第1話 死後裁判と無き女3/4


 満足げに気分を切り替え、足元さえ見なければ自然美しい世界を見上げて生きる決意を新たにした男。


 死んだ男の冒険譚これからに何処からか、カラスに似た間の抜けた声が響く。


 カア……カア。


「さて、と……どっちに行くかな」


 それでも両手を腰に当て、途方に暮れた。

 不快感ふかいかんにぎやかな白骨兵たちに囲まれた森で、たった一人きり。


 こうなってくると、やたらと鳥のさえずりや森の慟哭どうこくが際立って。


 そんな折である——何処からか次の展開を指し示すように、


『——アウ・ウワーレン?』


 聞き覚えの無い女の声が森の中から不思議に響く。鳥の声では無い事は明らかで。


「……」

『——デュ・アウア・ウワーレン?』


 まるで脳内の声であるかのような響きは知らぬ言語で問いを投げかけるが如く、男の耳に届いて、何故だか唐突に吹いた風による森のざわめきに掻き消されることも無い。



「ほら、早速なに言っているか分からねぇ」


 男は自嘲気味に言った。

 嘲笑あざわらうようにうつむき、不穏な気配に冷や汗を頬へ一筋。



『ソウ・ヘルウィ・ヘルウィ』

「なんとなく呼んでいるのは分かるんだが……どうしたもんか」


 投げかけてくる声に男はそう言ったが、内心答えは出ているようである。『』と表現した事にそれが如実にょじつに表れていて。


 突如として語りかけてくる女の声が助けを求めているように聞こえたのは、彼自身がこの一人きりの状況から助けを求めていたかもしれないからだ。


「……ん、よし。行くか」



 そうして男は決意し、声が響いてきているだろう方角に向かう。

 一抹いちまつの不安を抱えながらも、死体の転がる森の中へと踏み入っていくのだった。


 ——。


 森を掻き分けて次にはこけの生える深緑しんりょくを進む道すがら、男は剣を拾う。つたに絡まってはいたが、さやに納められていた剣は他のソレらと比較すると状態は良く、まだ使えそうではあった。


 無論、彼が自己満足の為にその剣をたずさえていた物体に合掌がっしょうをしたのは言うまでもない。


 そして——辿たどり着く。


 山との境界、森の奥の茂みを乗り越え、見えた岩壁。


「うわぁ……如何にも、な洞窟な事で。ご丁寧に封印が解けてるし」


 そこには洞窟があった——成人男性が頭をぶつけずに済む程度の入り口で待ち構える洞穴。紙の札をらすなわのようなモノで人の侵入を制限されていたらしく、風化によってなのか意図的なのかは分からないがその侵入を制限していた縄の一部は地に堕ち、もはや飾りとも言えないに成り下がってしまっている。


 確かに如何いかにも不気味ぶきみ、だった。


「最悪なタイプのご都合展開だよな……」


 遠くからでは中が見えない黒い入り口が、これから起きうる様々な事柄を連想させる。男は早くも女の声にみちびかれた事を後悔し始めそうだった。


「あの女神の口ぶりじゃ、すぐ死んじまうような世界なんだろうしな」


 女神【ルーゼンビュフォア・アルマーレン】は彼の中では既に、嫌悪すべき最悪な悪魔に認定されているようだった。眼鏡をクイクイする高笑いを想像しながら男はイラリとして。



「……よし」


 しかし、そんな事ばかりは言っていられないと、未ださやに納められた剣を地に置いて男はそこらの小石を拾い、様子見に洞窟の中に投げてみる。



 すると、

『……——アウ・ウワーレン?』


「やっぱりこの中からか……」


 出来ればそうで無ければいいのに、と祈った男だが所詮しょせんは祈りかと再び聞こえてきた女の声に溜息ためいき付きのあきらめぶし。渋々といった風体で更に洞窟へと近づいてゆく。


