#0031 栞と旅行 (1)




 栞のコンサートから数日。

 おれは栞とのデートへと向かうため、自宅からの最寄り駅――小さな無人駅のホームでひとり列車を待っていた。



 ……朝の5時に。



 灰色の曇空。

 天気予報によると午後から雨が降るかもしれないということなので、おれの少ない荷物には折り畳みの傘を忍ばせてある。


 自宅から一番近いこの駅は、元々信号場だったという簡素な駅だ。

 無人駅だし、駅舎は小屋みたいだ。

 券売機も無いから車内や降車駅で清算する必要がある。


 そのためにポケットに忍ばせている財布は、いつもより多めの金額が入っていた。



 早朝ということもあって、8月の盛夏にしては涼しい風が吹いていた。

 ホームの向かい側に見える田んぼや、背後の草木や森がざわざわと囁いていた。


 外を出歩くには過ごしやすい気温。

 湿度もそれほど高くない。

 デート日和だった。



 おれは無人のホームにたたずんで、スマホを取り出す。

 乗るべき電車があと数分でやってくる時刻だった。


 スマホのアルバムを開くと、一番上には今日の旅程が書かれた1枚の写真が目に入る。

 数日前、栞から送られてきた写真だ。




 先日のコンサート後、おれは通話越しに栞に演奏の賛辞と謝意を伝えた。

 最後の方、栞はなんだか駆け足で話を切り上げてしまったようだけど……


 栞との通話のさらにその後。

 すこし経ってから栞はおれに1枚の写真を送ってきたのだ。


 そこに写っていたのはメモ用紙。


 木のデスク――おそらく栞の勉強机の上に置かれた紙片には、駅名と行き帰りの列車の時刻が書き込まれていた。



 出発は始発の普通列車。

 何度か乗り換えを経て、目的地につくのは昼前。

 そこで半日ほど過ごし終電で戻ってくるという日程が、栞の達筆な筆跡で書かれていた。



 なかなか強行な日帰り旅行だった。


 栞が俺とのデート先に選んだ行先は、県境を超えた先。

 ――山形だ。



 なるほど、予想の10倍くらいの遠出だけど、おれはまったく億劫ではなかった。

 同じ東北に住んでいても行ったことは無かったし(通過したことはある)、電車の時刻をひとつひとつ調べて旅程を組んでくれた栞の姿が思い浮かべると、楽しみに思えてくる。


 ……よく考えたらこの日程、おれは栞の今日1日を独占してしまうことになる。

 そう思うと、柄にもなく胸が高鳴ってしまう。


 そして、栞にとっても今日1日おれとずっと過ごすことになるわけで。

 栞がおれのために一体どんなデートを考えてくれたのか、どんな過ごし方でおれを楽しませてくれるのか。

 おれは期待でいっぱいだった。




 しばらく待っていると列車到着を告げる自動放送が流れ出す。

 そして、ステンレス車体の電車がゆっくりとホームに入線する。


 ローカル線にしてはやや長い4両編成。

 おれは先頭車のドアボタンを押して乗車した。



「あおいーっ」


 車両に乗り込んだおれを呼びかける、よく通る声。

 言うまでもなく栞の声だ。


 前よりのクロスシートからひょこりと身体を出して、おれの方に手を振っていた。

 まぶしいくらいの笑顔だった。


 どうやらおれと栞以外に乗客はいないみたいで、実質貸し切り状態だ。

 多少なら大きな声をあげても大丈夫みたいだ。


 おれは栞のもとへ向かって、挨拶をする。



「おはよ、栞」

「おはよう葵。寝坊しなかったようで安心したよ」

「おれは夏は朝早いよ? いつもは畑作業を朝にやってるから」

「へえー、それは殊勝だね。あ、忘れないうちに渡しておくよ。葵のぶんの乗車券だ」


 そう言って栞は自分の手荷物――座席に置いていた手提げバッグを漁って、目的地までの乗車券をおれに手渡してくる。



「えっ、もしかしておれの分の切符も買ってくれたの?」

「今日のデートはボクから葵へのお礼のつもりなんだ。1日も葵を拘束させてしまうんだから、移動費くらいは払わせてほしい」

「えっと、もちろん栞の気持ちは嬉しいんだけど……結構な値段だし、そこまでしなくていいのに」

「ボクが葵にお礼をしたいんだ。それに、……友人ならこのくらい払っても当然、なんだよね?」


 ――友達なら当然。

 おれが綾に服を買ってあげるために言った言葉をそのまま返されては、おれは何も言えなくなってしまう。



「……まったく、ボクや綾にあれだけ贈り物をしておいて、どの口が言うんだろう」

「ありがとう」


 おれはやや苦笑いを浮かべ、素直に乗車券を受け取る。


 おれを責める栞の口調は、しかし刺々しさはない。

 むしろ遊び心からの会話だ。


 栞は茶目っ気たっぷりに舌を出して笑った。



 光あふれる栞の表情。

 今日の曇空を忘れてしまいそうな、晴れやかな笑顔だった。



 栞はスキニーなパンツにTシャツというシンプルな出で立ちだった。

 手に持った帽子も相まってとても夏らしく、さわやかな印象だ。


 足元は、今日は赤色のスニーカーだ。

 今日はたくさん歩くからだろう。とても動きやすそうだ。



「……葵? どうかしたかい?」


 ……コンサートで見せた清楚で妖艶なドレス姿も似合っていたけれど、こういう普段着姿だとまたガラリとイメージが違う。

 今日の栞は、完全に活発な女の子という感じだ。

 その鮮烈なギャップに、簡単に感情を揺さぶられる。


 ……やばい。可愛すぎる。

 一目見ただけで鼻血が出そうなくらいの可愛らしさだった。



 綾といい、この姉妹はどうして何もしてないのにこんなに可愛いんだろう?


