第13話 脱却へ ④

 耳がおかしくなってきた。目の前で大砲の玉が地面を殴りつけたのにも関わらず、すごく遠くで起こった爆発のように感じる。それから、武器の数が少ない。仲間の数が少ない。後ろには仲間たちがたくさんいるはずなのに、何故助けにこない。これでは、負ける。死ぬ。

 戦場にいる植民地軍のほとんどが、何かしら否定的な感情を心に宿し始めた。つまり、士気がなくなってきていた。

 イギリス側には、第二陣の崩壊がすぐそこにあるように感じた。ゲイジも対岸で拳を振り上げる。

「攻めろ、攻めろぉ!」

 しかし、喜びは束の間だった。空を見上げたゲイジの眼球が凍りつく。

 空から二人の男が降り立った。黒い細身のシルエットと、たくましい逆三角形のシルエット。

 空から人がやってきた。しかし、現場の民兵たちは何の疑問も感じなかった。兵士たちが感じたのは、希望と自信。二人の登場を見ただけなのに、今までの苦しさが溶かされ、液体状の闘志が全ての血管を走り回っていくのだ。

 二人のうち、たくましい筋肉をした方の男が右手を上げた。それを見て民兵たちは自然に肺が浮き上げられた。割れんばかりの歓声が植民地軍を覆いつくす。

 更に、空気を読まずに打ち込まれてきたイギリス軍の大砲を、黒いコートを羽織った男が、青色の丸い盾を生成して弾き飛ばした。

 ますます大きな歓声が沸き立つ。空気が震え、後方にまでその震えが伝わった。

 前方からの歓声を聞き、ジャックも拳を握りしめて声を上げた。化学反応がうまくいったかもしれない。

 オリーとロチカは前線よりやや前に陣を張った。

 イギリス兵たちは相手の士気に怖気ついたが、すぐに立ち直った。

「ビビる必要はねぇ」

「敵の援軍は二人だぞ!」

「数でつぶすぞ、進めぇ!」

 ロチカは鼻で笑った。陳腐な攻撃である。

「緊張するなよ、オリー」

「誰に言ってんだ。くるぞ!」

 オリーは、銃を撃ちながら近づいてきた敵を自慢の肉体でねじ伏せ、ロチカは、オリーと自分を青色の防御魔法で守りつつ、時折色とりどりの閃光を発射して敵軍の度肝を抜いていく。敵の攻撃はおのずと二人に集中し、植民地軍に余裕が生まれる。

「二人を援護しろ」

 余裕は冷静さを呼び起こす。冷静さはやるべきことを教えてくれる。敗走寸前の彼らは息を吹き返した。

 いつもの力があれば、一瞬で終わるんだがな。

 ロチカは自分の衰えに自嘲しながらも、今できる最大限の行動をきちんとこなしていた。

 ロチカは横目でオリーを見た。

 丁度敵の顔面を砕いているところだった。

 やはり、人間の戦いのようには見えない。獣だ。目の前の敵を殺すことだけに集中し、遠距離攻撃の心配を全くしない。野性的な残虐性が体中にまみれている。

 ロチカは、オリーの本能的な戦いに合わせて手助けをした。

 ふふん、とロチカは鼻を鳴らした。不思議と気分は悪くない。

 オリーは思考をほぼ放棄していた。幽体離脱したかのように、戦っている自分を上から見て物事を考えている自分に驚いた。

 なんて危なっかしい戦い方だよ、俺は。ロチカがサポートしていなければ、もう二十回は死んでいる。

 もちろん、戦い方を変えることができない。これがオリーの暴走である。

 二人は何の打ち合わせもしていない。それでもわかっていたかのように二人で戦った。オリーが走り、ロチカが守る。

 オリーめがけて撃たれた弾丸を、ロチカの青い盾がはじき、ロチカに近づいてきた歩兵を、オリーがすかさず見つけてドロップキック。敵の一瞬の隙を逃さず、ロチカの遠距離閃光。

 勝利できそうな雰囲気だった。植民地軍は生き生きとし、迫りくる大軍を押し返してすらいたのだ。

 だが、やはり後方支援が足を引っ張った。結局後方では、士気は上がったものの、それだけだったのだ。逆に混乱が増したくらいだ。それぞれがやりたい放題の行動を起こし、軍としてのやるべき行動ができなかった。

 ロチカに向かって兵士が叫んだ。

「火薬がなくなりました」

「何だって?」

 同じ報告が続々とロチカの後ろで聞こえる。攻撃の迫力がだんだんとなくなり、逆にイギリスの攻撃は調子づいていく。歩兵がぞろぞろと丘に攻め、二人の比重が重くなる。さすがに二人でも耐えきれる自信がなくなってきた。

「退却を。退却だ」

「嘘だろ。勝つまで戦え!」

 オリーは叫んだ。ロチカにも同じ気持ちがあったが、オリーと違い、彼は客観的に戦況を見ることもできてしまう。丘の半分ほどに敵は攻め込んでおり、植民地軍のほとんどが戦場に背を向けていた。

「いや、退却だ、オリー」

「そんな」

 敵に背を向けて逃げるのは情けなかった。勝てると思ってこの戦場にきたのだ。だが今は逃げている。人間界にきてからとことん予測が外れる。ロチカは怒りを感じた。

 二人の大活躍をもってしても、後方部隊のふがいなさのせいで、植民地軍は二つの丘を手放すことになってしまった。植民地軍はチャールズタウンまで後退し、せっかく運んだ銃器も敵に取られてしまった。  

 オリーはがっくりと膝を落とした。ロチカは後方部隊の手際の悪さに文句を言っていた。二人にとっての初陣は、失敗に終わったのだ。

 だが驚くべきことに、軍自体の雰囲気は真逆だった。彼らは歓声を上げ、まるで勝ったかのようにお互いを称え合った。

「戦えるぞ、俺たちはイギリスと戦える」

「損害の数を考えてみろ。奴ら、俺たちの倍以上は死んでいる」

「威厳ある撤退だ、すぐに仕返ししてやるぜ。ハッハッハッ」

 植民地の民にとって、イギリスは絶対だった。常に自分たちの上にはイギリスがいた。抵抗したくても抵抗できない日々がずっとあった。でもどうだろう。今この瞬間彼らは、イギリス軍と互角に戦えたという確かな手ごたえを感じたのだ。ロチカやオリーにとってのこの戦と、植民地軍にとってのこの戦は全く意味の違ったものだったのだ。

 本当に、自由というものを目指してもいいのではないか。

 落ち込み、怒っている二人の元へ、ジャックが駆け寄ってきた。

「大丈夫か、お前ら」

「負けたんだぞ。何だこの雰囲気は」

 オリーが歯ぎしりをする。

「敗因は明らかだ……」

 言いかけた言葉をジャックが制止する。

「これからだ。これからなんだ。二人とも」

 兵士たちの顔つきがまるで違った。一つの戦で、しかも敗戦で、こんなに雰囲気が変わることは珍しかった。

「当たり前だ」

 二人は初陣に不満げながらも、これからに向けての高揚感を感じていないわけではなかった。

 胸の高まりを隠すようにロチカは鼻を鳴らし、オリーは両拳を強く握りしめた。

 

 その直後、ロチカが倒れた。

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