第18話 ざまあみろ
クラスマッチ当日。
僕のクラス、二年三組は、最初も最初、第一試合に出場する。
野球に参加する人数がちょうど9人だったので、僕は補欠にならずに済んだわけだ
が、果たして今日は、蓮井君の約束通り打てるだろうか。打順は9番で、自分の番は
せいぜい二回程度。正直不安だった。
「じゃあ始めまーす」
一年生の体育委員の声で、相手側のチームが守備につき始めた。
それから、数分が経ったところ。
僕たちは、驚くことにまだ守備についていなかった。続く怒涛の攻撃に、相手は手
も足も出なかった。
相手のクラスには野球部員がいなかったので、比較的に運動神経のいいクラスだっ
た僕たち二年三組の猛攻を食い止められずにいた。
そして、迎えた僕の打席。
前の打順、いやさらに前の打順からずっと、心臓が直接叩かれているのではないか
と疑うくらいにドクドクと脈打ち、全身は、緊迫感に震えていた。
クラスマッチ用に用意された白線の奥に、一度もバウンドすることなく到達すれば、
ホームラン。あそこにボールを運べば、ホームラン。
打席に立っても、全身の震えが止まらなかった。
「おい ど真ん中だぞ~」
「なーにやってんだあいつ」
一球目。
そのど真ん中のボールを、僕は、怖くて振ることが出来なかった。
「ストライク!」
審判を務める体育教師の声にも、いちいち気後れしてしまう。
1アウト満塁。
打てば、得点。三振すれば2アウト。
ダブルプレイなら、即チェンジ。
それを考えると、怖くなった。
これだけの連打で盛り上がった空気が台無しになるのが怖かった。もう圧倒的に点
差が開いていて、まず負けることはないだろうけど、それでも僕は、空気が読めない
ようで、それは怖かった。
ホームランを打つという大きな目的以前に、空気を読まなければ、と考えるだけ
で、吐きそうになった。
『この人殺し!』
『あんたのせいで…あんたのせいで…!』
こんなところで、よりにもよって、こんなところで蘇る過去の記憶。
「ホントに何やってんだ? あいつ」
「運動できねえんじゃねえの?」
味方も相手も体育教師も、試合を観ていたギャラリーたちも、ざわざわとおかしな
ものを見た時の反応をさせてしまうくらいのフルスイングで、空振りした。
蓮井君と練習した時のボールよりも、圧倒的に遅い球に、体勢を崩して、しりもち
をついた。
嬌声めいた声が聞こえた。
「何やってんだ?」
「バカかよ」
「なにあの子?」
「必死に頑張ってるのよ」
2ストライク。
委縮してしまった。
打てない気がした。
次の打席が回って来ても、緊張が付きまとって、打てないだろうと、思ってしまっ
た。
周りの様子が、だんだんおかしくなっていた。笑われ者を見るような目で、みんな
が僕を見ていた。
怖くなった。
あれだけ練習したのに、心が挫けてしまった。
「おい、やべえな、あいつ」
「次もバカみたいなスイングするんじゃね?」
「がんばれ~」
鳴りやまない嘲笑に、耐えられなくなった。
蓮井君は、きっとこれを見て、笑っているに違いない。そう思った。
見たくないのに、分かりきっているのに彼の顔を目で探してしまった。
大きなネット越しに、僕を笑う生徒の隣に、彼が見えた。
彼もまた、無理難題を突き付けて、楽しみたかったのだ。僕の『チカラ』なんか、
始めから信じていなかったのだ。
野球部を半ば追放されたように退部した彼は、そのストレスを、誰かを傷つけるこ
とで解消したかったのだ。
僕のような、学校では影響力のない地味な人間をターゲットにして、やり返されな
いような相手を選んで、人を傷つける愉快感が欲しかったのだ。
彼もきっと、隣にいる友達と一緒になって笑っている。
しかし…。
「蓮井、くん…」
彼は、笑っていなかった。
震えていた。
それは笑っているから震えていたのではないと、表情からよく分かった。
そして、握り締めた両方の拳からも。
隣で僕を笑う生徒とは、真逆の態度で、ただ僕のことを直視していた。
まるで、何かを期待するかのように。
変化を、求めるように。
そうだ…。
蓮井君だって、ずっとこの重圧に耐えてきたはずだ。
いや、これ以上だ。こんな学内のお遊び以上に、野球部のレギュラーとして、部内
での練習で己を鍛え上げる苦労をし、他校との試合でそれを結果として出さなければ
ならないプレッシャーに、ずっと耐え続けていた。
そんなものに比べたら…。
「先生!!」
大きく息を吸った僕は、声を張り、
「タイムをお願いします!」
しばらくの時間を得た。
相変わらず騒然とする周囲の声は、だんだん遠のいていった。きっと、お前のよう
な奴がタイムを取るなとみんな思っているはずだけど、そんなことは、もうどうでも
よかった。
蓮井君の、あの目を見ると、僕は落ち着いた。
そして。
バットを地面に置き、両手を自分の頬にやり、人差し指と親指で、つねった。
その体勢で目を閉じると、あの情景と、僕に言葉を届けた彼女の顔が、現れた。
小さな彼女から、これ以上ないほど大きな勇気をもらった。
「そろそろいいか?」
体育教師が、傍から見れば奇行に走った僕を心配そうに見つめた。
「はい、ありがとうございます」
他人にゆっくりと感謝の言葉を言えるほどに、僕の情緒は平静を取り戻した。
三球目。
ど真ん中。一球目と同じ位置。
「ふっ!」
カキーン、と野球漫画みたいに金属バットが快音を鳴らすと思っていたけど、ボー
ルを芯でとらえた時の音は案外地味なんだな、とぼんやりとそんな気持ちになりなが
ら、外野の、奥の、さらに奥へとボールが飛ぶようにと、僕はバットを振りぬいた。
「えっ…」
「うそ…、だろ…」
周りが、白昼夢でも見ているかのように、面白いくらいに、しん、と静まり返っ
た。
「ざまあみろ」
なんて言葉が、思わず口から出てしまうくらいの、奇跡的な、大きな当たりだっ
た。
クラスマッチ用に用意された白線を、悠々と越えて、僕は、一塁から本塁までのベ
ースを、ゆっくりと踏みしめた。
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