第18話 凶兎博徒。4/4


 その頃、背景は黒いが闇は無く、明瞭に姿だけ見えている世界でカトレアは佇んでいた。


「ここは——……何処だ」

 「これは——私の、記憶」


 その世界には、幾つもの鏡があった。だが映り込むは過去の幻影、マリルデュアンジェ姫の微笑みや死んだと語られた仲間たちの生前の姿。襲撃を受ける前近々の過去であった。


「そうか。私は死んだのだな、ここは死後の世界」


 カトレアは不思議とそう納得する。よいの闇に似た世界で、カトレアは途方に暮れながら歩いた。大小様々、幾つもの鏡に目を向けながら過去を突き付けられていって。


 そんな折、カトレアは動く影に気付く。


 これまた不思議と未知への恐怖は無い、気配のする方へ鎧の足音を響かせて歩いた。

 そこに居たのは、一匹の角の生えた子兎こうさぎ


「……兎? あ、おい! 待て!」


 子兎はカトレアの存在に気付くと一目散に逃げ出した。記憶の鏡を突き破った為にカトレアは驚き、子兎の後を追う。


 パリン、最初に突き破ったのは幼きマリルデュアンジェ姫との出会い。

 パリン、次に突き破ったのは訓練をする自分と仲間達。


「止めろ! 砕くな、それは私の記憶だ!」


 パリン、一枚、また一枚と突き破られる度に胸が張り裂けそうになるカトレア。


「この……止めないか!」


 全力で走り、兎に飛びかかって捕まえると目の前にあったのは業火に燃える馬車を振り返りながら姫の手を引き、走る、巨大な鏡に映る己の過去。


 暴れる兎を抱きかかえながら彼女は立ち上がり、脳裏に眠る地獄を再び思い返す。


「痛——、これらは私の記憶だ。私が生きてきた証……貴様の玩具ではない!」


 鎧の僅かな隙間にもぐり込み、兎が腕を噛む。それでも彼女は暴れる兎を放さなかった。互いに必死に力を込め、祈るように泣き叫ぶようにカトレアは言葉を紡ぐ。


 その時だった、

「ウルルルルルルっ!」


 兎かと思われた生き物の目が赤く染まり、尋常ならざる気配を持って威嚇の唸り声を上げたのは。カトレアは驚き、そして全てを理解する。


「⁉ ——そうか。貴様が、ハイリ・クプ・ラビニカ……か」


「……情けない話だ。貴様のような小さき兎に私は、負けたのだな」


 腕の中で暴れる子兎に彼女は悟り、切なげに自分を嘲笑う。強く抱きしめるモフモフは力を強める度に狂乱に動く。滲む悔恨、そんな眉根を寄せた眼差しでカトレアは目の前の鏡を見上げた。


 映るは、マリルデュアンジェ姫が乱心した自分を諫めた凛々しい姿。


「姫、姫……申し訳無い。どのように贖えばよいか」


 後悔の針が心臓をギリギリと切り裂き、思わず彼女は力を抜き鏡に近づいて片手で触れる。もはや触れる事の叶わない主君の幻影に、鏡に触れていた片手を拳へと変えて。


 腕の中に居た兎は何処かへと逃げ去り、耳に届くは鏡の割れる音。それでもカトレアは気にも留めず鏡に映る景色を見つめ続ける。


「願わくば、あの者どもが私の代わりに——」


 否、祈りを捧げようとした。そんな時である——鏡の中の景色が変わり、鏡に触れていた片手をつたう振動する感覚。


 真実を語ろう——カトレアの祈りに記憶の鏡が呼応したかのようであった。


『やっぱりこうなるか。助けようとして損したぜ』


 赤黒く染まる世界で初めに聞こえたのはイミトの声。呆れた様子で【】を見下げていたイミト。それが自分自身カトレアであったのは、これまでの主観的の視界の映像で理解出来た。


『やけに不機嫌では無いかイミト。もとより助かり様も無い命、さして悔恨をうれう事もあるまい』


『気に入らないだけさ、この善人ぶった腐れ嘘つきが、な』

 「これは——記憶、か?」


 されどクレアの声が続きイミトが更に言葉を返すその会話に、自身の記憶の中では思い当たることは無く、カトレアは戸惑うばかり。


『まぁ、一人くらい生きといてくれた方が後々の姫の扱いが楽になる。こんなクズでも使い様だ……少しの間くらい生き返らせる方法とか他に無いか。情報も欲しいしな』


『ふむ……こやつをこのまま我が使役するアンデットに変えれば、少しの間なら我が、この魔物を抑えられるが』


 それでも、続きの会話を聞き、おおむねねを察する。これは姫が襲撃され自分が気絶した後の記憶——自分が魔石を埋め込まれた際の記憶なのだ、と。


『アンデットね……はは、お似合いかもな、このクズには』

「なっ——‼」


 そう理解した途端、耳に留まるイミトの嘲笑。


「こ……このような者どもに私は、私は!」


 改めて後悔におちいるカトレア。自責の念の灼熱に心を焦がし、悶える様に後方へとたじろぐ。


『ふふ……異論は無いが随分な言い様だな。この者が気に入らんのは貴様と似ておるからではないのか、イミトよ?』


 「ふざけるな!誰が誰と似ていると——‼」


 鏡から手を放して尚続く悪辣な二人の会話。カトレアはもう聞きたくなかったのだろう、身の毛をよだつ言の葉に対し無意味に腕を振り払う。


 それでもやはり記憶の再生は止まることは無い。


『否定はしない。俺は昔——守りたいと思った奴を、最後まで守れなかった』

 『それも、間違いなく俺の罪って奴の一つだからな』


 世間話をするようにイミトは語っていた。そして彼は過去のカトレアのひたいに手を当てて、その顔色を伺う。小さな微笑みは、とても優しく寂しげで。


『だから腹が立つ。後ろに守りたい奴が居るのに守るのを諦めた、この女に』

 『最後までみっともなく生き抜いて……最後のその瞬間まで守り抜けよって話だ』


「誰が——誰が諦めたものか! 貴様などに私のっ……私がどれほどの無念を抱いたかなど解るまい‼」


 全てがかんに障り、頭に血を昇らせるカトレアは、いよいよと憤慨ふんがいするに至る。けれど幻影に吐く言葉は柳に息を吐くように虚しさで空気を満たすばかり。


 そして、

『ご立派な様子で通りがかりの他人に姫様を託して、志半ばで倒れたなんて薄気味の悪い自己陶酔とうすいと自己満足にひたりながら小綺麗に死のうとしやがる』


『他人を守る気なんてサラサラ無いくせに英雄に憧れるような陳腐ちんぷな奴さ』


「——っっつ⁉」

 続けられる罵倒に、返せる言葉も無くなるのだ。正誤ともかくイミトの吐く感想に、或いは分析に、核心を射られたような格好。自らの行動を振り返り、そういう見方になるのも不思議ではないのかもしれない。そう思ってしまえば吐き気のするような憎悪に似た苛立ちは行き場を失い、胸を痛ませる。


 どうすればよいのか、今更。ここは死後の世界なのだと誤解してしまっているカトレアはただただ拳を握り、途方に暮れて。


 そんな折、

「兎ふふ、恥ずかしくて死にたいなら、私に体をよこせよ人間」


「——誰だ⁉」


 更なる絶望は——一縷いちるの光明と共に現れるのだ。


 ——。

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