その3
営業の方は事務的にポスターみたいな笑顔を浮かべて言った。
「次のクローンが最後のお母さんのクローンになります」
ホッとした様な、不安な様な、寂しいような、向かいのテーブルの子供が食っているパフェのように色んなものがグチャグチャに混ざった、混線した感情を解く余裕もなく、ワタシは書類にサインした。
24歳の真夏のある一日。
もう、四年も前の事なのに、未だに去年くらいの出来事に思える。
ワタシの本物の母が亡くなったのはワタシが五歳の頃だった。
当時の母は二十八歳。
父とはワタシが三歳の頃に離婚し、父はすでに再婚していた。
葬式が終わると親戚一同の同意で母のクローンが作られ、母のコピーがずっと今日までワタシを育ててくれた。
最初は「お母さんが死んだ」と聞かされ、子供だったワタシには背負いきれないほど大きなショックを受けたが、次の日になるとお母さんは元気になってワタシの前に戻ってきた。
『死ぬ』なんて事は所詮、その程度のことなんだ。
五歳のワタシは『死』というものを簡単なこととして解釈していた。
だけど、自分が歳を取るにつれて、それは間違いだったと徐々に気付かされた。
ワタシは一年に一つ歳を取る。
だけど、クローンになった母は歳を取らない。
ずっと28歳のまま変わらない。
しかもクローンは人工テロメアの数に限度がある為、五年しか生きられない。5年経てば、また新しいお母さんがやって来る。
それも最初は大した問題ではなかった。世の中に28歳と29歳の違いがわかる人なんているはずがないのだから。
ワタシが10歳の頃、最初の母のクローンはいなくった。翌日に新しい少し若返った母親のクローンがやってきた。
ワタシは初めて母に違和感を感じた。
昨日よりも少し若くなったお母さん。三十三歳からまた二十八歳に戻った母と十歳に成長したワタシ。
周りの友達のお母さんよりも若いな、とワタシはお母さんを見て感じていた。それが初めて感じた違和感。
十五歳。
二十歳。
母に対しての違和感は思春期と共に次第に大きくなっていった。それにつれてワタシは母の年齢に近付いて行った。
十五歳になった頃、外を歩いていて親子ではなく姉妹に間違えられた。
母のクローンは笑っていた。
でも、ワタシは何かわからないけど、ショックだった。
大学生になり、バイトも始め、社会の空気も少し吸う様になった辺りから、母のやる事にだんだん腹が立つ様になった。
今まで見えていなかった母の幼稚さがワタシに見え始めたのだ。
クローンは歳を取らない。
けど、ワタシは歳をとる。
母への言葉にできない怒りや苛立ちが次第に募っていく。
そして二十五歳。
ワタシは社会人になっており、母とは三歳しか違わない関係になっていた。
「次のお母さんが最後のクローンになりますが……よろしいでしょうか?」
新しい母になる半年前に生命保険会社の担当者に尋ねられ、「ああ、そうか」と思った。
やっと母を見ないで済むのか。
法律上、クローンの親は子供の年下になってはいけない。と、言うことになっている。
次に母のクローンを作る時にはワタシは三十歳になっているので、二十八歳の母は、これが最後のクローンなのだ。
正直、この時、ワタシにとって母親は、親というよりも出来の悪い妹に近い存在になっていた。
もともと母はロクに社会に出た経験がなく、離婚した夫からの慰謝料とパートの給料で生計を立てていた。
五歳で亡くなった時に生命保険のお金が降りたことで、母のクローンは働かずずっと家にいたのだ。
営業さんの説明ではワタシが二十八歳になる日に母は母で無くなるそうだった。
それは母が大好きなミュージシャンと同じ誕生日の日。
母は親だった頃の記憶を全て失い、同い年になったワタシと対等の立場で最後の時を過ごす事になっている。
そして、それから三ヶ月後、母の誕生日の前日、母のクローンは突然に電池が切れた様に死ぬそうだ。
世間で『バースデイイブ』と呼ばれている病気だと母のクローンには伝えられる。謎の奇病で亡くなっている人物は全て、誰かの親だった人間のクローン。
親は存在する理由を失い、体だけ残して、この世からいなくなる。
「アオイ、おやすみ」
ワタシの誕生日の前日、母はいつもと同じように最後の挨拶をして、部屋を後にした。
ワタシはホッとした様な、明日出会う新しいレイコという同じ年の女性への緊張でなかなか寝付く事ができなかった。
静かな夜だった。
この夜の下、ワタシの母は今現在、死んでいるのだ。
次の日の朝、ワタシがリビング降りると母はすでにキッチンにおり、ワタシを見るなり驚いた表情を浮かべた。
本当に母はいなくなったのだろうか? 怖くて話しかける事ができなかった。
「初めまして」
母がニコッとワタシに微笑みかけた。彼女の中から母の記憶は本当に全て消えていた。
「はじめまして、アオイです」
ワタシはニコッと笑みが出た。
今まで見たこともない母親だった。ワタシを産んだという威厳が完全に消えた母親は、少し頼りないけど可愛い友達の様に見えた。
さようなら、お母さん。
何気なく心で呟いたその言葉が、沁みるようにジワジワとワタシの中で悲しみに変わっていく。
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