4話-原初-

 私には、仮の名前がいくつかある。


 今回の潜入作戦で使用しているアイドルのプロデューサーとしての、【シモツキ・カナエ】という名前も、その一つだ。




 しかし、本当の名前―――実の父と母が生まれたばかりの私に付けた名前は、今の私にとっては何の意味もない。


 私の出身地の役所に戸籍くらいは残っていたかもしれないが、恐らくはそれすらも【霧】の工作によって修正、あるいは破棄されている。




 二十年前、私は人間ではなく、国家の子供になった。


 平凡な家宅ではなく、国そのものを帰る場所とする、国家の子供に。


「これから貴方たちは、【国家の姫君】の契りを結ぶことになります」




 初老の女性がそう語る前には、年端もいかない幼女が正座して並んでいた。




 上半身にはサラシだけを巻いて、下は和服姿。


 赤々と灯る線香の火を、煙たさに目をしかめつつ幼女――私は見つめていた。


 この時、私はわずか五歳。


 幼くはあったが、いつも上っ面だけの柔和な笑みを浮かべた大人たちがこの時だけ厳粛な顔つきを見せていたので、その時の記憶ははっきりと脳裏に焼き付いている。




 私の隣には、二十人ほどの女子たちが、私と同じ格好で座していた。


 私含め全員が、【姫君】として国家に忠誠を誓う立場だ。


 【姫君】と言えども、王女のような尊敬のまなざしを約束された身分ではない。


 国家の影に行き、国家を陰で支えることに邁進する、戦乙女たちだった。




「国を裏切らず、友を裏切らず、また自分を裏切らない。そのような栄誉ある【姫君】の生きざまを、ゆめゆめ忘れぬように」




 その実態は、国家の元で諜報活動や特殊軍事作戦に従事する、少年少女の兵隊。


 すべて、先の大戦で家族を失った孤児たちで構成されている。


 死んで悲しむ家族もいなければ、他に生きる理由もない。


 正に国家の駒として動くには、これ以上ない適役というわけだ。




「線香を持ちなさい、◆◆◆」


 【彼】が私の名を呼んだ。




 なぜ、両親ではなく【彼】がその場にいたのか。


 私の脳内に残っている最も古い記憶が、その答えとなっていた。




 チェルージュの爆撃機による空襲によって燃え盛る街の中、瓦礫に足を挟まれ動けない私。


 燃え盛る火の手は、じりじりと微動だに出来ない私のところに迫ってくる。


 その時ははっきり意識できなかったが、あのままだと私は死ぬはずだった。それも、家の柱に潰されて即死した両親と違って、業火の中で苦しみながら死んでいただろう。




「地面に打ち付けなさい。それで儀式は完了します」




 だが朦朧とした意識の中で、力強い握力で、私を手を握り、そのまま腕の中に抱き上げる存在があった。


 それが、【彼】だった。




 悲しみ、などは特に感じなかった。


 元々感情の起伏があまりない性格だったのもあるだろうけど、両親や家庭を失うことが子供にとってどれだけ大きい喪失であるかを学ぶには幼すぎたから。




 だからこそ私は、その後自分が保護者や保育士に守られながらの平和な保育施設でなく、【姫君】を育成するための特殊機関に入れられることも、何の疑問も持たずに受け入れていた。




 地面に打ち付けろと言われた線香をなんの疑いも持たずに打ち付けたのも、自分が齢五つにして【他の娘と違う】という事実を理解していたからだった。




 【姫君】は一定の特別カリキュラムを受講したのち、個々人の適性に応じた任務を課せられる。


 動き回ることが得意であれば特殊部隊、医学への知識が勝っていれば医療機関、といった具合に、だ。




 その中で私が十二歳の時携わることになったのが、諜報活動だった。


 私の命を救った【彼】の教育を受け、盗聴、追跡、変装などに関するあらゆる訓練を受けた。


 家が空襲で丸ごと焼けたために、個人を特定するものが当局の戸籍情報以外に何もない、というのが主たる理由だったと思う。




 戦争は表向きは終結したが、櫻宗とチェルージュはいつまた内戦状態が勃発してもおかしくない状況下にあった。


 二国間の諜報戦は、終戦後も続いているのだ。


 その為に私は国家に拾われ、今の今まで諜報活動を続けている。


 あの時齢五つにして戦争ですべてを失った私は、成長した二十歳になっても、戦争の呪縛に囚われ続けている。




 だが、それに対して私が不自由さを感じることはなかった。


 どれだけ自分の意思通りの自由な生き方をしようが、人は死ぬ時は自分の意思に関係なくあっさり過ぎるくらい突然死ぬ。


 死ぬも生きるも、いつ何をしてどうなるかも、その場の偶然次第で、そこに個人の意思や能力などは微々たるもの。




 それが、あの日空襲で突然両親を失い、自分も死にそうなところを偶然【彼】に助けられた私の持論だった。




 だからこそ、アイドルのプロデューサーという仮の姿で彼女たちと接した日々は、私にとってこれまでのどの人生よりも奇妙な日々と言えた。

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