#5

 白木たちが落ちあうと決めていた日に、私はいつも通り彼らを尾行した。


 白木は、笑うことが多くなった。全ては、隣にいる桃井春流とかいう女が、あいつ

の心を大きく支えている。誰かのために『チカラ』を使おうと提案し、あいつに勇気

を与えた。人殺しに、生きる強さを与えてしまった。


 青島美奈が、現れた。


 駅に三人集まったところで、切符を購入し、改札をくぐり10時5分発の電車を待

つ。私も、帽子を目深に被り、少し距離を空けて彼らに倣った。


「な、何してんだよ!?」


 白木のいる席は賑やかだった。


 自分が犯した過ちなどまるで最初から存在しなかったかのように平和な空間。自分

が『チカラ』によって記憶を消し去った女にのぼせる白木と、その女。そして、桃井

春流とかいう人殺しの腰巾着。


 惨めだった。


 白木の『チカラ』が否定される瞬間をこの双眸に入れるために、遠方へと旅立った

が、やはり心細かった。


 私は、家族旅行や学校の行事で遠方へと行くことはあっても、一人で電車を使うく

らい遠くへは行ったことがなく、情けない話だったが、寂しくて、怖くて…。


 違う。


 そんなことはない。


 私は、弱くなんかない。


 あんな白木みたいな卑怯者とは違う。正真正銘、この目であいつの『チカラ』を否

定するためにここまでやって来た。


 「今に見てろ、灰岡」


 膝の上でこぶしを握り締め、弱気になりそうな心を意地で制した。





 白木たちは、駅に着きホテルの方へと向かう。


 「あっ…」


 そこで私は、気付いてしまう。


 まさか、あいつら…。


 今日は、父親に会わないわけ?


