第80話 二匹の親子

 ササを求めてデルタトロス山脈へとヒロ達は向かい、パシャレモ側の山麓から入山しさらに奥へ奥へと進む。

 奥へ進むにつれて、木の緑色がどんどん濃くなっていき、日の光もほとんど差さない森の入り口へとようやく辿り着いた。


 辺りが濃くなってきたのは森の深い緑だけではなく、日も傾き始めたからだ。

 もしもここで狼が襲ってきたとしたら。

 視界が確保できない暗闇での戦いは、人である彼らには圧倒的に不利だ。

 しかも、猪や鹿を狩るのとは事情がまるで異なる。

 相手は人を森から遠ざけるべく、山脈に多数生息する獰猛な黒狼である。

 唯一の救いといえば、山脈の山奥に長年住んでいた彼らが森を熟知しているという点だけだった。


 動物と同じように感覚を研ぎ澄ませて、三人は馬を進ませた。

 やがて苔が生えたごつごつと尖った岩が多数ある細い川を滑りそうになりながら、バシャバシャと何とか渡り切る。


 すると操っている馬たちが明らかに怯えているのが分かった。

 本能から身の危険が迫ったときは逃走しようとするのだが、まさにそんな状況で、中々思うように操れない手綱を引きながら、跨っている馬に何度も優しく「よしよし」とヒロは声を掛けた。


 すると、背後で草同士が擦れ合うカサカサという音にテルウは「ひやあ」と馬と同じように怯えた声を上げて首をすぼめた。


「いい加減腹をくくれ。あいつらの腹に直行したくないというのならば尚更だ」

 カイの言葉に納得したテルウは、こうなったらと覚悟を決める。

 腹に直行したくないから、腹をくくるとは何とも駄洒落みたいでよくわからなくなってきたが、テルウはカイに言われたように身を引き締めて手綱を強く引いた。


「来たぞ!」


 ヒロの言葉で彼らは一気に馬を走らせる。

 カサカサという音は馬の速さに並走する様について回っていた。

 猛烈な速さで馬を操り、倒れている朽ちた木を軽々と乗り越えた時、カサカサと鳴る音が数箇所に分散した。


 暗闇を前にして、僅かに残る日の光が、丘の上から森の様子を眺めている真っ白い二匹の大狼を照らしている。


「タイガ、お前の乳兄弟はここまで無事辿り着けると思うか?」

「どうでしょうか母上? しかしわが同胞も負けてはいません。彼らはこの森の番人だ。彼らのおかげで人々を寄せ付けず、森の秩序が保たれているのですから。それに持久戦に持ち込めば我々の方が圧倒的に有利です」


 ヒロたち、そして狼たちの動きに合わせて、森の木の葉があちらこちら移動しているのを、二匹の親子はその琥珀色の瞳でキョロキョロと追っていた。


 ヒロと同い年のタイガは、母親であるササからいささか過保護気味に育てられたせいか、世間知らずで頭が固い。

 そのことが唯一の悩みのたねだったのだが、将来この山脈すべてを司るためにも、彼には幅広い見識を有して欲しいとササは願っている。

 そんな母の親心を知ってか知らでか、当の本人は突然の乳兄弟の出現に慌ただしく叩き起こされ眠そうにあくびを噛み殺していた。



 ヒロたちは馬を器用に操って、ガサゴソと動く黒い影を振り切って何とか走っていた。

 途中で朽ちた木にぶつかったものもあったようだが、執拗な追跡から逃れられることはできない。


「何なんだコイツら! どこまでも追ってくる!」

「数が凄いんだ! こんな大勢相手にしたことない」

 すると一番後ろを走っていたテルウ目掛けて、草むらから一匹が飛び掛かった。


「ギャア!」


 それは真っ黒な黒狼で、大きな口をバックリと開けて確実に相手の息の根を止めようと、テルウの首筋に狙いを定めていた。

 すかさず、薬屋のベルトに忍ばせてあった短刀で黒狼を一撃でしとめる。


「テルウ! 大丈夫か?」


 カイが振り向いて呼びかけたにもかかわらず、珍しく何の反応も見せず黙り込んでいた。


 返り血を浴びて狼の血がべっとりとテルウの顔についていたのだが、それがとてもショックだったようで、「もう嫌だ! 早く立ち去りたい! 俺は狼が大の苦手なんだ! あの牙でこの顔の肉が引き裂かれることを考えただけで身の毛がよだつ。早くササの元へ行こうよ、ねえヒロ!!」と涙声で訴えた。


 腹を空かせているお前は、飢えた狼となんら変わらないぞ。


 そんな事をカイは思っていたのだが、実はカイ自身も、幼い頃より苦手なものがあった。

 とてもじゃないけれど、人一倍高いプライドを持っている彼は、ヒロやテルウにそれだけは悟られたくない。


「苦手なものは苦手で別にいいじゃないか。早く森の女王の元へいくぞ、テルウ」


 カイが励ますなんて、珍しい。いや初めて?

 キョトンとしたテルウは顔に付いた血をササっと服の袖でふき取り、馬の手綱を握り直した。


 ヒロたちは熟知した山脈の森の中を走りまわり、狼たちの追撃を何とか振り切っていたが、次第に形勢が逆転しそうになっていく。

 さすがに操っている馬たちに疲労の色が見え始めたのだ。

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