6-3.放浪者と巫女

 「やはり西方に災いありか」


 夜、ちょうど日付が変わるか変わらないかという時、放浪者アリガレストは王から与えられた部屋で占いの結果に溜息をついていた。毎晩行っているこの占いでは西に災厄がもたらされるという結果が何度も出ていた。

 魔法や呪法を用いない占術はそれらを用いる場合に比べて精度が落ちる。しかし、一週間行ってこれだけ何度も同じ結果が出れば別だ。やはりラーナスールに戻るべきかもしれない。

 ついでにフーリナイアのことも相談できればなぁなどと思いながら放浪者アリガレストは部屋の扉を見て、「それにしてもどうしたもんか……」と呟いた。

 十五分ほど前から部屋の前を何度も行ったり来たりしている気配のことだった。時おり自分に言い聞かせるような「大丈夫」とか「やっぱり」とか言う言葉も聞こえてくる。

 エンドリア王やトーリアス達ではない、彼らなら迷わず入ってくるだろう。

 フーリナイアでもない、彼女も迷わず……というか一切躊躇せず入ってくるだろう。

 使用人や侍女でもない、こんな時間に訪ねる理由がない。

 となると、もう消去法で一人しかいない。放浪者アリガレストはドアを開けた。


 「こんばんは、トウコクホウノフキノヒメ様。夜更かしは美容の天敵ですよ」

 「きゃあっ!」


 昼間の書庫の時と同じように飛び跳ねて驚く寝間着姿のトウコクホウノフキノヒメ。放浪者アリガレストの部屋のドアとは反対側の壁に背をぴったりと付けていた。


 「よろしければ――」

 「失礼します!」


 「食堂にでも行きませんか?」と言おうとした放浪者アリガレストを遮って、そう言うと彼女はなぜか部屋の中に入って行く。仕方なく放浪者アリガレストは施錠せずにドアだけ閉めた。

 部屋の中央でトウコクホウノフキノヒメは放浪者アリガレストに背を向けて何かを待っているかのように見えた。しかしいつまで経ってもそれが来ないと思ったのか観念したかのように彼に向き直るとおもむろに来ているものを脱ぎ捨て「放浪者アリガレスト様、私と男女の契りを交わしてください!」と言った。

 思わず目を奪われるような、清廉さと妖艶さを併せ持つ巧緻こうちな硝子細工のように美しい肢体だった。


 「どれだけ痛くても、どれだけ恥ずかしくても耐えます。後からあなたに襲われたなどと言うこともいたしません! 放浪者アリガレスト様のご自由になさってもらって結構です!」

 「そうですか……ではお言葉に甘えて」


 放浪者アリガレストはトウコクホウノフキノヒメの前に立つとしばらく彼女の眼をジッと見つめた。決して目を逸らすことはしなかったが彼女の瞳は震えて今にも泣きだしてしまいそうだった。

 そっと手を動かすと彼女の体が一際大きくビクリと震えた。冷たい雨に何日も晒された子猫のように哀れだった。放浪者アリガレストはゆっくりと床に落ちている彼女の寝間着を拾い上げると丁寧にかけた。


 「どうして、抱いていただけないのですか?」

 「そりゃもちろん、私は強姦魔ではないからね」

 「言ったではありませんか! 決してあなたの不利になるようなことはしないし言わないと!」

 「はあ、そもそも未婚の女性が男の一人部屋に来るということ自体が駄目ですよ」

 「フーリナイア様は良くて、私は駄目なんですか?」

 「はい?」

 「フーリナイアとお話しさせていただく機会があったのです! もう何度も放浪者アリガレスト様と同じ部屋で過ごしたことがあると仰っていました! 彼女に良くて私に駄目な理由を教えてください!」

