第22話 旅へ ⑨

 いよいよクロガラの姿がはっきりとわかり始めた。

 姿や雰囲気はコウモリに似ている。尖った耳に黒い翼。小さいものの数は多い。黒い体色、金の眼球。よだれや糞をまき散らしながら奇声を上げる様子は、心の底から気持ち悪いと言えた。

 奴らは、軽量級部隊の動作音、息遣い、心臓の音ですら感じ取ることができる。逃げも隠れもできやしない。だからこそ、あえて大きな声を出すことで、一カ所に奴らを誘導する。奴らの行動を絞るのだ。

 オリーは拳を固く握りしめ、大きく息を吸い込んだ。腹の底から振動が渦のように巻きあがる。

「俺の名前は、オリ―だぁぁぁぁぁぁ!」

 予想を超える声の大きさに、キャチューたちは目を剥き、耳を抑える。だが、もっと驚いたのはクロガラたちだ。優れた耳に汚い騒音が急に鳴り響き、不快な気分が群れ中に広まる。怒り狂ったクロガラたちは、オリーという不快音の主を滅多打ちにするべく、勢いを増してオリーに襲い掛かった。オリーはそれでも動じない。ひたすらに声を出し続ける。

「くるぞ、構えろ」

 キャチューの叫びはクロガラたちにかき消された。

 黒くて汚い艦隊が、荒波のようにオリーを呑み込む。

 皆の姿は全く見えなくなった。黒い獣の塊が、奇声と共にうごめいているだけ。ロチカは叫んだ。

「目を閉じるんだ。失明するぞ!」

 体中が引っかかれる。致命傷には程遠いが、歯と爪が、絶えず小さな切り傷を作り続ける。小さな傷も、当然積もれば大きな傷。時間との勝負だ。傷が致命傷になる前に、全滅させる。

 キャチューの一撃が一匹を貫く。続けてざまに二匹、三匹。紫の鮮血が飛び散る様子は、まるで黒いキャンパスに花が咲くかのよう。

 目を閉じていても武器を振るえば必ず当たる。重い手ごたえと降りかかる生温かかい液体。肌で感じる毛並みと恐ろしく臭い体臭。窒息しそうな圧迫感とこざかしい微々たる痛み。

 気持ち悪さで満ちた状況だったが、吐き気よりも切迫さが勝る。

 目をつぶり、闇にもまれた後ですらも大声を上げ続けていたオリーの口に、一匹のクロガラの足が入り込む。普通の人ならばのけぞって吐き出そうとするだろうが、この男は違う。一歩も後ろに下がらず、クロガラの足をかみちぎったのだ。無造作に紫の血液を吐き出し、今度は前方のクロガラをつかみ、勢いに任せて左右に引っ張る。風船が破裂したような音がして、体が二つにはじけ飛んだ。今のオリーには何の躊躇いもありはしない。両手の肉を手放した後、すぐに次のクロガラをつかみ、握力だけで生命を握りつぶした。おまけに足でも一匹踏みつぶす。

 転がった金色の眼球がロチカの足元にやってきた。オリーは暴走している。

 しかしオリーはともかく、一般兵にこの状況は厳しい。小さな傷と傷が重なって、一つの大きな傷となる。ジェイは一瞬痛みのあまり片膝をついた。途端に襲い掛かるクロガラ。一瞬の油断が形勢を簡単にひっくり返す。隣で異変に気がついたキャチューがジェイ側のクロガラを集中的に倒す。ジェイは体勢を立て直した。

「ありがとう」

「集中しなさいよ」

 押され始めた仲間を隣の兵が助ける。

 が、数が多すぎる。足元には紫の池ができるほどであったのに、塊のサイズが一向に小さくならない。このままでは、紫の池に赤色が混ざる展開も近いかもしれない。

 ロチカの元に、カスイが腕一杯の枝を抱えて駈け込んできた。

「うわぁ!」

 自らの視界に腰を抜かす。それでも枝は落とさない。

「カスイ、いいタイミングだ」

 ロチカは些細な魔法を出すのも辛かったが、指を鳴らし、小さな橙の炎を作りだした。それを息で吹くと、風船のようにフワフワと宙を遊泳し、枝の束に触れた。

 一瞬で広がる橙の炎。途端にクロガラの奇声が悲鳴に変わる。ロチカは燃えた枝をつかみ、塊の真ん中に投げ込んだ。四方に退くクロガラ、現れる傷だらけの勇敢な兵士たち。目をつぶっていて状況がわかっていない、無我夢中で武器を振るっている。

「目を開けろ! 炎を使え!」

 目を開けたキャチューたちはすぐに状況を理解した。火が灯った枝を掴み、クロガラの大軍に向かって高々と掲げる。大混乱に陥るコウモリもどき。歓声を上げる人々。

 ロチカはその光景を黙ったまま見つめる。

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