第13話 銀髪の羅針。4/4


「……単純な話です。少し、旅路を急いで頂きたい」


 神への不遜、彼らのそれに僅かに呆れつつ使命を全うしようとするアルキラルは一歩踏み出し、完全臨戦態勢のクレアらに恐れる事無く近づいていく。


 ——信奉しんぽう、彼女の揺らがぬ心の強さはまさにそこにあるのだ。


「どういう意味だ」


 「そのままの意味で御座います。その先でアナタ方が何を想い、どう振る舞おうがご自由にして頂いて構いません」


 ピンと張りつめる緊張の空気感にデュエラが息を飲む。そんな彼女に視線を送り、アルキラルはふと微笑んだ。イミトが、それを見逃すはずが無いとの確信を抱いて。


 そして——、

「ただ、急いで頂きたい。後の祭りになる前に」


 イミトは気付く、アルキラルの視線の意味を。僅かの間であったが、クレアや自分に視線が戻る前のわざとらしい違和感に。


「……言いたい事はそれで全てか」


 しかし、鎧兜の中で眉をひそめたイミトを他所に話は進む。クレアも考えたようではあったが、恐らくイミトとは違う思考。


「はい。それ以上は有りません。では、私は伝えましたので」


 そして何より変わらずの無機質な声色で伝達事項を伝え終えたアルキラル。彼女は通りがかりの樹木の若葉の萌ゆる枝に触れ、したる朝露を弾ませて振り返る。見るからに場を去る流れであった。


 それを——ただ見逃す程にクレアが善に敬虔けいけんでない性格だと知りながら。


「その前に我と祭囃子まつりばやしを奏でぬか、愚か者よ!」


 デュエラの金色のまばたきの間に、弾け飛ぶ緊張。一足飛びにて大剣の間合いの外に居たアルキラルとの距離を詰め、森の木々に大量の葉を散らさせる程の勢いで、肩に置いていた大剣を振り抜くクレア。


 しかしそれでも、やはりと言うべきか、アルキラルへ凶悪な刃は届かない。


「ちっ……小癪こしゃくな」


 大剣の一閃をキッカケに割れる瞬間のかがみが如く——空間が音を立てて弾け、次に見えたのはアルキラルの居ない元の景色。クレアの不満げな声が遅れて響く中で、何かの術か、とイミトも思う。


 或いは摂理か。そうして来る時節、唐突に姿を消したアルキラルの声が何処からともなく溢れ出るのだ。


「罪人様——その先の先で、アナタは何を想うのでしょうか」


 森の天井から舞い降りる葉光、一転して静寂に包まれる情景。


「——……」

 イミトは、鎧兜の隙間から鋭く世界を見ていた。


 それでも——、

「存在そのものが不愉快な輩どもよ」

 「とか言いながら、別に本気じゃなかっただろ」


 クレアの不満げな心内が漏れると、皮肉めいた口調で自虐を嘲笑う。


「ふん……体を動かしたかったのでな」


「ねえ。何が居たの。私にも説明して」


 その会話を受け、突如として現れたアルキラルが姿を消し状況が平静に戻ったと判断したセティスは改めて尋ねる。そこに、一体何が居たのかを。


「貴様の魔力感知に引っ掛からなかったのも無理は無い。アレらは異質な者であるからな」


 空気に溶けるようにイミトの体を覆う鎧が黒煙を放ち、消失されていく状況下でイミトの左腕に抱えられるクレアは答えにならない答えを吐き捨てる。


「俺たちを監視……というか俺を監視している奴らの一人だ。お前らに危害があるわけじゃないから気にするな」


 それに補足するように右手の支配権を取り戻したイミトがバツの悪そうに鎧のけた頭を掻く。天使などという摩訶不思議で説明しがたい状況に、言葉を選びながらの困り顔。彼自身も答えを探しているようであった。


「……うん。深くは聞かない」


 故に、只事ではない事情がある事だけはセティスに通じ、彼女は興味心をグッと飲み込みうなずいたのだろう。驚いた際にズレた覆面をクレアに付けられた鎧の手で整えて。


「そ、それでどうするので御座います、ですか、お二方様」


 すると、その時を待っていたデュエラが満を持して言葉を放つ。アルキラルの突然の登場の余韻が未だに残り、些か戸惑っている様子である。


「急げ、か……無視でよかろう。奴らの企みに加担してやる必要は無い」


「そうなんだがな……セティスとの出会いが奴らにとって織り込み済みの事態だとして、俺達が急がなきゃならない理由ってなんだ」


 デュエラに問われ、話を本筋に戻す一行。アルキラルの要求を切って捨てたクレアとは対照的に思慮深く、イミトは淡々と疑問を口にして。もう少し情報が欲しかったと、名残惜しさが残る口調である。


「おおかた、また助けを必要とする者がおるのだろう。くだらぬ問いよ」


 それを断ずるはやはりクレア。アルキラル達に対し、明らかな嫌悪感と敵対意識を声に滲ませ、彼女も鎧兜の姿を解く。その表情は冷静で顔に掛かる前髪を振り払うべく鎧の左腕を少し傾け、瞼を閉じていた。


