亡き王女のための

​ 春のある日、王都は建国記念日を祝う華やかな空気に包まれていました。

 お祭り騒ぎになる王都には人も増え、ごちそうが用意され、踊ったり食べたりしてその日を過ごします。そんな賑やかなお祝いがある日ですが、入り組んだ住宅街の中まではその喧騒も届かず、お店の周りは静かでした。


 わたしはお店の前の植木鉢に水をやりながら、花が咲くのを楽しみにしていました。茎が伸びてきたので、今年もきっと綺麗な花が咲きます。お店の花をお世話するのはわたしの趣味のひとつでした。

 石畳の白い道を、子供たちがお祝いで配られる風船を持って、笑い合いながら駆けていきます。表通りはもっと賑やかになっていることでしょう。


 そんな中、悲しげな音楽がどこからともなく聞こえてきました。

 ヴァイオリンの音色です。お祭りの雰囲気とは正反対の、とても悲しい旋律でした。

 しばらくすると音はやがて止んでしまいました。

 一体どこから、と思って辺りを見回してみますと、ヴァイオリンケースを肩にかけた旅装の男性が向こうから歩いてきました。


 短い茶髪に、先のとがった帽子をかぶっています。その手にはヴァイオリンがしっかり握られていました。道を歩いていく男性を、わたしは気づいたら呼び止めていた。

「あの、先程のヴァイオリンの音色はあなたですか?」

 男性はこちらをちらりと見て、少し目を見開きました。そして立ち止まって言いました。

「……今の音色が、聞こえたのですか?」

 優しそうな、けれどどこか沈んだような声でした。


「お嬢さん、血縁に魔法使いがいるのですか?」

「え? ……いいえ、そんなことはありません」

 そんな話は誰からも聞いたことがありません。わたしみたいな下町の宿屋の娘に魔法使いの血が流れているなんて、そんなことはありえません。父も祖父母も、普通の人間でした。


「それは変ですね。まあいいか。あなたが聞いたヴァイオリンの音は確かにこれでしょう」

 男性は持っているヴァイオリンを構え、少しだけ弾いてくれました。先程と同じ、とても悲しげな曲でした。

 男性はヴァイオリンを弾き終えると、わたしを見て少しだけ笑いました。


「……この日は私にとって、とても特別な日なのです。だからこの日には必ず、町のあちこちでこの曲を弾くのですよ」

 男性は、これからも別の場所で弾かなければならないから、と足早に去っていってしまいました。わたしはその後ろ姿を見送ってから、お店の中に戻りました。



 それからしばらく経った頃、あるお客様が不思議なお話を聞かせてくださいました。

 わたしが建国記念日の日に不思議なヴァイオリン弾きの方を見かけたというと、思い当たる節があると言って語ってくださったのです。

 その方はたまにお泊まりになられる黒髪の女性で、学術都市の研究棟で魔法の研究をしていらっしゃいます。

 知的で大人びた、素敵な方なのです。どうやら学術都市から王都まで、研究棟の教授から頼まれごとをして王都にいらっしゃったそうです。


     ***


 この前の建国記念日のときのことでしょう?

 私、ヴァイオリン弾きと聞いてピンときたわ。

 毎年、町中がお祝いに包まれて楽しくなる日だけれど、この日には悲しい伝承があるの。

 三十年以上前のお話よ。あらやだ、私はそんなに老けていないわよ。研究棟の先生にお話を聞いただけなの。


 そうだわ。いつもの葡萄酒を出してちょうだい。うふふ、カシスが入ったあの風味がたまらなく好きなのよねえ。……ありがとう。いただくわ。それで、そうそう昔話だったわね。


 その昔、カスティア王国には愛らしいお姫様がいたの。

 淡いラベンダー色の長い髪をしていた、まだ十三歳くらいの女の子。

 少しおてんばで、元気すぎるくらい元気な子よ。あまりにやんちゃをするから、お父上の王様も、年の離れたお兄様の王子様も、心配ばかりしていたそうよ。

 確かラヴェンタ王女というお名前だったわね。


 ラヴェンタ王女は元気なお姫様だったけれど、とてもお心の優しい方でもあったの。お城の中庭を駆け回ったり木登りしてばかりだったけれど、怪我をした小鳥に一生懸命手当てしてあげたりするような女の子だった。


 その頃、ちょうど王城には客分として腕利きのヴァイオリン弾きがやってきていたわ。あまりに素晴らしい吟遊詩人だと下町で評判だったから、王様がお城に呼んだの。是非目の前で彼の歌とヴァイオリンを聞きたいとおっしゃったのよ。


