第37話 因縁の顔色。2/3


 一方その頃、セティスの足止めの甲斐かいもありイミト達は会場近くに用意されていた談話室へと足を踏み入れていた。


 そこに待ち受けていたのは、威厳いげんある白衣を纏い、絢爛に装飾されたつつのような帽子を被る一人の老人。しかし王国騎士団長グラウディオのような屈強そうな肉体と厳格な佇まいで漂わせる威厳とは何処か違う——、


 荘厳にして神聖さすら感じさせる雰囲気を漂わせる相手。



 ——リオネル聖教最高司祭、生ける伝説、稀代きだいの英雄——

 ——レザリクス・バーティガル。


「さてと……そちらの目論見がどの程度なのかはかりかねるが、このような非常時に不可思議な接触を重ねるのは疑心をまねく。くだらない前置きは辞めて本題に入りたいと思うのですが」


 その因縁の相手との初めての邂逅かいこう——けれどイミトは、彼の配下アーティー・ブランドにいざなわれるままに素知らぬ顔色で彼が座る椅子と対面する椅子に重い腰を落とし、平然と彼と対峙するに至る。


 だが軽く息を吐きながらの言葉を放った後、その瞳にレザリクスの顔を刻み込むように敵を見据みすえる眼光は、切れ味の鋭く真剣の面差おもざし。


 ——イミトがこの対面、出会いすらも予想していたかと問われれば、答えはいな


 それでも彼は平静を装い、目下もっかのレザリクスを始め、アーティー・ブランドや、この場に居ない騎士団の動きすらも瞳孔の裏で、しかと見据えているようだった。



「分かっている。そのような堅苦しい振る舞いもしなくていい、君という人間の人となりはルーゼンビュフォア殿から話として聞き及んでいるつもりだ」


 その様を見て座椅子の肘置きに頬杖を突き、先んじて敵対する相手と親しみのある関係性を構築しようとするレザリクス。


 老獪ろうかいな微笑みは、乳飲ちのみ子の思惑を読み取る父の如きたたずみ。


 なるほど、イミトは思う。そんな表情。


「そうか……俺の方もそれなりに聞いているよ。稀代の人格者にして救国の英雄レザリクス・バーティガルの人となりはな」



 互いに腹の探り合い、イミトもそれなりに波乱万丈——人間という生物のけがれは理解しているつもりであった。


 しかしそれでも何も成し遂げぬ、たかが十八年。


 齢六十は超えているだろうレザリクスがまとう雰囲気は、全盛期に及ばない老体とはいえ熟達じゅくたつされた経験を匂わせる。


 生死がかか数多あまたの戦場を駆け抜け、如何いかに褒めたたえられる偉業を成し遂げた優位性があったとはいえ、幾重いくえの陰謀政争あったろう国家宗教、権力権威のちょうにまで登り詰めた胆力たんりょくも感じて。


「初めに言っとくが、ここでこの時間、アンタと会っていた事を隠すつもりは無い。騎士団の監視の邪魔をしたのは、アンタと気兼きがねなく話す為だからな」


 しかしそれでも今さら退く訳にも行かない。イミトも受けて立つと言わんばかりに肘置きに手を置いて首を傾げ、デュラニウスらしく謳う。チラリとかたわらで紅茶をれ始めているアーティー・ブランドの背を眺め、思い出すのはセティスの傷跡だらけで羞恥しゅうちに揺れる薄紫ドレスの表情。



 ふとしたまばたきでまぶたを閉じ、そして心をふるい立たせて改めてとレザリクスに立ち向かう。


「——こちらも今回の和平調印式で貴殿をおとしいれるつもりは無い。騎士団長たちには昔馴染みの知り合いとでも報告しておけば問題は無いだろう」


 そのイミトの思考をひと時のまばたきもなく見つめ続けるレザリクスも、一区切りついたとまぶたを閉じて目を休め、現段階で戦闘をする気は無いと肩の力を殊更ことさらに抜いた。


「それにすでにツアレストの王には、そう説明している。この談話室は、ツアレスト王に用意してもらったものだ。じきに貴殿の嫌疑も解けるだろう……我らリオネル聖教そのものが疑われておらねばの話ではあるがな」


 れ終わった紅茶をアーティー・ブランドがレザリクスの前に置くのを無視し、続けた言葉は威厳いげんの証か。まるでツアレストという国をぎょしやすい玩具がんぐわらうような嘲りにも見える。


「「……」」


 イミトもまた、目の前に置かれた紅茶のティーカップを無視しつつレザリクスと沈黙の中で目と目で語り合う一幕。相手の思惑、出方——互いに牽制し合い、ピリピリと談話室の室内に緊張感を走らせて。



「と、なると……つまらないお茶会だな」


 先んじて打って出たのはイミトであった。テーブルの中央に置いてあったびんに入った角砂糖に手を伸ばし、二個ほどティーカップに堕とし入れて。そしてき混ぜる為の小匙こさじを手に取り、音が出ないように気を遣いながら紅茶の湯面に円を描く素振り。


「……確かに、そうだな」


 対するレザリクスは枯れかけたのどうるおすべく何も混入していない紅茶を静かにすすり、同意を見せしめる。



 互いに、本題を始めようと暗に示す口振りではあった。


「——……クレアは、元気にしているか? 魂が結合していると聞いたが、離れていても体に問題は無いのか?」


 そうしてレザリクスが始めたのは、他愛無い世間話のようでそうではない腹を割った話だった。イミトの素性、事情をおおむね知っていると改めて告げるように、何より胸の内にとげごとく刺さっている負い目をさらすように切なげに過去をかえりみて彼は尋ねたのである。


 ——僅かな静寂。それはそんなレザリクスの哀愁に祈りをささげる為の物であったのか、それとも糾弾きゅうだんする為の物であったのか。様々な見方が出来るだろう。



「……元気も元気と言いたいが、それを聞ける資格がアンタにあるのか? 裏切り者」


 イミトにとっては糾弾する物であったのかもしれない。しかし、その内情から目を逸らすように彼は目をつむり、角砂糖を混ぜ終わった紅茶を置き捨ててソファーに深々と背を戻しながら、クレアという首と胴体が分かたれた魔物デュラハンから体を奪い取ったレザリクスの言動を呆れた様子で見下げ果て。



 もはや責める気にすらなれないと言った風体。


「違いない……彼女の怒りに満ちている顔が目に浮かぶ。とはいえ、兜を纏う彼女の素顔をそう何度も見た訳では無いが……」


 そんな彼に、己をわらって魅せるレザリクス。しかし頬杖ほおづえから頬を外し、真っすぐにイミトを微笑ましく見つめ直した辺り、後悔は無いのだろう。


「別に怒っちゃいねぇよ。俺もアイツもな」


 腹立たしい想いは無論あった。それでもイミトはレザリクスから顔をそむけ、こんの闇をベランダに通じる窓から見通して——思いせるは彼女の眉根まゆねを寄せる表情。


 だから腹立たしいのかもしれないと彼も、ふっと微笑むのだろう。



 だから壊したくもあるのだろう。



 目の前にいる男がクレアを裏切り——デュラハンの身体を奪ってまで果たそうとしている悲願、理由を全て奪い返して奪い取りたいと思うのだろう。

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