四月中旬のこと……

 俺たちが入学して怒濤の四月が過ぎた頃、俺たちはすっかり仲良し兄妹としてのポジションを確立していた。時々知らない奴が俺に睡を紹介してくれと頼まれるがやんわりと断ることにしている。


「お兄ちゃん! 朝ご飯ですよ!」


 その声にキッチンに行くと何故かうどんが朝ご飯になっていた。


 朝から何故かとろろうどんが出てくるのは何故だろう? 朝ご飯だよな? ここはうどん県ではないはずなのだが……


「何故朝からうどん?」


 何故か睡は顔を赤らめて答える。


「とろろを自然に出すためにいいかなと……」


 何故山芋にそこまで執念を燃やすのかは不明だが、朝ご飯を用意してくれたのに文句を言うのは無粋という者だろう。用意された者はちゃんと残さず食べる、食事の基本マナーだ。


 ズルルル


「でさあ……まーたお前のこと紹介してくれって頼まれたんだけど……」


 ズルルル


「もちろん断りましたよね?」


 チュルル


「紹介したら夕食が塩パスタになるからな」


 チュル


「そんな理由なのもどうかと思うのですがいいでしょう」


 そうして話をしながら朝食を食べ終わったので食器を洗う、睡の食器も洗っておいた。


「なあ、とろろうどんにした意味ってあるのか?」


「お兄ちゃんはデリカシーが無いです! 察してください!」


 さっぱり分からないがとにかく朝食が不味かったわけではないので文句はない、ならそれで十分だろう。俺は必要な物が与えられたらそれに不満を出さない主義だ。


 着替えも済んでいるので後は登校するだけだ。俺は鞄を持って睡を呼ぶ。


「じゃあ学校行こうか」


「はい! はっ!? お兄ちゃん! 重さんにはくれぐれも気をつけてくださいね!」


 何故か迫真の顔で俺に忠告する睡だが何故そんなことを一々細かく言うんだろう? 世の中には俺には思いも寄らないことがあるのだろう。俺だって世界の全てを知っているわけじゃない、妹より必ず知識があるというわけではないのだ。


 ガチャリ


 ドアを開けて家を出る、陽光が降り注ぎ真っ青な空が広がっている。とても爽やかな気分になる日だ。隣の妹を眺めると眩しそうに目をパチパチしていた。


「お兄ちゃん! 爽やかな朝ですね!」


「そうだな、こんな日は「妹と遊びたいですね」」


「人の発言にかぶせるのはどうかと思うぞ?」


「はいはい、と言うわけで今日は放課後一緒に遊びましょうね?」


「分かったよ……」


 そんなやりとりをしていると隣からやや高い声がかかった。


「本当に相変わらずねえ……もうちょっとTPOを弁えた方がいいんじゃないですか?」


「重さん、今日はお兄ちゃんは一日私に付き合う日なので放課後は一人寂しく下校してくださいね?」


「兄離れしようとか考えたことはないの?」


「する理由が微塵も分かりませんね」


 断言する睡に対してどこか寂しそうな重を眺めながら、ここで割って入ると絶対責められるよなあ……と思う、確信しているのでこればかりは本人達で解決してもらうしかない。


「ねえ誠、私がいじめられてるのに助けようとか思わないの?」


「あらら……私からの忠言をいじめと言い張りますか?」


 俺に振るのは頼むから勘弁して欲しいのだが……


「俺は関わらないぞ、あくまで中立だ」


「中立って言うのは両方を敵に回す覚悟が必要なのよ?」


「私は常時お兄ちゃんの味方なので中立なんてあり得ませんね」


 えぇ……どうにも逃げようがないようだ。こんな神学論争みたいな者を俺に持ち込むのはやめて欲しいのだが……


「俺は……」


「どっちの味方なんですか?」


「いい加減妹離れしなさい!」


「俺は睡の味方だぞ」


「!?」


「よっしゃあああああ!!!!!!」


「なんでそうなるのよ?」


「だって冷静に考えてみると重の味方したらしばらく夕食が重湯になりそうだし……」


 マジでアレは味がないので勘弁して欲しい……しかも余分な食べ物はないという余念のなさだ。


「睡ちゃん、食事を盾にとって操るのはどうかと思うわよ?」


「いいんですよ! 勝負に卑怯も何もないんです! 目的のために手段を選ぶなどアマチュアの仕事です!」


「開き直った!?」


 そんな漫才をしながらもどうにか学校までたどり着いた。睡はトラブルメーカーだが基本的に重とトラブルを起こすのがメインで、他の第三者とトラブルを起こすことは少ないのでそこは安心できる。