 ヴァイオリン弾きは王城に呼ばれ、大勢の前で歌を披露した。

 王様と王妃様と、ラヴェンタ王女と王子様、そしてその場にいた者全員がヴァイオリン弾きの歌と音楽に聞き惚れたらしいわ。王様も絶賛されて、しばらく王城にいてほしいとお願いしたくらいだそうよ。


 けれどね、彼の歌に誰よりも喜んだのが、ラヴェンタ王女だった。末の姫様がすごく喜んだからっていうのも、王様が彼を引き留めた理由のひとつだと思うわ。

 ヴァイオリン弾きはそれからしばらく、王城で過ごすことになったの。

 お城のあちこちに行って綺麗な場所を眺めながら新しい詩を作ったり、気の赴くままに歌ったりしていたらしいわ。ラヴェンタ王女は彼の歌が大好きだったから、いつも彼の後ろにくっついて歌を聞いたりしていたそうよ。


 まだ幼かったそうだけれど、きっとヴァイオリン弾きに恋をしていたのね。

 王様や王子様はラヴェンタ王女がヴァイオリン弾きにいつもくっついていたから心配していたみたいだけれど、ヴァイオリン弾きがとても心優しくて、礼儀正しい若者だということを知っていた。だから二人の様子を見守っていたの。


 ヴァイオリン弾きは最初、王女様とは身分が違うから気安くしてはいけないと思っていたみたいだけれど、王女様があまりに美しくてお優しい方だから、次第にほだされていったみたい。

 お互い根が優しい気性だったから、気が合ったのかもしれないわね。二人は次第に打ち解けて、仲よくなっていったらしいわ。


 ヴァイオリン弾きはよく中庭に出て歌い、ラヴェンタ王女はその近くでずっと彼の歌を聞くことが日課になっていた。王女は彼と会ってからあんまりおてんばすることがなくなって、ドレスや髪型にも凝ったりし始めたそうだから、恋って不思議よね。


 その日も二人は天気の良い中庭に出て、歌ったり楽しく話したりしていた。

 ヴァイオリン弾きは噴水の石段に腰掛けてヴァイオリンを弾き、ラヴェンタ王女は彼の隣に座って、曲が終わるまでその音色をずっと静かに聞いていた。

 曲が終わってからラヴェンタ王女が言ったの。


「ねえ、あなたはどうして吟遊詩人になったの?」

 ヴァイオリン弾きは王女に笑いかけた。

「僕の取り柄と言ったらヴァイオリンくらいだったもので、気がついたら詩を作って歌うようになって、旅をしていました」

「確か、王都の下町の生まれなのよね? あちこち旅してるってことは、もしかして他国にも行ったことがあるの?」


「はい。オスタールに一回だけ。とても暑かったです。ほとんどはカスティア国内をあちこち旅しています。学術都市の、研究棟の高い建物を見たこともあれば、草原が広がる北の地に行ったこともあります。港町は海風が気持ちよくて、白いカモメがたくさん飛んでいました」

「いいなあ。私はお城から出たことないから……」


 ヴァイオリン弾きは王女の薔薇色に染まる頬に手を伸ばした。

「ラヴェンタ様がもう少し大きくなられたら、王様もお許しになるかもしれません。王子様は下町に出られることもあるそうですし。そのときは、僕が町を案内しますよ」

「じゃあ、約束よ! 絶対よ!」

 王女は輝くような笑顔でそう言い、ヴァイオリン弾きも頬を赤く染めながら頷きました。それから指切りして、約束したの。


 二人の穏やかで幸せな時間は続いたわ。ちょうど一年が経つ頃までは、ね。



 ええ、一年経っても、ヴァイオリン弾きは王様一家に気に入られて、お城で暮らしていたの。もちろん、ラヴェンタ王女と毎日庭に出て、歌ったり話したりして過ごしていたわ。

 たった一年なのに、ラヴェンタ王女は見違えるほど大人びて、美しくなられた。

 ヴァイオリン弾きとラヴェンタ王女は、その頃にはもうすっかり恋仲になっていたわ。距離はぐっと縮んで、二人寄り添って過ごすことも増えた。


 そんな旅のヴァイオリン弾きをよく思わない人もいたみたいだけれど、王様一家は心優しい彼を信用していたわ。だから二人の仲が進展しても、何も言わずに見守っていたの。

 もう家族同然に思っていたかもしれない。もう少し王女が大きくなられたら結婚だって許していたかもしれないわ。後継ぎは、ラヴェンタ王女のお兄様がいらっしゃったのだもの。


