本物だろうが、リセットボタンを押して楽しめる裏技なんか実装されてねぇんなら、結局は一緒だろ」


己の中にある諦観を極めた信条を吐露しつつ、開き直りの明朗を感じさせる快活な嗤いを魅せつけてポケットの中で拳をグッと握り締めた様子で。



「俺は俺の身の丈に合ったを探すだけさ、そうだろ? 


他を軽んじ、他を嘲笑する彼らしい悪辣と評せれるだろう笑みは——いつも通り己を最も卑下しているように感じさせる。



「——……相も変わらず愛しい子。手が掛からないのが、少し寂しくなるくらい」


故に、ミリスも笑むのだろう。本来の彼の、相手をおもんばかる優しさを見通し——そして彼の深層に深く根差す哀しき呪いも見通して。



だから彼女は、彼の頬に暖かく触れようとするのだろう。


だが——、

‼』


唐突に心に響くクレア・デュラニウスの声が二人の間を引き裂き、空間に黒の亀裂が走りゆく。



——まるでであるかのように。


「「……」」


床に入る黒の亀裂が断崖の如く広がっていき、別たれる女神と魔人。

互いを嗤い合うように彼女らは穏やかに見つめ合う。



「それでも私はアナタがもう少し、欲張りになっても良いと、思っていますよ……さん」


「随分と……を聞かせてくれるもんだよ、相変わらずこの神様は……さて——愛しい女が呼んでるもんで、に戻らせてもらうわ」


その後に、イミトは振り返り世界からすれば、小さな己の片手を挙げた。



「ありがとな、ミリス。心配してくれて——久々に、良い夢だった」


飄々ひょうひょうと、軽々と別れに振ったその掌を、彼は空間を掴むが如く拳に変えて、夢見心地の世界を砕く。


——。


『どうしたぁ、人の子よ‼ 夢を見るには夜は遠いのではないか? それとも噂に聞く走馬灯でも見えていたか‼』


ハッと目が覚めて開幕一番、盛大に聞こえてきたのは、激しい火花を散らしているような魔王ザディウスの轟声ごうせいと、殴られて頬に走る拳の感触。


全身を纏う骨の鎧の隙間から赤い眼光を滾らせるザディウスが己の肢体に生やす六本腕の内、五本をイミトが創り出した黒い鎧の腕で押さえられながらも突進の勢いのままに放った右の拳は、


イミトの鎧の腕に勢いを殺されながらも、彼の頬を打ちあたり上半身を後方にらせている。



しかし、目覚めたイミトは足を踏ん張らせ、思い出したかのように嗤うのだ。



「——ははは、走馬灯って奴は見た事あるが、今のは違うなぁ‼ 魔王様よ‼」


一瞬と気を失い、死線を越えた向こう側で見た景色を思い出し、厄介な現実を受け入れ直して歯を食いしばり、仰け反った上半身を腹に力を入れて起こしゆく。



——魔王ザディウスとの対決は、ミリスが白昼夢で述べていた結果とは、やはり少し違い、未だに続いている。


しかし、確かに終局は間近であるに相違ない。



その号砲にとイミトは仰け反っていた体を勢いよく起こし——ザディウスの頭蓋の鎧に目覚めの一撃——単なる頭突きを、強烈に叩きつけた。

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