 重とはなんだかんだで気の置けない仲なのだろう、俺には分からないことだが遠慮のない物言いが出来る関係が悪いわけじゃない。


 ガヤガヤ言いながら教室に入る。俺はいつもの席に着くと隣から独り言が聞こえる。


「今日も歳月さんと睡ちゃんは仲がいいなあ……」


 そんなことを隣の但埜が言う。


「そうだな、あれが『何でも正直に言える』関係なんだろう」


「で、二人ともお前に好意を持っていると」


「知らんよ……そもそも睡は妹だし、重は近所に住んでるだけだ」


「ほーん……」


 そう言って但埜は授業の準備を始めた。俺も二人のやりとりを尻目に授業の準備にかかる。


 キーンコーンカーンコーン


「よーし、じゃあ数学始めるぞー」


 入ってきた教師の一言で睡も重もハッとして教科書とノートを取り出していた。やり過ぎないあたり分を弁えているのだろう。やりすぎないというのはいいことだ。


 そうして一限が終わった頃、睡と重は何やら話し合っていた。


「睡ちゃん……その朝食は……下心が……」


「いたって健全な食事です! お兄ちゃんが……もっと……」


 何故か二人とも顔を赤くしている、こういうときに俺が介入するとロクなことにならないので二人に任せておく。


「ふぁああ……」


 眠気が俺に飛びかかってきた頃、睡が俺の手を取ってきた。


「お兄ちゃんは私のこと好きですよね?」


「ふぇ……ああ、好きだぞ……」


 俺がよく考えず意識が澱んでいる時にした何気ない返答に重が飛びついてきた。


「正気なの!? 誠……ん? もしかして私のことも好きだったりする?」


「ん……ああ好き好き」


「睡ちゃん、アレが本音だと思う?」


「告白はもうちょっと雰囲気重視なので今回はノーカンにしましょう」


 二人して何やら納得をした後、議論は終わったのか朝のニュースなどの話をしていた。どうやらなんとか平和に終わったようだ。


 そうしてやってきた昼休み、さっさと弁当を食べてイヤホンをつけてしばし眠ろうとしたのだが、そこに睡と重が割って入ってきた。


「誠! 今日は睡ちゃんと遊ぶって本当?」


「あ……ああ……そんな約束をしたような……」


「そうです! お兄ちゃんは私と一緒にいてくれるのです! そこに一点の打算もありません!」


 俺の意識がぼんやりとした中話だけがどんどん進んでいった。何を言っているのだろう? なんだか問題発言もあったような気がするが、それが何であったか記憶することは出来なかった。


「私も混ぜて……」


「ダメでーす! 私の特権ですから!」


「ちょっと! 睡ちゃんに言ってあげて……」


 何か言っているようだが俺の意識は途切れた。


 ハッ!?


 どうやら机に突っ伏して寝てしまっていたようだ。意識がはっきりした時には10分ほど時計が進んでいた。


 何やら重がずーんと沈んで落ち込んでいるようだし、睡は浮ついた心を隠せないような態度だが、一体何が原因だったのか俺の記憶には残っていない。そもそも俺が原因なのだろうか? というかなんだか眠気が突然すぎるような気がするのだが。


「なあ重、俺はどのくらい寝てた?」


「ああ起きたの……10分くらいじゃない? あなたがお弁当を食べた後すぐ寝ちゃって……」


 何か恐ろしそうなものを見る目で俺を見る重。一体何があったんだ?


「睡ちゃん……?」


「重さん? そういうことですよ?」


 何を言っているのかはさっぱり分からないのだが何故か重が手を震わせていた。そして何故かそれ以上俺に質問をしてこなかった。


 そうして昼休みが終わり放課後になった頃、睡が一緒に帰ろうと誘いに来る前に、重が一言だけ言っていた。


「気をつけなさいよ」


 それが何に大してなのかははっきりとは言わなかったし、俺は恨みを買うような覚えもないのだが、一体何に気をつけろというのだろう?