 「あー、ちょっと待ってください」

 「そもそも、なぜ王城に部屋を割り当てられた数日の間に私をお呼びにならなかったのですか! 私だって今日は……ありもしない勇気を振り絞って……」


 それ以上は言葉にならないのか、トウコクホウノフキノヒメはその場に蹲ってしまった。放浪者アリガレストは彼女を抱え上げて部屋を出た。彼女は「誰かに見られたらどうするんですか! 恥ずかしいから降ろしてください!」と言ったが「私に裸を見せる勇気があるのに抱きかかえられるのは駄目なんですか?」と言うと黙り込んでしまった。

 食堂まで来ると放浪者アリガレストはトウコクホウノフキノヒメを椅子に座らせ、火の番をしている召使達からグラスを二つとポットを貰ってきた。彼らは最初泣きながら放浪者アリガレストに抱えられている巫女を見てギョッとしたが自分たちにどうにかできる問題ではないと思ったのだろうか何も言わずに食堂から退出してくれた。


 「さて、少しは落ち着きましたかな?」

 「はい……」

 「では聞きますがなぜあんなことを?」


 トウコクホウノフキノヒメはポツリポツリと話し始めた。

 放浪者アリガレストが王都ではなくラーナスールに現れたのは自分が行った英雄召喚の儀式何か力不足か手違いがあったからではないかということ。

 放浪者アリガレストが謁見の際自分のことを未熟者だと見抜いたのではないかということ、だから自分に会おうとしないのかもしれないこと。

 そんな自分に失望しているのではないかという焦りや恐れがあったこと。

 フーリナイアが積極的な分、その不安はどんどん大きくなっていったこと。

 彼女はそういったことを途切れ途切れに説明した。放浪者アリガレストは大きく溜息をついた。巫女として果たさなければならない使命がその細い肩に重く圧し掛かっていたことだろう。

 “巫女は自分が召喚した英雄と添い遂げる”という使命。巫女である前に一人の女性であるべきなのか。女性である前に一人の巫女であるべきなのか。その苦悩は男の、それもよそ者である放浪者アリガレストが察するに余りあることだろう。


 「それは、私の至らなかったところも大きな原因だ、申し訳ない。ですが言い訳をさせていただくとそもそも英雄と巫女の関係性について知ったのはつい数時間前のことでね」

 「そんな噓をついてまで! そんなに私には魅力がないのですか! あなたほどの知恵者なら伝承や歴史書を何冊か読めば勘づくはずです!」

 「それに関しては友人の騎士達にも変なところで鈍感だと言われましたね」

 「私に失望してはいないのですか? 私のことを恨んではいないのですか?」

 「なぜ失望するのですか? なぜ恨むのですか? あなたと会話した時間はまだ一時間にも満たないというのに」

 「私があなたを自分が召喚した英雄だとはっきり公言すれば、あの謁見であなたを疑う人たちを説得できたかもしれないのですよ、全て人の信頼を勝ち得ることが出来なかったとしても、杖や剣を取り上げられるなんてことはなかったかもしれないのに」

 

 トウコクホウノフキノヒメはそう言うとまたもや沈んだ表情を見せた。しかし放浪者アリガレストはクツクツと喉を鳴らしながら笑った。


 「どうして笑うのですか?!」

 「いえ、そんなことを気になされていたのですか。意外と可愛らしい」

 「か、可愛ら……私は真剣に話しているのです」


 突然可愛らしいと言われ顔を赤くして言うトウコクホウノフキノヒメに放浪者アリガレストは言った。


 「いや失礼。からかったりしているわけではないのです。ただまあ、私は今までいろんな国を旅してきました。その中で武器を取り上げられるなんてこと珍しくない。間諜かんちょうを疑いをかけられて問答無用で牢屋に入れられたことも一度や二度じゃなかったしね」

 「でも……」

 「でもなんでしょう? あなたにとって英雄とは武器がある時だけ勇ましい者を指すのですか? 自分が万全の状態の時だけ闇に立ち向かう者を言うのですか? それとも人々に信用されたから英雄なのですか?

