休日の前の騒乱

 俺は眠気を覚ますために紅茶を一杯飲む。冷静になろう、今目の前に存在しているのは現実であって俺の妄想の産物ではない。例えそれが恐ろしい顔をした妹とそれを煽る幼馴染みだとしても……


「あの女、お兄ちゃんに色目使いやがったんですよ!」


「信じられない……趣味にしたってもうちょっとマシな物があるでしょ!」


「その言い方もどうかと思いますが……まあ私がいるのにお兄ちゃんにワンチャンあるとか思うのはひどいですね!」


 事は俺が一通のラブレターをもらったことに始まる。


「その……あなたのことが好きです!」


 そう名前も知らない女子生徒は言ったのだが、そこに素早く割り込んできた妹によってそのせいとは追い払われてしまった。


 ついでに言うならその件でものすごく話題になってしまった……俺としてはいたって不本意なのだが、全てが終わってしまった後で文句を言ってもしょうがない。この告白については妹による『お兄ちゃんは私のものです!』の一言にドン引きして去って行った。今となっては告白してきたのが誰かすらも分からない。なお、ラブレター本体は即シュレッダー行きという悲しい結果を残したのだった。


「ああ……せっかくの生活の潤いが……」


「お兄ちゃんには私がいるんだから十分でしょう?」


「あなたねえ……一体どれだけ一人じめにする気なの?」


 重まで話に乗ってひどい有様になっていた。睡が俺にベッタリなのはもう知れ渡っているので百歩譲ってしょうがないとしてなんでお前まで話に乗ってるんだよ!


 こんな有様なので俺の意見など欠片も反映されることはない。ただただ妹と幼馴染みに陰口……影に隠れていないわけだが……を言われるがままになったのだった。


「お兄ちゃんを私から奪おうなんて百年早いんですよ!」


「そうね、100年後アイツが生きてるかどうかはとっても怪しいけどそのくらい無謀ね」


「わかりますか!」


「分かるわよ!」


 こいつらいつもは衝突するくせにこんな時だけ息がぴったり合っている。なぜその合意を普段から出来ないのか心底不思議だな……


 人間というのは誰かを褒める時よりも誰かをけなす時の方が合意しやすいのではないだろうか……人の汚い部分と言ってもいいだろう。妬み、嫉み、僻み、負の感情の方がいい感情よりも意識の統合がスムーズだと考えている。


「二人とも、もう勘弁してくれ……俺は誰かと付き合うとかないか!」


 もうやけになってそう宣言する。どのみちこの二人がいれば恋人が出来るとは思えないのでそう言っておいても問題無いだろう。


「そうですね! お兄ちゃんが有象無象に向き合うわけがないですよね! お兄ちゃんは私を愛しているのですから!」


「睡ちゃんはともかく、もうちょっと目につく範囲を探した方がいいんじゃない? 誰とは言わないけど普段からよく会う人とかいるでしょ?」


 睡はにこやかに重に物言いをつける。


「おやおや……幼馴染みとは負けヒロインの代表格みたいなものだと思いますがね?」


「ええ! 最近じゃ一周回って幼馴染みヒロインが流行ってんのよ?」


「妹以上に強いヒロイン属性があるとでも思ってるんですかね? 知ってます? 最近では何とは言いませんが血縁があっても言いそうですよ!」


「えぇ……」


 言い合いに果てに重はよく分からない理論で睡に言いくるめられていた。一体なんの話をしているんだろうな?


 そんなことを呆れながらぼんやり考えていると睡が俺の手を取って言った。


「お兄ちゃんは妹が好きですよね?」


「は!? いやまあ嫌いではないけど……」


「つまり大好きと言うことですね!」


「そこまでは言ってないんだが……」


 最後の言葉は妹の耳に届かなかったらしい、トリップしたような目で恍惚としている睡に対してかける言葉は無かった。なに言っても無駄だろうしな……


 妹が皆そんな思想ではないのだろうが、こと睡に関して言えば家族への愛情が尋常なものではない、それは執念と呼んでもいいのだろう。困ったことはそれに対して何の理由も思い当たらないということだ。


 大抵世の中のことには理由があって結果が存在している。しかし睡についてはブラコンという結果だけが存在し、そこに至るまでの過程が一切合切放り捨てられていていくら探してもまったく見つからない。まるで生まれつきのことのように俺に対して執着している。


 あまり良いことではないだろうが、それについて口論しても一切の生産性が無いばかりか俺の思考のおよばない考え方なので議論として成立しない。曰く『兄を好きなのは当然』だそうだ。


