第4話 ある夜会の記憶


 王家の花紋、カサブランカに彩られた会場内。

 主催は国王陛下。主役はその母である王太后殿下。

 王家の威光を纏うシャンデリアの煌めきは、招待客たちの気持ちを益々昂らせた。


 そんな中シモンズのエスコートで会場入りをするマリュアンゼを、場内の視線は鋭く射抜いた。

 それだけでこの場で自分を取り巻く空気が分かる。


 (相変わらずね、この空気感)


 マリュアンゼの元婚約者ジェラシルも令嬢に人気のある人だった。つまり嫉妬。

 だがマリュアンゼはそれには既に慣れている。内面をおくびに出さず、淑女の仮面を貼り付けた。


 淑女らしからぬ物を好むとは言え、淑女教育は完了している。

 そしてマリュアンゼがこの仮面を被るのは、社交界が人に足払いを掛けるのが大好きな、エセ紳士淑女の縄張りだと認識しているからだ。


 (でも今までは一人だったけれど……)


 フォリムが手配してくれて、シモンズが近くにいる。

 マリュアンゼは心強さに温まる胸を、そっと抑えた。




「失礼、シモンズ様」


 その声にシモンズは振り返る。


「先日の商談の件でお話を窺えればと思いまして」


 丁寧に礼を取る壮年の紳士にシモンズは一瞬躊躇ためらいを見せた。


「行ってきて下さいませ」


 すかさずマリュアンゼは明るい声で後押しをする。


「しかし……」


「お仕事の話なのでしょう?」


 逡巡するシモンズの瞳の動きを見れば分かる。

 マリュアンゼの付き添いもシモンズにとっては等しくフォリムに言い渡された仕事だ。

 けれど、シモンズのこの様子を見る限り、こちらの紳士との仕事も蔑ろに出来ないのだろう。


「私は大丈夫ですから」


 笑みを浮かべ口にすれば、シモンズは真面目な顔で頷いた。


「直ぐ戻ります」


 連れ立ち離れていく二人の後ろ姿を見送り、マリュアンゼは出来るだけ気丈に背筋を伸ばした。





 ふと、会場の入り口付近で起こったざわめきがマリュアンゼの耳に届く。


 そっと視線を滑らすと、元婚約者のジェラシルと彼の恋人が入場してくる場面だった。マリュアンゼの知っている令嬢。その顔に嫌な思い出が頭を過ぎる。

 振り払いたくて目を瞑り、マリュアンゼは扇を広げて顔を隠した。そうしてもう片方の手でドレスのドレープを、そっと撫でた。

 



 まだマリュアンゼがジェラシルの婚約者だった頃、マリュアンゼは普通の令嬢と違う価値観を持っている自分に対し、劣等感を持っていた────



 

『あら、どちら様?』


 友人と話して来ると言い置いて、マリュアンゼを一人残しジェラシルは行ってしまった。どれ程時間が経ったか分からない。慣れない夜会の場で、マリュアンゼは一人壁に寄り添い、俯かないよう毅然とジェラシルを待っていた。


 前回、同じような事があった時、彼は戻らないような気がしてマリュアンゼは帰った。

 するとジェラシルはそれを憂い、母の前でマリュアンゼを窘めた。


『勝手に帰ってしまって心配したよ。いなくなるなら、せめて一言断ってくれないかな』


 眉を下げ、心底マリュアンゼを安ずる様子で彼は言う。


『申し訳ありませんジェラシル様。……人酔いしてしまって、伝言を残す余裕もありませんでした』


 俯くマリュアンゼとジェラシルを交互に見て、母はマリュアンゼを叱り、ジェラシルに謝った。


『本当にごめんなさいね、ジェラシル様』


『いいえ僕も悪いのです。うっかり離れてしまって、マリュアンゼ嬢を一人にしてしまいました。以後は気を付けます。お義母様にもご心配を掛けてしまい、申し訳ありませんでした』


