恩師がなくなったというエピソード

 先日、そんなことをお伝えした所、やさしいお言葉が多数届きました。

 心配をおかけして申し訳ございませんでした。

 そしてありがとうございます。



 さて、今回の自主企画には音楽的な要素を含んでいます。

 亡くなられたというのがまさに、私の音楽人時代の恩師でありましたので、ちょうど良い、と言ったらバツが悪いですが、これも何かの縁かも知れませんので、語っていきたいと思います。


 私が専門学校を卒業し、音楽の仕事に携わりながらもバイトで不足分を補給している、そんな若かりし頃の話です。私はあるアーティストに出会いました。


 たしか、新宿のとあるライブハウスで、対バン(同じ日のライブで、別の出演者)だったと思います。私はインスト(歌なし)バンドで、彼女は自身のバンドを引き連れての登場だったと思います。


 ここで縁がありました。私のバンドのドラマー(著書エッセイにも登場)と、彼女のバンドのベーシストが同郷で、先輩後輩の間柄だったのです。

 そんな偶然あるんだなぁと思いました。ちなみに私はその後そのベーシストと仲良くなりました。


 そのベーシスト繋がりで、私が参加するインストバンドの作編曲をすべて私自身が行っていると知った彼女から、

「自主制作でアルバムを作りたいから、協力してくれ」

 と声をかけていただいたのが、そのきっかけでした。


 アルバム制作は順調に進み、いよいよレコーディングをどうしようか、という所で登場したのが、私の恩師です。


 彼は彼女(件のボーカリスト)のデビューシングルのレコーディングエンジニア、ミックスを担当していた、業界の著名人でした。彼は

「娘のようなものだ、それが頑張ろうとしているのに、応援しない訳にはいかない」と、無償でそれを引き受けてくれたのです。


 彼には多くのことを教わりました。

「音を録る、とはどういうことか」

「音はどういう現象か」

「それを聴く、とはどういうことか」

「それを届ける、ということはどういうことか」

 音楽専門学校を出ていながらも、あくまで演奏先行だった私にとっては、とても衝撃的な問いであったし、その教えも今なお深く刻まれています。またその中で、「ミュージシャンに最高の演奏をしてもらうために、我々ができることは何か」という、とても大切なことも教わりました。


 ポピュラー・ミュージックは、多くの場合、その収録はスタジオ・ミュージシャンがそれを担います。スタジオ・ミュージシャンは楽器演奏のプロであり、基本的には、リハ数回→レコーディングを同日に行います。吹奏楽部とかバンドマン達のように、何回も繰り返しリハーサルしたりしないんですよね。それでもプロですから、それ以上の品質で演奏してくれます。


 以上のような理由から、プロミュージシャンの多くは「はじめまして」から現場で出会い、その日のうちに最高のセッションをしなくてはならない訳です。


 そういった彼らの演奏を、「この後ずっと残ってしまう音として収録するという責任を追うのがレコーディングエンジニアである」と、彼は言うのです。


「君はプレイヤーだよね。なら、君ならどんな事をしてほしいか、されたくないか。君が磨いてきた音をどう収録して、そして届けて欲しいか。こだわりがあるからわかるよね。それ以外にも、環境や雰囲気も、全部こちらの責任。だって彼らは、収録られた後のことは、手を出せないんだから。それでも音はずっと後世に残ってしまうんだ。――僕たちが死んでもね。そういった人たちがつどって生まれたキセキを、活かすも殺すもこちら次第。その責任が彼らに追求されることはあってはならない。――彼らの生き様を預かる義務が、我々にはあるんだよ」


 当時、プレイヤーでもあった私に、この話は突き刺さりました。


 プレイヤーは「自分の音」「自身のプレイスタイル」に磨きをかけ、そこに自身を投影します。なぜなら、ごまんといるプレイヤーの中で「たしかに自分である」という証明が必要だからです。

 私の周りには幾人ものサックスプレイヤーがいました。私よりも技術も度胸も世渡りも上、なんて人は本当に数え切れないほどいました。正直、レコーディングの仕事の量を考えれば、プレイヤーの数は圧倒的に飽和しているとさえ思います。

 そしてレコーディングされた音には、プレイヤーの姿かたちは移りません。残るのは、CDラベルに印刷されたネームだけ。

 だからこそ、「その音がたしかに自分である」という個性を磨き、数多のプレイヤーの中から確かに自分を見つけてもらい、自分のファンを獲得するということが重要なのです。でなければ、自身が演奏する必要がないから。音になってしまえば、なおさらです。


 このあたりの心境を、レコーディングエンジニアが真摯に受け止めてくれているという事実に、感銘を受けた訳だったのです。



 そんな彼はガンを患っていたそうです。ステージ4。死の直前まで、ごく限られた人にしか明かしていなかったそうです。



 私は訃報を受け、彼の言葉を思い出しました。


「僕の残した音達に、後悔をのせたくないからね」





 ――そんな訳で、ちょっとした小話でした。

 企画が始まった後に知った彼の訃報ですが、作品テーマといい、なんだか縁を感じます。

 後世に残る、という意味でいうなら、小説もそうですよね。

 私達も、そこに後悔をのせないようにしたいものです。



 それでは、また。

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