 常識という言葉は、それで片付けてしまえばそれ以上に議論が発展しない万能の理論だ。それを家族に振りかざされると家庭内がやや複雑になってしまう。かといって睡を怒らせてまでそれをひっくり返すメリットはほぼ無いので俺もそれについて反論することをやめてしまっている。


 しかし俺もその暴走を止めなければならない、嫌な仕事だが睡を止められるのは俺だけだろう。


「睡、もう断ったも同然なんだからいいだろう?」


「お兄ちゃんは分かってないですね? はじめの一歩をあの女が踏み出したと言うことが大事なんですよ! 一人を許したらどんどん増えるんです! ライバルはそんなにたくさん要らないんですよ! 重さんだけでも手一杯なのに!」


 手一杯? 友人関係を広げたくないのだろうか? それは自由だがもったいないことだと思う。


「睡、もう少し他の人と上手くやっていこうとか思わないのか」


 俺がやんわり注意すると睡は向きになって反論してきた。


「お兄ちゃんのガードが甘いからこんな事やってるんですよ! 大体お兄ちゃんがもっとシスコンならこんな事態にはならないんです!」


 よく分からない逆ギレをされてしまった。俺はコイツに大勢の友達を作って欲しいだけなんだが……俺と重だけとの友人関係とか寂しいだろう。


 しかし睡の逆鱗に触れてしまったのか昼休み一杯を使って俺は『何故シスコンではないのか』について延々と責められたのだった、理不尽にもほどがあるな。


「睡ちゃんの言うことは無茶が多いけど、むやみやたらに皆に媚びないのは誠も見習った方がいいわよ」


 とは重の談である。どうやらコイツも同じ意見らしい、しかし違うところもあるらしく一言付け加えてきた。


「いい? 私もちゃんといますよ? 睡ちゃん以外にも目を向けるべきだけどそれが明後日の方向を見ていたら元も子もないのよ?」


 二人がかりのお説教に俺は途中から何事もないように聞き流していた。


 そうして放課後、ようやく安心できる時間になったと思ったら重と睡に腕を引っ張られながら下校する羽目になった。いつものことではあるのだが……


「重さん、ちょっとお兄ちゃんを引き留めておいてください」


「分かったわ」


 そう言って下駄箱に小走りで言って何かをしていた後こちらに向けてオーケーのサインを出した。どういう意味かは不明だが、重が「セーフね」と言っていたのが気にかかった。


「さあお兄ちゃん! 『安全に』帰りましょう!」


「大丈夫みたいね、不審物が多い世の中だから気をつけなさいよ?」


 なにに対しての事なのかは不明だが、とにかくようやく帰ることができるらしい。こいつらの考え方はよく分からないな。重と睡が団結して俺に文句を言うなんて考えもしなかったことだ。


 そうして帰宅の途についてから、睡はいつも以上に俺にベッタリとしていた。身体を俺の腕に預けて抱きついているので引き離すことも出来ないくらいの力だった。


 それをいつもは止める重のはずだったが今日は違った。


「ま、手を汚した睡ちゃんにはそのくらいの権利はあるわね」だそうだ。


 俺は目立ちたくなかったのに、今日のことはどうやっても擁護が出来ないほどに目立ってしまったことを認めていた。


 そうして家に帰ってきたら睡は早々に夕食の準備に入り、俺は細々した雑用をやっていた。


 今日のことで悪感情も多いに買ったはずの睡だが、まったく気にしていないように鼻歌交じりに料理をしていた。俺には多分あの胆力の一端も得ることはないだろうと確信をしていた。


 夕食を食べ俺はお風呂を済ませてベッドに飛び込んだ。今日はあまりにも心労が多かった。心地よくない疲れが身体を包んで意識が飛んでいった。


 ――妹の部屋


「まったく……私がいるのにいい度胸をした人もいたものです……」


 そう考えるが、私は心持ちを切り替える。逆に言えば今日のことで私という存在がお兄ちゃんと一緒にいることを誇示できたと考えます。お兄ちゃんに手を出せば私が出てくる、そう印象づけておけばこんな無謀なことをする人もそうそうでないでしょう。


 今日のことは必要な犠牲だったのです、私とお兄ちゃんの関係を周囲に誇示するためのどうしても必要な儀式みたいなものだったんです。


 私はお兄ちゃんがどう考えようとお兄ちゃんから離れる気はありません。だからこそ、今日みたいな事には対策を立てることが必要なのです。


 いつかくるかもしれない私とお兄ちゃんの将来のために投資をしたことに満足しながら眠りにつくのでした。

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