第25話 残酷

 「ああ…」


 蒸された身体を冷却したくて、しばらくは浴衣を切ることが出来ず、脱衣所の扇風

機の前の椅子に腰かけ、そのままボーっと座る。


 女子二人はまだ入っているだろうか。


 僕は昔から、宿泊先の風呂場が大好きだけど、すぐにのぼせてしまって早々と退室

してしまう始末。で、こうやって急速に身体を涼ませないと耐えられない体質、いや

性質なのだ。


ここに蓮井君とチナツがいたら、忍耐力のないヒヨッコめ、なんて嫌味を言われて笑

われてただろうな。まあ、チナツは女子だからこの体たらくを一生目にすることはで

きないが。残念だったな。


 なんて勝手な勝利感に浸っていると、声が聞こえた。


 「でさ、ビビったわ~、マジで!」


 「あはは、マジかよ!」


 「白昼堂々、何やってんだよ、お前。笑えるぜ」


 言葉で盛り上がる男子たちの声。


 その声の主たちは、暴力が好きそうな顔つきと風体で、目つきの悪い顔立ちと蓮井

君よりも逞しい体格の成人だった。


 なるべくこういう人達と近くにいたくないな、と不本意だがまだ蒸し暑い身体を起

こし、急いで距離を取る。


 距離を取ったのはいいが、しかし僕は、彼らの方に、再び近づいてしまうことにな

る。


それも、僕自身の方から、距離を詰めることになるとは、思いもしなかった。






 廊下に出るとすぐに、桃井さんが見えた。


 「あれ、青島さんは?」


 「あ~、まだ、出てないみたい。私、のぼせやすいからもう戻ってきちゃった」


 「そうなんだ、僕も、実はそうなんだ」


 「やっぱり」


 「やっぱりって、失礼な。桃井さんって結構、毒舌だよね…ごほっ」


 「大丈夫?」


 桃井さんが、僕の顔色を見て心配そうに見つめた。


 「ああ、平気平気。旅行疲れしやすいんだ」


 「それならいいけど、具合が悪いのかなーって思ったから、夏風邪でも引いたのか

と」


 「そんな大げさなもんじゃないよ。レストランって、三階だよね? 青島さんも戻

ってきたら連絡してよ? ゆっくり横になってるから」


 「うん。あれだけ大きなハンバーガーを食べても、お腹は空くもんだね。じゃあ、

またあとで」


 「ああ、またあとで」


 僕の気を遣って、手を振りながら先を歩きだした彼女。


 嘘を、ついてしまった。


 全然、大丈夫、なんかじゃない。


 「最悪だ…、うっ…」


 僕は、息苦しくなって、そのまま廊下の床に膝をついて、嗚咽した。






 翌朝。


 青島さんの父親に会いに行くために、僕らは実家の近くへと向かうバスを待ってい

るところだった。


 「なんか、ドキドキするね!」


 「うん」


 「青島ちゃんのお父さんか、どんな人なんだろう」


 二人の間には、打ち解けた雰囲気を感じる。昨日は、どこか遠慮していたところが

あったのに、今ではもう友人と呼べるほどに関係が深くなっているのを、なんとなく

察する。


 そんな空気を、僕は台無しにしようとする。


 「あのさ、二人とも…」


 「なに?」


 二人が、僕を見る。ご機嫌な様子のまま、身構えることなく、一切の警戒なく、僕

を見る。


 言いたくなかった。


 「えっと…」


 でも…。


 「あっ、バス来たよ!」


 桃井さんが指さした先に、運の悪いタイミングでやって来たバスが見え、話す決心

が簡単に消えてしまった。


 どうせ、ここまで来て、こんなことを言ったとしても、必ず疑問を持たれるし、納

得されるにはそれなりの理由がいる。


 残酷だった。


 言うにしても、言わないにしても、地獄のような時間が迫ってきているようで、僕

は、僕自身の出来の悪さをただ呪うことしかできなかった。



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