 余計な一言を発しようものなら不機嫌を爆発させかねないクレアの様子ではあったが、それでもイミトは引かない。


「祭りとか言っていたからトラブルが起きるのは確実なんだろうが」

 「それに気付いてたか? クレア。アルキラルはセティスを見ながらそう言ったんだぜ?」


 クレアをセティスの両手に戻しながら彼は後味の悪そうに言葉を重ね、セティスにも視線を送る。イミトは気付いていたのだ、アルキラルが言葉には表さなかったメッセージに。


 それが——神ミリスがイミト達の性格を知った上での指示だということも予想している。


「……回りくどい。結論が出ておるなら、早う申せ」


 無論、イミトがそうならばアルキラルの隙を常時伺っていたクレアが気付かぬはずも無い。それを踏まえても尚、イラリとした様子のクレアが痺れを切らし、イミトを問い詰める。態度にも表れているように彼女は、神の思い通りになる事を拒絶したいのだから。


 しかし、次にイミトが放つ推理に彼女らの顔色は一転して変わるのだ。


「この道の先に待っているのが、セティスの関係者。例えば顔を奪った術者……そしてマーゼン・クレックの可能性、だ」


「「——⁉」」


 衝撃であった。雷に打たれたが如く瞳孔を開くクレア。そして思わず後方にたじろぐセティス。思考を空白に染め上げたのは前者ではない、後者である。


「あ、ありえない、何を言っている」


 突然、心臓をわし掴みされたような感覚に、平時は感情の起伏少なく無機質だったセティスの声が揺らぐ。有り得ない事だった。


「死んだはずの者が生きておる……それが、貴様が昨夜、敢えて語らなかった事柄か」


 対照的にクレアは目の色を変えていて、まさしく狩人の目。動揺するセティスの両手の上から威圧的に真剣な眼差しでイミトを見上げるクレアである。


「ああ……セティスが術者に殺されなかった理由で考えられた内の一つだ」


 それにイミトが目を逸らし、頭に鎧の左手を置いたのは決して威圧されたからでは無いのだろう。後頭部を彼女らに見せつけ、二、三歩ほど距離を取って彼は言葉を続ける。


「し、師匠は死んだ。土葬もした、わ、私が!」


 きっと、彼が道草をつまみ始めたのも動揺のあまり、腰を抜かし地に尻餅を着いたセティスの様子を見たくなかったからなのだ。抱きかかえられ、共に高度を下げたクレアが諫める事も無く口をつぐんだのと同様に。


 その光景を見ていたデュエラは慌ててクレアを落としかねないセティスからクレアの頭部をそっと取り上げ、話を見守るべく彼女も二歩ほど後ろに下がって。


 心配そうな顔ではあった。話の流れからセティスに感情移入し、覆面の彼女に対しあわれみ表情を浮かべている。


「半分はクレアにやる気を出させる為のテキトーさ。だけど、クレアの体をいじれるくらいには魔石と生体研究の本が沢山、本棚にあったんだろ?」


 それほどにイミトの語る推理は残酷で、冷淡。師と仰ぐ人物が自身の顔を奪い、師を殺した復讐相手と同一人物であるなどと信じたくも無い滑稽話。


「——そ、それは……それが、何」


 セティスは反論しようとした。立ち上がり覆面を深く被って特徴的な呼吸音をスコースコーと荒く鳴らす。けれどイミトが放っていた陰謀論、


「偽物の死体……うむ、奴なればそれくらいは作れる才はあったかもしれんな。幼き頃より魔法の手練れだと聞いたこともある。顔を失った弟子を謀る事も容易であろう」


 彼女の中でも死体偽造に心当たりがありすぎるのだ。師と仰ぐからこそ考えられてしまう皮肉。横槍を入れてくる頭部のみになってしまっているデュラハンの姿も信ぴょう性が高まる一因になってしまっていて。


「ふふ……そう考えると愉快、かもしれぬ」


「違う、そんなわけ……」

 妖しげに瞼を閉じてククと笑う魔物に首を振るセティス。彼女は、否定したかった。師の裏切りを、目の当たりにしたが偽りで無い事を。それが如何に悲しき皮肉であるかも気付かぬままに。


「安心せよ、セティス……貴様の師が生きていようと我に殺されることになるのだ。さして変わらぬわ」


 それでも無情、クレアにとってその展開、マーゼン・クレックの生存は望む所である。マーゼン・クレックは、クレアの体を奪った者のたくらみに加担した疑いがある、数少ない手がかりであるのだから。


「可能性は限りなく低いしな。お前の師匠さんの死体を見てないから言える事だ」


 クレアの協力者、イミトは道草を弄っていた体を起こし両手を互いに滑らせるように叩き、手の汚れと場の空気を払い、言った。とても淡白な声だった。



「くくく。しかしイミトよ……貴様はつくづく我を乗せるのが上手いものだ」

 「は……俺もアルキラルに乗せられた側だから手放しでは喜べねぇさ」


 そしてデュエラに抱えられるクレアの称賛を浴びると投げやりに受け答えを返して彼は小さく己を嘲笑う。


 そうしてから、彼は再び問うた。


「で。どうする?」


 答えはもう、訊くまでも無い事だった。



「無論、確かめに行く。外れておっても貴様を殴れば気も晴れよう」

 「私も。そう言われたら確かめなきゃ」


「わ、ワタクシサマは皆様についてゆくだけなのです、ます!」



「んじゃあ、まぁ……急ぐとするか」


 銀髪の羅針が伝えた報せの行く末に、各々がそれぞれの思惑を抱き、旅路を決める。


 何が待ち受けているか、求めるものは有れど知る者はそこには居ない。

 そしてイミトは、ふとアルキラルの言葉を思い出す。



『その先の先で、アナタは何を想うのでしょう』



 彼はその時——その言葉の意味を何よりも求めていたのだ。


 ——。

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