 ジェラシルの言葉を母は素直に受け取る。

 確かに彼は間違えた事は言っていない。

 勝手に帰ったマリュアンゼを、ジェラシルは見つけられ無かっただろうから。


 マリュアンゼは、母がジェラシルとの婚約が上手くいく事を頼んでいると知っている。

 だから何も言えない。




 そして今は待ち続けていたマリュアンゼにジェラシルは驚いていて、どこか勝ち誇って見えるのは気のせいだろうか。相手の令嬢の方は不思議そうに首を傾げている。

 真っ直ぐ流れる金髪に、黒曜石のような瞳の美女。

 線の細い身体に豊満な胸が強調されて、同性のマリュアンゼでも、ついそこに目が行ってしまう。


 慌てて視線を泳がせては、両手をドレスの前で重ねて落ち着くように自分に言い聞かせた。


 母が選んだドレス。

 普通婚約者には、自分の色の入ったドレスやアクセサリーを贈るものだが、ジェラシルはマリュアンゼに儀礼的でもそうした事は無かった。


『僕の色はマリュアンゼ嬢には似合いませんね』


 どこまで本心かは分からないが、確かにそうかもしれない。ジェラシルは淡い金髪に濃い青の瞳。

 赤毛に新緑の瞳のマリュアンゼには、色彩が煩く映えない気がする。

 マリュアンゼは瞳を伏せた。

 

 誰かと問うた令嬢に、彼は何て答えるのだろう。

 緊張した面持ちで婚約者を伺い見れば、ジェラシルは何の感慨も無さそうに、婚約者だと口にした。


 相手の令嬢は驚いていたけれど、何故か楽しそうにし口元を綻ばせる。そうしてマリュアンゼには分からない会話を二人、目の前で愉しんでみせた。


『話しすぎて喉が渇いたな。飲み物を取りに行こう』


 そう言って二人連れ立つ姿を眺めていれば、令嬢は困った様子でマリュアンゼを振り返る。


『あら婚約者さんは、いいの?』


『……君は話して無いから大丈夫だろう』


 マリュアンゼの事なんて通りすがりの知人以下の扱いで。その目は令嬢との時間に嬉しそうに細められていて。


『ええ……大丈夫です』


 そう言ってマリュアンゼは他の令嬢をエスコートする婚約者の背中を見送った。

 

 女性は青の美しいドレスを着ていた。

 ピンクの花模様のレースが全体を彩り、彼女の愛らしさを際立たせているそれ。

 そして金で統一されたアクセサリーは、光を受けキラキラと輝いている。


 他の出席者から意味深な視線を浴びた訳でも、中傷を口にされた訳でも無い。

 けれど誰が見ても明らかだろう。

 婚約者に相手にされず、蔑ろにされているだろう事は。

 そんな被害妄想がマリュアンゼの胸を抉る。


 幻聴に惑わされそうになる。

 もう見たくない。

 だから夜会には行きたくない。


 けれど夜会と聞くと憂鬱な顔をするマリュアンゼをジェラシルは窘める。


『君は将来伯爵夫人になるんだから、もっと社交を頑張らないといけないよ』


 ジェラシルは当たり前のように笑って言う。

 自分の好きなものをマリュアンゼが好まないなんて許せないようだった。また、当時はそれに否と言えるマリュアンゼでは無かった。


 話して瑕疵を負うのはマリュアンゼだけでは無い。

 ジェラシルとの縁をマリュアンゼの家族、少なくとも母は喜んでいた。ならそこに亀裂が入れば、どんな反動が起こるかは予想出来る。だからこそ。

 マリュアンゼが嫌だとは言えないと、ジェラシルも分かっているようだった。


 いつも一緒になんていないのに。

 マリュアンゼの急所を上手に突いてくる婚約者。


 このままずっと彼に敵わないなんて嫌だと思ったある時、何かがふつりと切れた。


 そしてマリュアンゼは剣術大会で彼を負かした。

 自分の中の何かと決別した瞬間。

 それはとても心地のよいもので、その時強さは自分を裏切らないと知った。

 例えこの国では強い女性が認められ無いとしても、マリュアンゼの誇りを守ってくれた。


 婚約破棄を叫ぶジェラシルが元婚約者となり、マリュアンゼはようやく心が解放されてゆくように感じて。


 けれど彼はマリュアンゼの心にしっかりと傷を刻みつけていった。

 

 もう、あんな思いはしたくは無い。

 自分の心を守る為、知らず自らに掛けた心の鍵。

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