『ソウ・ヘルウィ・ヘルウィ……』

「いや、流石に洞窟の中を灯りなしで進む勇気は無い」


 それでも洞窟の入り口まで三歩ほどの距離、未知にして孤独ゆえに不気味に感じる洞穴は——ただ、ジッと男の侵入を期待しているよう。


「……もう一個、投げてみるか」


 そして男は満を持して鞘から剣を引き抜き、地面に剣を刺した後でそう言った。言葉通りに小石を拾い、野球少年のように全力で腕を振りかぶる。


 すると、

 カツン‼ と、洞穴に投げられた小石の叫びは直ぐに聞こえて。



「そこまで深くない? それになんか奥が光ってるな……」


 男は恐る恐る洞穴を覗き込みながら中の様子を探った。奥の方に右折路があるようでそこから光が漏れてきていて。


 思ったよりは洞窟の中は暗くないらしい。



「んー……んー……んんー‼」


 それでも男は洞穴に踏み入るか、これでもかという程に悩んだ。


 死後に女神と出会い『異世界転生』なる事象を体験し、不思議な女の声を聴いた男にとって、その光は不吉漂う怪しいものにしか見えないからだ。



「よっしゃあ、行く、行くぞぉ‼」


 けれど行かねば物語は進まぬ。そんな想いで男は決意を声にする。


「今行くぞ、すぐ行くぞ、よし行くぞ‼」


 いや、言葉で決意を固めようとしていた。その場をクルクルと行ったり来たり、と見苦しく。



「はい、五、四、三、二、一、二、三……」


 そして立ち幅跳びで洞窟に入るのかと思いきやスクワットを始める始末。中々に、覚悟が決まらない。


 そんな情けない男に対し、


『ソウ‼ ヘルウィ・ハルメシアリ‼』


 しびれを切らした様子で怒りの声。その声は物の見事に洞穴の中で反響し、より一層大きく聞こえる。



「……はいはい、すぐ行きますよ」


 きっとこの声の女は短気に違いない。男はそう思いながら渋々、抜身の剣の腹を肩に抱えて洞穴の中へと足を進めることにするのだった。



「氷……いや、水晶みたいな奴か」


 中に入るや、目に入ったのは天井からしずくを垂らす半透明の物体。そして陽光ようこうが入らぬ所為せいか少し肌寒くもある。


「おーい、何処だー……」


 コツコツと慎重に辺りの様子を探りながら足を進ませつつ、いっそ向こうから来てくれれば化け物だろうが幾分かは気が楽なのにと思う男。


 そんな彼の声も、反響し洞窟の奥に響いていく。しかし、ここまで呼び掛けてきた声の主であろう女の反応は未だ無い。


「ん……なんだ、これ……ワカメ?」


 そして洞穴の右折路に差し掛かり、男は足下の黒い物体に気付く。それは海藻にしては細く、濡れても無く、むしろサラサラで良い手触りですらある。


 何よりそれは長すぎた、洞窟の奥にまで届く程に。


 そして男は、その物体の正体に気付く。


「いや……髪の毛——⁉」


 髪の根元を目線で丁寧に追うと、そこには今までの比ではない巨大な水晶。


 更に、美しい黒髪が途方も無く伸びて洞穴の奥を埋め尽くす中、光を放つ水晶の中には髪と光が放つ生命力の根源だろう美しい女性の眠り顔。



 ——けれど、人間らしい彼女には美しい頭部しか存在していなかった。


「女の、頭……だけ、とは……嫌な予感しかしないな」


 常に平淡へいたんを決め込む男も、流石に頭部だけの女の姿には言葉をタドタドとさせる。洞窟内は陽光が入らず涼しいにもかかわらず、冷や汗をダラダラと流す動揺の中、それでも気丈に心を踏みしめて強がって。


 が——、


「よし。おうちに帰ろう」


 怖いものは怖く、心臓の鼓動は自制が効かない。自由に動くのは口ばかりである。


 男は——用事を終えたと言わんばかりに回れ右をした。


 そればかりか、陸上競技である短距離走で用いられるクラウチングスタートへの態勢になめらかに移行。


 そして、


「……じゃあ、な‼」


 男は颯爽さっそうと走り出す——けれど、その後の展開は彼の脳裏を駆け巡った不吉な予想を裏切らない。


「キロ・バスチロク・ディディ・クロ・ホムスターレ」

「アスティカウロ・シシ・グロウ‼」


「——⁉ 足が——髪⁉」


 走る背中に投げ掛けられる意味の分からない言葉、走る足に違和感を持って見下げると女の髪が絡まっており——次の瞬間、片足がすくわれるように引き寄せられて崩れる態勢。


「髪の毛を操れる系かよ、ちっきしょう‼」


 男は咄嗟に持っていた剣を強く洞穴の地に差し込み、引き込まれまいと両手で柄を握り、引きろうとしてくる髪の毛の力に耐えようとした。


 けれどジリ貧、髪の毛はその圧倒的な物量を持って男の体にみるみると巻き付いてくる。


 男はもう逃げられないと悟った。


 ——走馬灯の如く思い出したのは、女神のメガネ面。

 ——それ以前、首を刈られて座り込む自分が映るお洒落なカフェの鏡のような窓ガラス。


 ——やけに鮮明に、嫌になるほどハッキリと思い出す死去の光景。


 ——男は、わらう。

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