「お兄ちゃん! 重さんとお話ですか?」


 ニコニコしながら俺の手を引く睡に対して重は何か言いたげにしていたが、俺はグイグイ引っ張られて教室を出て行った。


 そうしてしばらく引っ張られながらたどり着いたのはまごうことなき自宅だった。


「え? 遊ぼうって言ってなかったっけ?」


「今のお兄ちゃんを連れ歩くのはマズいですからね……まあ自宅でイチャイチャしましょうよ!」


 何を言っているのだろう? どうにも昼から意識がはっきりとしてくれない。霞がかかったような気分が続いている。それについて原因を考えると、やはり寝不足だろうかと思い当たる。睡も俺に気を使って眠らせてくれるのだろうか?


「お兄ちゃん……眠そうですね?」


「ふぁぁ……なんだか昼になってからすごく眠いんだ……悪い、寝ていいか?」


 ぽんぽん


 ソファに座って自分の膝を叩く睡、なんだろう?


「お兄ちゃん、今日はゆっくり寝ていいですからね……」


 その言葉とともに頭を掴まれて柔らかな感触が顔に伝わる、何が起きているのか分からないがとても心地よい。そこで眠気が限界に達して俺の意識が落ちた。


 次に目が覚めた時、窓の外は真っ暗だった。


「あれ? 俺は一体どうして……」


 自分の体制について考える、目の前には睡の顔、俺の頭は柔らかな太ももに乗っかっていた、要するに膝枕だ。


「わ!? 悪い! そんなに長く寝るつもりは無かった……」


「へ!? ああ、お兄ちゃん目が覚めましたか? 随分と気持ちが良さそうでしたね?」


 俺はどうやら妹の膝枕で長い時間眠っていたらしい、兄としての威厳なんてあったもんじゃないな。と言うかコイツは俺が1時間以上寝たであろうはずなのに何故か平気な顔をしている。実は最初と最後だけしか膝枕をしていなかったのだろうか?


「晩ご飯はレトルトでいいですか? ちょっと作る時間が無かったので……」


「ああ……もちろん構わないが……もしかしてずっと膝枕してくれてたのか?」


 睡は少し考えた後で微笑みながら答えを返した。


「ご想像にお任せします!」


 俺ははっきりとした意識とともに、随分と恥ずかしいことをしてしまった者だと気がつく。今日は一緒に遊ぼうと言ったのに悪いことをしたな。


「その……また今度ちゃんと一日付き合うから……」


 睡は顔をポカンとさせながらしばし放心した後に早口で答える。


「ああそうでした! お兄ちゃんが寝ちゃうから何も出来ませんでしたね! これは是非もう一回チャンスを上げる必要がありますね!」


 言うが早いかレトルトのカレーを解凍されたご飯にかけている。何故かその手がフラフラしている。


「疲れたかな? 今度はちゃんと寝ないから今日はかんべんな?」


「ははははい! お兄ちゃんにもう一回チャンスをあげましょう!」


 そうして夕食になった、二人きりの夕食だが父さんも母さんも離れて暮らしているが、だからこそ一人での食事はしないと二人で約束をしていた。多少粗末な夕食になっても一人では食べないというのが俺たちの習慣だった。


 何故か静かな睡と夕食を取った後急いでお風呂に行った睡の姿を眺めながら今日の眠さの原因について考える。


「どうやら、無理が過ぎたようだなあ……」


 実際にそれくらいしか思い当たることが無い、新生活に浮かれて少し無理をしてしまったようだ。睡にも結構な心配をかけてしまったようで申し訳ない。


 俺は日常生活を送るのがこんなに大変だとは思っていなかったし、大変だと感じたことも無かったが、肉体の方が先にギブアップしたのだろう。自分の健康管理はちゃんとしなければならない。


「お兄ちゃん! お風呂どうぞ! 疲れてるでしょう?」


「ああ、今入るよ」


 俺は食器を片付けてからお風呂に向かった。


 ――妹の部屋


 いやあ……今日はマズかったですねえ……さすがに盛るのは良くない手でした。お兄ちゃん相手なら大丈夫だろうとは思ったんですけど……


 重さん……さすがに気づいては無いですよね。なんだか普通では無いことに感づいてはいるようでしたが……大丈夫! 決定的な証拠は渡していません!


 私はソレを隠しながらやっぱりお兄ちゃんとは合意の形成が必須だと思い知らされました。


 やはり愛のない関係性では満足いくものは無いのでしょう。だから私はお兄ちゃんを求めるのです。いつかきっと、本心から振り無手もらうその日のために!


 私は火照る身体をベッドに放り出して、お兄ちゃんが身体を預けていた膝をなでながら気分よく眠ることが出来ました。

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