熱帯:なぜ表現の重複を避けるのか
〇同じ表現の多用について
同じ表現の多用をさけるのは、小説における作法のひとつである。
たとえば、「ギョッとして」を使った直後に同じ表現を当てるのはやめて、「驚いて」などに変えるのがよいとされている。
なぜ、同じ表現の多用を慎むべきなのか。
それに対する私の回答はこうだ。
「同じ言葉が繰り返された箇所で無意識に反応してしまい、読み手のリズムが変調する。その変調がマイナスに働かないのならば、言葉の多用は問題ないが、多くの場合はリズムがわるくなる」
実例を挙げると、森見登美彦「熱帯」(文春e-book)では、「ギョッと」という表現が十回も使われている。
結果、意味もなく「ギョッと」で目が止まり、読むリズムがわるくなった。
もうひとつ、「熱帯」には気になる表現がある。
茫然という言葉だ。
作中に二十三回、とくに第五章では十二回も使われており、読んでいると羽虫のようにうっとうしく感じた。
作品のキーワードではなく、言い替えも可能。それなのに多用した意図がわからない。
「ギョッと」と「茫然」の多用について、その理由を作品全体の印象から推測すると、単に推敲が足りなかっただけかもしれない。
森見さんの他の作品に比べて、「熱帯」は各段に文章の練度が低い。
私は深く考えずに同じ表現の多用を避けて来たが、「熱帯」を読んで、その正しさを再認識した。
工夫のない同じ表現の多用は、職業作家でもリズムがわるくなる。
〇「熱帯」の評価
「熱帯」は森見登美彦という作家を考えるうえで特別な作品である。
しかし、それは小説自体の評価とは直結しない。
チャレンジ精神は認められるべきだが、読み物としての完成度が低い。
森見さんの明るい作品しか読んだことのない人には、読み切るのは難しい。
森見さんのいままでの積み重ねがあったから本になった作品。
そういうあいまいな物言いをやめて、はっきり言ってしまえば、「熱帯」は森見作品でゆいいつの失敗作だと私は考えている。
そして、その原因は、ただただ完成度の低さにある。
森見さんの他の作品に比べて、読み進ませる力が明らかに弱い。
文章を細かく見ていくと、とくに後半は、これまでの森見作品には見られない安っぽい、不要な比喩が散見される。
また、目で人物の感情を表す場面が多いのだが、「それはどんな目つきですか」と聞きたくなる描写がところどころにあった。
「熱帯」は、千夜一夜物語をモチーフにした入れ子構造の物語であり、そのアイデア自体はさして珍しくない。
珍しくはないが書き切るのが難しく、読み手を選ぶ題材である。
しかし、その題材選び自体に問題はなかった。
複雑な構造の小説を読ませるには、文章がすっきりしていなければ難しい。
それなのに、あまりにも文章の練度が低すぎた。
この点をクリアしていれば、もっと評価の高い作品になっていたはずだ。
それは作者の力量ではなく、努力・時間の問題である。森見さんの事情は知らないが。
「熱帯」はこのまま眠らせずにリメイクしてほしい作品である。
もしくは鶴田謙二さんあたりにコミカライズしてもらいたい。
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