第11話 気持ちわる

 西日に照らされた、職員室横にある自習室。


 幾枚も重なった、白紙の原稿用紙。


 「あー、終わんないんですけど~。部活行きでぇぇぇぇぇぇ」


 「だから言わんこっちゃない…、あー、あと3枚」


「はっ、ウソ!? あんた何ガリガリ進めちゃってんの? 私なんかまだ一枚も終わ

ってないんだけど!」


 「知らないよ、自業自得。てか、僕だって巻き込まれたし」


 僕たちは、五限の時間、学校を抜けて近所のアイスクリーム屋へと足を運び、彼女

のおごりでアイスを食べた。


 張り込みで、弁当を一口も食べられなかった僕には、それはもう、ごちそうだっ

た。空腹により鋭敏になった味覚が、アイスのおいしさを十二分に僕の脳へと伝達し

た。


 その後は、大人しく学校へ戻る、はずだったのだが…。


 「なーんか、戻るのめんどくさくない? ゲーセン行こうぜっ!」


 提案する彼女は、提案口調の言動とは裏腹に、僕の腕を引っ張るようにして、校舎

から遠のいた。


 そこからは、これまた気前のいいこと、彼女のおごりで、やれUFOキャッチャ

ー、やれシューティングゲーム、などに興じた。


 彼女は、なかなか強かった。


 いかにも、ゲーセンに行ったところでろくにゲームをせず、プリクラを撮って帰る

だけのタイプだと思っていたが、どうやら僕の偏見だったらしい。


 ゲームにはまあまあ自信のあった僕を、対戦形式のゲームでは一蹴し、協力形式の

ゲームではAIの動きを読み取り、先導した。


 「リア充のくせに…」


 「ん、なんか言った?」


 「いや、何でもない」


 リズムゲームの爆音の中、彼女は僕に耳を傾ける。体育倉庫の時に匂った香りが、

再び鼻腔へと入り込んで、僕は半歩だけ身を引いた。






 こうして、僕と彼女は、二授業分と清掃、帰りのホームルームの時間を、まるまる

サボってしまったわけだ。


 それを、廊下を徘徊する二年部の教師に見つかり、それぞれの担任に説教を喰らっ

たあと、この部屋に収容されたという訳だ。


 収容、とは言っても、別に出入り口をふさがれたわけではないが、僕も彼女も、曲

がりなりにも普通の少年少女であったので、また抜け出すなんてことはせず、課せら

れた反省文を行儀よく終わらせている。


 「ふぅー。ようやく終わったよ」


 シャーペンの芯で真っ黒になった右手の側面に辟易しながら、僕は先に席を立っ

た。


 「私も、ほら、もうちょっとで…!」


 彼女も、怒涛の追い上げで(最初から競ってなんかないんだけど)、僕が背中の凝

り固まった筋肉を伸ばしているのと同時に、十枚に及ぶ反省文を書き上げた。


 「ああ、なんか小説家になった気分だわ。原稿用紙に何枚も」


 しばらく集中していて無口だった彼女は、膨らみすぎて破裂した風船のように饒舌

に口を開いた。


 「こんだけ書けるんなら、私たちも、小説家になれるんじゃないかしら?」


「いやいや、原稿用紙十枚程度の分量で苦しむようじゃ、厳しいって。原稿用紙一枚

に四百字だろ? それに十をかけて四千。たぶんまだ小説としては成立しないんじゃ

ないかな?」


 「もー、かわいくないな~。たとえで言ったの、たとえで!」


 「痛っ! シャーペン投げんな!」


 なかなか乱暴で粗雑な彼女は、最初はその一面がすごく恐ろしくて、縮み上がって

しまったものだが、本質的な部分は本当にいい人間なんだな、と今日一日で、彼女の

魅力が分かった。


 こういう人間に、みんな惹かれるんだろうな。


 彼女の幼馴染もきっと、今は何らかの事情で落ち込んでいるだけで、基本的には彼

女のように明るくて、相手の気分も晴れやかにするような人間なんだろう。


 あっ、そういえば、その男子について、僕は聞き逃していた。


 「あのさ」


 ぎゃあぎゃあと、未だになお尽きない御託を列挙する彼女に、改まったような面持

ちで声を掛けた。


 「なに?」


 首をかしげる所作も、艶やかな黒髪と端正な顔立ちにはとても似合っていた。


 「本題なんだけど、落ち込んでた例の男子のこと、そろそろ話してくれないか?」


 「誰それ?」


 「君が部活に行く前に、聞いときたくて、いいよな?」


 あれ?


 今、彼女はなんて言った?


 「ああ、部活…さっぱり忘れてた。どーしよっかな~。でもこの時間は確か、グラ

ウンドから抜けてたよね? って、私、何のために抜けてたっけか?」


 彼女は、すっとぼけたような顔で、机の背もたれにべったりと背中を預けて天井を

仰いだ。


 まさか…。


 着信が鳴った。


 彼女は、ポケットからスマホを取り出す。


 「の・ぶ・た・か? 誰こいつ?」


 「僕に聞かれても」


 「気持ちわる」と、通話拒否のボタンを押して、


 「一緒に帰ろう? 新しい友達君? あれ、あんたの名前、なんだっけ? あっ、

私の名前は、赤井千夏」


 「白木圭だけど、部活、いいのかよ?」


 「いいのいいの。なーんか、寄らないと行けないところがあったような気がしたか

らさ。いこーぜ、圭坊」


 「圭坊なんて、急に馴れ馴れしいな?」


 「あれ、ダメだった? 同級生だから別にいいかなーって。私の方もチナツって呼

んでほしいし」


 「い、いや、別に、呼び方はこだわってないけど、ただビックリしただけで…」


 「じゃあ、圭坊」


 「チナツ…さん」


 「さんって、同級生なんだから、呼び捨てでいいでしょ?」


 ケラケラと笑う彼女に、僕は恥ずかしい思いで、


 「チナツ」


 と、喉に何かが引っかかったような声で、彼女の名前を呼んだ。


 女子の名前を下の名前で呼び捨てするなんて、人生で初めてだから、顔が予想以上

に熱くなってくる。


 きっと、それを指摘してからかわれるだろうな、と思い、僕は身構えたが、しかし

彼女は、そんな邪心など全くないように、顔と同じようにきれいに整った歯を見せて

笑った。


 「よろしく」


 「ああ」


 いいやつだった。荒っぽいところはあるけど、心の温かい人間だった。

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