#7

 救急車は、蓮井信隆…さんが呼んでくれた。


 光り輝く月が、真っ黒な夜空に浮かんでいる。円形のそれは、真っ黒な空で唯一光を放ち、空全体の光を吸収したようにも見える。


 そして、横たわる灰岡翔の光を奪ってしまった私は、彼の瞼が開かれると、再び泣

き出しそうになってしまった。


 「んっ…、ああ…、いってえな…、なんだこれ?」


 痛みに顔を歪めながら患部である背中に手を当てる。


 灰岡翔は、目覚めた。


 「あ、目黒か」


 そして私に気付いた。


 「あ、ええと…」


 「思い出した」


 事情をなかなか説明できないでいる卑怯な私を助けるように、タイミングよく彼は

夕方の出来事を思い出した。


 彼は、全く笑わなかった。


 当たり前だ。


 誰のせいでこんなことになっているのか、思い出しているのだから。


 怒られるだろうか。


 「ごめんな」


 「えっ…」


 「約束、破ったからさ」


 「約束って…」


 「賭けに負けたから、白木を殺して、俺も死ぬってやつ」


 「そんなことで謝らないでよ。どうせ、私の手で白木さん…白木を殺さなきゃ意味

がないって思ったんだから…」


 『白木さん』と呼んでしまったのを慌てて訂正する私に、しかし彼はそれを言及し

なかった。


 「約束は、約束だから。お前に、裏切られたくなかったから…」


 彼は、枯れた花のように俯いた。


 「裏切るって…」


 私はこの言葉を聞いた途端、胸のあたりが騒々しくて、落ち着かなかった。


 この気持ちは、私がサルだと非難していた、恋愛の話ばかりをして満足するクラス

メートたちと同じ種類のものなのかもしれない。


 妙に、期待してしまった。


 彼を地面に叩き落しておきながら、身の程をわきまえない私は、本当に最低だ。


 でも…。


 「お前は、俺の近くで、俺の言葉をいちいち拾ってくれて、俺の考えを近くで堂々

と否定してくれて、…だから、その…。思い上がりだよな。その、アレだ。身の程知

らずにも程があるし、これ以上言ってしまえば彼氏に悪いから、って思ったけど…」


 「はい…」


 彼にしては珍しくもじもじと、次の言葉を慎重に選ぶ。


 その態度は、私にも簡単に伝染し、私もいつものような悪態が付けなくなってしま

う。


 そして俯きがちだった彼が、長い前髪に突き刺さりそうな目を、夜空に浮かぶ月の

ように綺麗な目を、私に真っすぐと向けた。


 「白木のことが霞んでしまうくらいの、良いやつだってことだ」


 私は、目を見開いた。


 開いた窓から吹く夜風の音が聞こえてしまうくらいに、静かだった。


 「…んから…」


 しばらく黙り込んでいた私は、再び口を開くが、言葉が胸のあたりにつっかえて、

うまく声として出てこなかった。


 「え? なんて?」


 だから、もう一度、言い直す。


 「いませんから、彼氏」


 迷惑だろうか。こんな時なのに、私は場違いな言葉を放ってしまった。


 でも、伝えたかった。






 『嫌われ者』


 『なんだか抽象的な内容ですね。そんなことで勝負がつくかどうか。浅はかで幼稚

な考え』



 私は、あの人をどれだけ傷つけてきたかを考えると、悲しくなって、そんな自分に

腹が立ってくる。


 結局、私も周りに流されて彼は嫌われ者だから関わらない方がいいと、本人の人格

を無視して、勝手に悪い人間だと決めつけた。


 それでも彼は優しかった。嫌われ者の噂が嘘みたいに、優しい人だった。


 最後に添えた言葉が、果たして彼への救いになるのかは分からない。


 でも、伝えたかった。


 もし私が、彼の中でそういう位置づけになれるのなら、大きな存在だと認めてくれ

るのなら。


 病室を後にすると、後ろから声を受けた。


 「唯花ちゃん!」


 思わず、背筋が緊張してピクリと反応してしまう。


 しかし、後ろを振り向くことが出来ずに、そのまま歩き出してしまった。


 私は、全部、あの人のせいにしてしまった。


 やってはいけないことをやってしまった。


 白木さんを押した手に残る感覚。一歩間違えれば、『チカラ』なんて無関係の、正

真正銘、『人殺し』になってしまうところだった私。


 私が殺しかけた白木さんは、絶対に優しいことを言う。


 あの日、中学生たちに囲まれた時だって、私たちのことを素通りせずに、割って入

って、助けてくれた人だから、絶対に優しいことを言う。


 だから、振り向いてはいけなかった。


 私なんかが、救いを受けてはいけなかった。


 これ以上、誰も、私に優しくしないでほしかった。




 「唯奈ちゃん」


 文化祭の数日前。そろそろ退院するという灰岡さんのお見舞いの帰り、商店街の中

で白木さんに会った。


 「…こんにちは」


 突き落とした日以来だから、声が限界までくぐもる。堂々と答える誠意も持ち合わ

せていない私自身に腹が立つ。


 そんな不誠実な私に構うことなく、彼はむしろ気後れしたような顔で、


 「ちょっと、時間貰えるかな?」


 と、問うた。

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