 幸せの中にいた二人だけれど、それもいつかは終わるもの。

 不幸は、突然訪れたの。

 おてんばが少なくなっていたラヴェンタ王女だけれど、性格が変わったわけではなかったわ。相変わらず元気で、そして優しかったの。


 あるとき、木の上で怪我をしている子猫を見つけてね。いくらやんちゃが少なくなっていても、怪我をした動物を目の前にして放っておけるような方ではなかった。

 ラヴェンタ王女が子猫を放って大人しくしているなんてできなかったの。

 王女は猫を助けようとして木に登った。ヴァイオリン弾きはもちろん止めようとしたわ。

 でも止める彼を振り切ってラヴェンタ王女は木に登っていってしまったの。それをヴァイオリン弾きは、はらはらしながら見ていた。


「ラヴェンタ! 危ないから下りてください!」

「大丈夫! あと少しだから!」

 木の上で子猫を抱いたラヴェンタ王女が下りようとしたとき、王女は慣れているはずの木登りで、足を滑らせてしまった。

 一瞬のことだったそうよ。高い木だったし、王女はまだ子供だった。

 頭の打ちどころが悪かったそうなの。

 ええ、そうよ。……亡くなられてしまったわ。


 王様も王妃様も王子様も、大臣も門番も、誰もかれもみんな悲しんだわ。

 その日は建国記念日で、王国中がお祝いに沸く日だったけれど、厳かにラヴェンタ王女の葬式が執り行われた。

 もちろん、ヴァイオリン弾きも悲しんだわ。王様一家の悲しみは人一倍だったでしょうけど、彼も同じくらいか、それ以上に悲しんだでしょうね。


 恋人同士だったのだもの。

 可愛らしくて、優しいラヴェンタ王女の愛くるしい笑顔がいつまでも離れないと言って、昼夜問わず泣き通していたと、当時のことを知っている研究棟の先生はおっしゃっていたわ。


 悲しみに暮れるヴァイオリン弾きは辛くてたまらなくなり、お城を去ると王様に言ったそうよ。けれど王様は、せめてお前だけでもいておくれと説得したんですって。

 今まで身分を越えて一緒に暮らして、ラヴェンタ王女との仲も好きにさせていたくらいだもの。王様はなんとか彼を引き留めようとしていたの。


 けれどヴァイオリン弾きは城を出ていってしまった。そして町にある一番高い塔の上で、ラヴェンタ王女への想いを綴った歌を歌ったそうなの。

 それはとても悲しい旋律で、聞く者すべてが涙を流したといわれているわ。

 その後、ヴァイオリン弾きは悲しみのあまりそのまま塔から身を投げてしまった。

 王女のことが忘れられなくて、後を追うように死んでいったの。


 王様は彼まで死んでしまって、とても悲しんだそうよ。王妃様もそう。二人とも悲しみに暮れて、数年後身体を悪くして死んでしまったそうなの。

 その後王子様が王様になって、今に至ると言われているわ。


 数年間、建国記念のお祝いは自粛になった。けれど時間が経つにつれ、ラヴェンタ王女とヴァイオリン弾きの悲しい死の記憶は薄れていき、建国記念日でまたお祝いをすることになった。そして今のように、王都中で賑やかなお祭りをするようになっていったの。


 けれどね、死んでもなお、ヴァイオリン弾きの悲しみは消えなかったと言われているわ。

 というのもね、毎年建国記念日の日になると、どこからともなく悲しいヴァイオリンの音色が聞こえてくるようになったんですって。

 ある人は、ヴァイオリンを弾いて町中を歩く男を見たというわ。


 そう、ヴァイオリン弾きは王女が死んだその日になると、彼女への想いを綴ったあの悲しい歌を歌い、ヴァイオリンを弾くの。毎年、三十年間ずっとよ。

 亡きラヴェンタ王女のために、彼女への消えない想いを、永遠の悲しみを音色にして歌い続けているのよ。


 あなたが見たヴァイオリン弾きは、もしかしたらその人かもしれないわね。

 ええ、もちろん彼はもう、死んでいるわ。塔の上から身を投げたんですもの。

 悲しい音楽が、その日だけどこからともなく聞こえてくるっていう話ならたくさん聞くんだけれど。


 ……話した? そのヴァイオリン弾きと?

 あら、どういうことかしら? それで、血縁に魔法使いがいるか訊かれた?

 ……ええ、そうよ。普通の人に見えないって言ったのはね、魔法使いなら見える可能性があるってことよ。ええ。魔法の素養がある人にしか見えないと思うわ。

 

本当に心当たりないの? そうよね。ずっとこの場所で宿屋を営んでいるんでしょう? それなら魔法使いの血を引いているとは到底思えないけれど。この宿ってひいおじいさんの頃からだったかしら?


 でももしかしたら、魔法使いの先祖がいるのかもしれないわよ。それにあなたの知らない何かがあって、魔法使いと関わりがあるのかもしれない。それがないって保障は、ないと思うわ。


 もしかしたらあなた、魔法使いの血を受け継いでいるのかもしれないわね。

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