第41話 違った
翌日。
昨日と同じように学校から抜け出す私。
掛け声が飛び交うグラウンドを横目に、私はただ黙々と帰路を目指すために校門を
くぐろうと歩き始める。
すると、近くで何かが跳ねたような音がした。
球体のそれは、私の方へと近づき、ちょうど足元で静止した。
「おーい!」
周りの生徒たちもいるのに、遠慮なく発せられた快活で大きな声。私は、反射的に
そちらを振り向くと、ジャージを着た小柄な、とは言っても私よりも背は高い男子
が、優しそうな面持ちで私に手を振っていた。
「それ、取ってくんな~い?」
相変わらず恥など知らないような音量で私を呼ぶ彼に、私は後ろを振り返った。
恥ずかしかったから、ではなく、昨日の恥ずかしい経験を二度としないように、相
手が自分であることを把握したうえで返答したかったから。
後ろを振り向いて、彼の話し相手は私であることを確認し、安心の吐息を漏らしな
がらボールを拾う。
ジャージの彼は、左手に装着していたグローブを掲げ、
「投げてよー!」
と少し相手をからかうように、いたずらっぽく笑った。
「いや…、それは…」
「分かったー! そっち行くから待ってて!」
「あっ、でも…」
強張った喉からは彼に届くような音量が出せなくて、彼に走らせるのはなんだか気
が引けたので、私も、彼の方へと走り出した。
「きゃっ!」
走り出した直後、運動なんてものは大嫌いだった私は、思った以上に足がもつれ
て、その場に転んだ。
「大丈夫!?」
転んでから数秒が経ち、彼に声を掛けられる。
ああ。
いつか読んだことのある青春小説なら、体勢を崩した女の子を優しく包み込むよう
に支えてくれただろうに。
などと、沁みるように痛む膝頭の血に目を逸らしながら、目の前の現実が現実であ
ることをあらためて悔いた。
「…」
「へえ、コーヒー飲むんだ、意外!」
「よく言われます」
苦くて飲むのには苦労する無糖のアイスコーヒーを今日も背伸びして注文した私
は、作り笑いを浮かべる。
どうしてジャージ姿に野球のグローブで野球なんかしていたのだろうか。マネージ
ャーか何かだろうか。頭髪も野球部員らしからず、この間白木くんを庇って落ちた人
と同じくらい長い。
「ああ? 今日の格好?」
「あっ…」
訝しむ私の様子を察した彼は、飄々と説明した。
「OBだからね、野球部の。こんなひょろい身体つきだから、みんなからはマネー
ジャーってからかわれるんだよ」
笑いながら自虐する先輩。
「最近は受験勉強ばっかりで身体が凝り固まっててね。こうしてたまにほぐしてやん
のよ」
「へえ…」
いつの間にか、警戒心が薄れていることに気が付いた。この人もまた、人を引き込
むのが得意なんだろう、とぼんやりと考える。
膝頭に目を落とすと、大きな傷口を塞ぎこむ絆創膏が見える。
「上手だったろ? 俺の処置」
「ええ、おかげさまで。マネージャーみたいでした」
改めて気遣ってくれた彼を、今度は私が笑わせてみたいな、と思い、つい私の方か
ら彼のことを茶化してしまう。自分で言う分には問題ないが、初めて会うような人間
で、それに私みたいな弱くて地味な人間が馬鹿にするのはまずかっただろうか。
彼の顔を恐る恐る見やると、しかし、機嫌を崩したような様子はなく、むしろ…。
「だーれがマネージャーだよっ!」
と、彼は固めた拳を軽く置くようにして私の頭にくっつけ、げんこつのような仕草
でおどけてみせた。
案外、簡単に見つかってしまうものなんだろうか。
私にここまで興味を持ってくれる人。
「ああ、そうだ。名前、聞いてなかったね。なんだっけか?」
「今さらですよ? …桃井です。桃井春流」
「じゃあ、春流ちゃんで! 俺の名前は、茶坂紘一。クラスで一番のイケメンさ、
なんつって」
「そのクラス、イケメンばっかりになりますね!」
「おーい、それどういう意味だよっ」
「冗談です」
男子に対して、しかも年上の男の人に対してこんなに軽口を叩けたのは初めてで、
胸の鼓動は早まりっぱなしだった。
茶坂先輩。
どこかで聞いたことのある名前の彼こそが私の世界の主人公。ヒロインを絶望的な
現実から輝かしいファンタジーの世界へと連れて行ってくれたように、『彼』は、茶
坂先輩は、私にその手を差し伸べる。
白木くんは、違った。
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