 そんな思いに囚われて、しばし栞から目が離せなくなってしまったのだ。



「……いや、なんでもないよ」

「そうかい? 立ってるのもなんだから、座ろう」

「うん」


 もう既に電車は動き出していた。

 栞の促しで、おれたちはひとまずボックスシートに腰を下ろした。


 持っていた荷物(あまり多くないけど)を隣の座席に置く。

 栞も同じようにしていて、手提げバッグの口が開いているのが見える。



 車窓の外には緑色の木々が前から後ろへと流れてゆくのが見えた。

 電車はどんどん速度を上げて、おれが住む町があっという間に遠く離れていった。



「そうだ、栞に提案があるんだけどさ」


 少し落ち着いたところで、おれは栞に話しかける。



「なんだい?」

「今日の帰りの電車だけどさ、1本早めることはできないかな?」

「えっと……どうしてか訊いてもいいかな?」


 困惑した表情で栞が訊き返してくる。


 まあ、そうだよね……


 目的地は県境を超えた先、始発で向かったとしても付くのは昼前だ。

 栞はおれと過ごす時間をたくさんとるため、終電で帰るスケジュールを組んだのだ。


 田舎だから電車の本数も多くない。

 帰りを1本早めるということは、栞と街を見てまわる時間がそれだけ短くなってしまうことを意味する。



「栞と一緒に過ごしたくないとかそういうわけじゃないよ。ただ、栞のことをお家まで送ってくこと考えると終電だと……」

「いや、葵にそこまでしてもらう必要はないよ」


 胸の前で手を振って遠慮する栞。

 しかし……


「いやあ、さすがに日付変わる時間帯だし、いくら駅から近いといってもさすがに女の子ひとりで出歩かせられないよ」


 これだけの可愛らしさだ。

 ますます心配になってしまう。



「葵。心遣いはとってもうれしい。けど……」

「……やっぱり滞在時間が減っちゃうかな」

「そうなんだ。そうなるとたぶん夕方には出発しないといけないし……夕食をとれなくなってしまう」


 落胆、というほど露骨ではないけれど。

 それでも栞が考え込む表情は冴えないものだった。


 うーむ。どうしたものか。



「……わかった。おれも栞とのお出かけを楽しみたいし、とりあえず予定通り最終で帰るつもりでおこう。けど、やっぱり栞のことは放っておけないからおれが送る。これは譲れないよ」

「それだと、葵が帰れなくなってしまうんじゃ?」

「電車では帰れないね。だから、父さんに迎えに来てくれないかお願いしてみるよ」


 奥の手的手段ではあるけれど仕方ない。


 おれはスマホを出して、父さんにメッセージを打つ。

 終電で帰るかもしれないから、家まで送って欲しいんだけど、と簡単な文を打って送信してしまう。



「いいの?」

「まあ、たぶん大丈夫。父さんはいつも帰り遅いから」


 父さんはいつも帰りが遅いのがデフォだし、日付を超えるなんて日常茶飯事な人だ。

 たぶんいつも通りなら、ちょうど帰宅する父さんの車に拾って貰えそうな気がする。



「その、ごめん。ボクのわがままのせいで葵のお父さんにまで迷惑をかけてしまって」

「栞は気に病むことないよ。できるだけ長く過ごしたいってのはおれも同じだから、気にしないで」

「ありがとう、葵」

「……コホン、お客さま」


 そんなやりとりをしていると、横から割って入る声が。

 ふたりして同時に視線を上げて振り向くと、車掌さんが検札に来たようだった。


 おれは栞がくれた乗車券を車掌さんにお見せする。

 いつもなら乗車駅証明書を見せて車内で清算するところだ。



 おれの乗車券を確認した車掌さんは去ってゆき、ふたたびおれと栞のふたりだけの空間になる。




「……」

「……」



 ガタンガタンと、列車が上下に揺れる音が響いていた。

 おれたちは自然と無言になっていた。


 おれと栞は座席で向かい合って座っている。

 なんとなく目を合わせるのが気恥ずかしいのか、栞はうつむき気味だ。



 座席の間隔が微妙に狭いせいで、向かい合ったふたりの足がすこし絡み合っている。

 そのせいでおれも少し恥ずかしい気がする。


 ふたり掛けの座席なので、どちらかが横にずれればそうならずに済むんだけど……

 それはそれでなんだか相手のことを避けているようで、気が引けたのだ。



「…………」

「…………」


 おれも栞も、お互いの足元を見つめている。

 少しの電車の揺れで何度も触れ合っていた。


 そのたびに栞の頬がピンク色に染まってる、気がする。


 ちょっとだけ重い沈黙だった。

 おれは静かなのもあまり苦にはならないけど……



「あ、そうだ」

「ん?」


 そういえば、言い忘れていたことがあった。



「栞の服、とても似合ってるよ」

「なっ……」


 女の子の服を褒める。

 あまりこういう経験はないけど、デートでは大事なことなんだという知識はある。


 それに、良いと思ったことは言葉にして伝えることが大事だと思うから。

 おれの本心を栞に言ってみる。



「さっきおれが言い淀んでたのは、栞に見惚れてたからなんだ」

「~~っ」

「言うかどうか迷ったけど。やっぱり言うことにしたよ」

「さ、さらに恥ずかしいこと言わないでくれっ!!」



 おれは赤面した栞に怒られるのだった。









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