 「待って、ちょっと…聞いてない…」


 「乗りますか?」


 大きな生き物のような野太い声で、車内全体に行き渡る声量で私の意思を確認する

バスの運転手。


 「あっ…、ええと…」


 他人の声が、怖かった。


家族以外の大人の声は、苦手だった。聞くだけで、自分が否定されているような気分

だった。


『唯花ちゃん。もう子供じゃないだろ? お姉ちゃんはね、事故で死んだんだよ』


『違うもん! お姉ちゃんは、あいつに…!』


『先生の言うとおりだよ。唯花ちゃん、大人になりなよ』


『子供じゃん』


『子供』


大人…。


大人…。


私は、子供…。


『チカラ』なんて、あるわけないのにね…。


 「すいません…、乗りません」


 白木の方を意識し、私は慌ててその場を後にする。


 しばらくは、バスの窓から背を向け、あいつらに見つからないようにそのまま立ち

尽くした。


 「お姉ちゃん…」


 見知らぬ土地で、私はとうとう一人になった。


 目的だった白木が、どんどん遠のいていき、行く当てを失ってしまった。


 復讐以前の問題だった。


 標高の低い建物たちに囲まれながら、道行く人の目が、一点に注がれているよう

で、今にもこの場から立ち去りたくて、私はその場を駆けだそうとした。


 しかし、その道のりは、いともたやすく阻まれる。


 「…何しに来たんですか…?」


 「お姉ちゃん、じゃねえけど、一緒についててやるよ」


 「盗み聞きしないでください。あなたの助けなんていりませんから。ていうか、ど

うしてそこまでしてついて来るんですか? そんなことしなくてもちゃんとあなたに

は証拠の映像を撮影して、白木の『チカラ』がどれだけ憎むべきものか、教えてあげ

ますよ」


 「いや、お前に限って事実を偽って話すようなことはしないだろ? んじゃまあ、

さっそく、宿泊先へ行きますかっ! 一人くらい増えたって、許してくれるだろ…

ん? なんだ?」


 「い、いや…」


 意外と察しのいい彼は、翳りを見せる私の顔を怪訝そうにうかがう。


 「お前、もしかして…」


 「だって、日帰りだと思ったもん!!」


 図星を指された私は思わず彼の腕を強く握りしめ、恥を隠すように彼を睨んだ。


 「まあ、そうだわな。日帰りでもなんとか行ける距離だし、泊まるか泊まらないか

は分かんないか」


 「うん…」


 「じゃあ、俺たちは帰るか。また明日、ここに来ればいいさ」


 彼は駅の方向へと顔を向けるが…。


 「嫌だ…」


 「はあ?」


 「だって…」


 「なんだよ、早く言えよ」


 言葉の続きがなかなか出てこなかった。こんなことを言ってしまえば、私はつまら

ない女に見られるのが嫌だった。


 「せっかくここまで来た運賃と時間が、もったいないじゃない…」


 ようやくして出てきた言葉に、彼は…。


 「あっ! それもそうだな! 片道1000円以上はしたのに、引き返すなんて確

かにもったいねえ!」


 「えっ」


 呆れ顔で私を否定するかと思っていたのに、彼は心の底から同感だと言わんばかり

に感心していた。


 「なにせ俺たち、まだまだ子供だしなっ!」


 「子供…?」


 その言葉が、今になっても私を金縛りのように自由を奪ってしまう。いわば、呪

い。


 しかし。


 「なんだ? 嫌なのか? もったいねえな。子供みたいに自分のわがままを貫き通

せるのも子供の内だけだと思うぜ! それに、大人しく誰かの言うこと聞いてるよう

なのが『大人』なら、俺は一生、子供のままでいいね。誰に嫌われてもいいから、好

きなように生きる。お前だって、好きなようにお金をケチったり、好きなように白木

を悪者扱いしたっていいさ。子供は、自由で無敵だ」


 私を否定した親、教師、大人の言葉を、私の記憶から消し去るように、まるで白木

の『チカラ』で消し去ってしまうように、自由奔放な彼の言葉がかき消した。


 それなら、遠慮なく…。


 白木のことを…。


 「じゃあ、さっそく、行きますか!」


 「え、どこに?」


 急に陽気になった彼は、山も建物もない、純粋な青を指さして言った。


 「決まってんだろ? 宿泊の予約は後回しにして、海でぱぁーっと遊ぶんだ

よ!!」


 すると彼は、カバンから蛍光色のフリスビーを取り出し、かかっと笑った。


 「ホント、あなたは子供ですね」


 溜息をつきながらも、私の心は躍っていた。




 一部屋しか取れなかった彼は、最初は床で寝ると言ったが、それは建前で、私が完

全に寝静まるのを確認してから、部屋の外へと出て行った。


 彼氏に悪いから、とでも思ったのだろうか。


 目が覚めていたのに、私は彼を止めることが出来なかった。


 怖かった。


 高鳴る心臓に身を任せ、彼を部屋に引き留めてしまえば。


 それで彼が私と同じ空間にいてしまったら。


 私に相手がいることが嘘だと、彼に打ち明けてしまったら。


 白木への復讐心が完全に消えてしまいそうで、怖くなった。


 そして、翌日。


 白木たちの後を追った私たちは、青島美奈の実家のすぐ隣にある公園で、父親との

再会を待った。


 「子供のままで、いいんですよね?」


 私は、昨日の彼の言葉が単なる気まぐれではなかったことを再確認する。


 「ああ」


 時折見せる無機質な生返事で彼は答えた。普段は楽観的な彼も緊張しているのだろ

う。白木本人から嫌われているのに、どうしてここまで。


 私服を着た壮年が玄関を開ける。


それから少しして、金切り声のような悲鳴が聞こえたと同時に、青島美奈が血相を変

えて私たちのいる公園とは逆の道を何かから逃げるように走っていった。


見逃さなかった。


目から零れ落ちていく涙を。


「私の、勝ち…」


白木と桃井が彼女を家から出て追いかけるのを確認してから、私は気付かれないよう

に彼らの後を追った。


と言っても、あれだけ取り乱した彼女を見れば、私の気配なんて微塵も感じないくら

いに彼らは動揺しているだろう。


海へと沈みゆく青島美奈を、引き上げる白木は、間違いなく何かを知っていた顔をし

ていた。こんなことで彼女を救えるとは思っていない、そんな顔で。


むしろ、沈みゆく彼女を放っておくことが唯一の救いとでも言いたげな顔だった。


私の勘は、当たっていた。


全てを話した青島美奈。


勝った。


見ず知らずの女に騙され、見ず知らずの男に犯された青島美奈の記憶を消し、再び思

い出させることで、二重の苦しみを与えた白木。


本屋での万引きを誤魔化すために使った『チカラ』。白木のエゴで発動された『チカ

ラ』が、平気で他人を傷つけた。


時が来た。


あいつに再会する。




 駅のホームから出ると、白木は桃井と別れた。平気そうに振舞いながらも、仲間の

励ましに涙を流しそうになる偽善者は、のらりくらりと、魂が抜けたような顔で力な

く道を歩いた。


 「本当に、行くのか…?」


 「当たり前でしょ」


 引き留めようとしているのだろうか、頭上の曇り空に負けないくらいの暗い表情で

私の袖をつまむ灰岡。


 「この期に及んで何ですか?」


 私は、彼の手を振るい落とした。


 「私は賭けに勝ったんですよ? あいつの『チカラ』が、他人を傷つけるものだっ

て証明された。あなたの負けです。ルールに沿うなら、あなたは…」


 あいつを殺して死ぬ。


 続きが声にならないことにもどかしさを感じながら、私は一人、前を歩いた。


 「分かった。俺があいつを殺して、俺も…」


 背後の声には振り向かず、目の前の目標に近づき、


 「人殺し」


 白木を呼んだ。

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