 私はそうは思わない。状況というのは得てして自分の都合を考えてはくれないものだ。だからこそ私は思う。英雄とはいつであれ、どこであれ、どんな状態、そう名も持たない放浪者であれ、邪悪に挑む覚悟ができている者のことを言うのではないだろうか?

 たとえその先に待っているのが自分の死だったとしても」


 放浪者アリガレスト前半は泣いている子供をあやすように優しく、後半は意志の強さを感じさせるように堂々と言った。

 まるであの謁見の時のように放浪者アリガレストが堂々としていた。そしてその真摯な眼差しにトウコクホウノフキノヒメの胸はなにやらトクンときめくものがあった。ありきたりな言葉になってしまうが、運命を感じたのだ。


 「で、では私を部屋にお呼びにならなかったのはフーリナイアとお楽しみされていたわけではなく……」

 「ええもちろん、ていうかお楽しみってあなた……」

 「で、でもでも!」


 なおも言い縋るトウコクホウノフキノヒメに放浪者アリガレストはもう一度溜息をついた。それから少しだけ声を大きくして言った。


 「監視員、どうせいるんだろう? 少し助けてくれないか?」


 まるで今まで影の中に隠れていたんじゃないかというくらい音を立てず食堂の暗闇から人がヌッと現れた。真っ黒なマントをを着て、フードの為男か女か分からなかった。帯剣はしていなかった。


 「あ、えっと。放浪者アリガレスト様の監視役の騎士ですよね」

 「その通りにございます巫女様」


 監視の騎士は答えた。放浪者アリガレストが彼に言った。


 「巫女殿は私とフーリナイア様が熱い夜を過ごしていると言われるのだが、どうか私の潔白を証明してくれないか?」


 監視の騎士はコクリと頷いてから言った。


 「私は放浪者アリガレスト殿が就寝なさる時は彼の部屋の扉が見える位置で監視をしています。もちろん監視員は私一人ではなく複数人で交替で行っていますが、どのような行動をされたかは共有することになっていますその結果も踏まえて言わせていただきますと今までフーリナイア様が彼の部屋で一晩過ごしたことはありません。

 まあ、フーリナイア様は放浪者アリガレスト殿の部屋の合鍵を造ろうと鍵穴を調べたり、夜半部屋に忍び込もうとしたりすることはありましたが、その度に侍女長に折檻せっかんされてますね」

 「そ、そんな……」

 「ちょっと待ってくれ、後半のことは俺も知らないんだけど」

 「事実でございます。では、私は監視に戻りますので」


 そう言うと監視員は再び夜の闇に溶け込んでしまった。

 思わぬ事実を知らされた放浪者アリガレストはわざとらしく咳払いすると言った。


 「誤解は解けましたか?」

 「で、ではフーリナイア様が言われていたことは?」

 「ロイアスールのお屋敷にいた時ことでしょうね。まだ元気がなかったころ、色々なお話をするために彼女の部屋に伺ったことがありますから。そこで夜通し物語をせがまれたことはありますがもちろん侍女も付き添っていましたよ」


 トウコクホウノフキノヒメは自分の謬見に呆然としながら言った。


 「では幼児趣味や熟女趣味というわけでもなく……」

 「ええ、いやそもそも勝手に人を特殊性癖の持ち主にしないでください」

 「私の容姿が放浪者アリガレスト様の好みから絶望的に外れていたわけでもなく……」

 「あなたは美しいと思いますよ」

 「私の一人勝手な想像だったというわけですか?」

 「想像というより妄想の域ですけどね、もはや。それにフーリナイア様から聞いているかもしれませんが私は一応妻帯者なんですよ」


 ようやく二人の間にあった齟齬そごが解消されたが、その反動かトウコクホウノフキノヒメはそのうち煙が出てくるんじゃないかというくらい顔を真っ赤にして硬直していた。


 「あのー巫女殿?」


 あまりにも硬直が長いので心配になって放浪者アリガレストは声をかけるが反応はない。もしやと思い彼女の目の前で手を叩いてみる。やはり反応がない。


 「き、気絶してる……」

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