海底に沈む月

綾瀬七重

太陽と共に月が生まれた

遠い昔、今は亡き自然に溢れた美しい伝説の島国が存在した。その名を柳緑王国という。

国名は柳緑花紅という言葉から来ており、その名の通り手付かずでまるで人が暮らしていないかのように自然豊かで美しい国であった。

この話はこの国の治世が安定し後にさらに国を繁栄に導くことになる若き王子と運命に翻弄された貴族の少女から始まる貴種流離譚である。



果たして何百年、何千年前の時代だろうか。

日食であったその日に王家の遠い遠い外戚にあたる貴族の家にそれは美しい女の子が生まれた。

また幾日か後の快晴の日に王家にも待望の嫡子、それも男児が誕生したのである。

こうして遂にこの国にこの国の命運を動かす太陽と月が昇った。



「お父様、私の格好、おかしくはないでしょうか?王子様、スホ様に変に思われないでしょうか…」

8歳になった少女が不安そうに父に尋ねた。

日食の日に生まれた少女の名はソウと名付けられ、すくすくと成長中だ。

「大丈夫だよ」

父が優しい声音でソウに言った。

今日は王妃の出産を祝って国中がお祭り騒ぎである。城下町や王都、国の端々まで明るい雰囲気に包まれている。

ソウは父が右大臣であり祝辞を述べるため王宮へ向かうところについて行くことになった。

通常、いくら右大臣家の娘であろうと王宮への出入りは容易にできるものでは無い。

しかし今日は王直々にソウが呼ばれたのであった。

理由は簡単である。ソウと同い年であり王位継承第1位である王子スホのために呼ばれたのだ。

王妃はスホの母ではなく、継室の王妃であった。

スホの母、正妃である王妃は2年前、流行病で亡くなっており此度の祝い事にスホは完全に蚊帳の外なのである。正妃が亡くなってすぐに継室を取るというのは異例なことではあるが特別問題視されることでもない。王の立場であれば国の安定のためには一刻も早く継室を迎える必要があったのである。

しかし母妃を亡くしまもなく父王が妻を娶り懐妊出産、いくら王子と言えどソウと同じ8歳の少年には余りに酷いことだ。

この経緯を踏まえて父王なりに息子のためを想い、同い年の貴族、信頼している家臣の娘に息子の相手をしてもらおうということであった。

スホは頭脳明晰、容姿端麗、さらには武芸にまで秀でていると貴族の中ではもっぱら噂の対象であり、もちろんソウも噂を耳にすることが多かったため今日自分が王子のお相手をすることなど内心恐れ多いことであった。

しかしソウには気がかりな事があった。

もうひとつ、ソウが聞いたスホ王子の噂があるのだ。

「父である王が絶対にスホを王宮から出そうとしない」

このことは密かに以前から噂されていたことであった。前王妃、スホの母妃が流行病で亡くなってからよりその噂が広まることとなり、実際どんな公の祭事の時もスホは出てくることは無かったのである。

つまりスホの素晴らしい噂は王宮に実際に入って宮仕えをしているものや大臣たちなどの人々からの言葉から噂へ発展したことであった。

また出てくることの無いスホに対して王のもう1人の側室の息子。王位継承第2位のスホの異母兄シンは公の祭事に顔を出すことが多かったためより噂は濃厚となり広まっている。

ソウはもしもスホが王宮内に軟禁状態にあるならば非常に気の毒だと感じていた。

王宮に入った人々皆が口を揃えて言うスホの素晴らしい噂。そんな噂がある方が実際に王都を見てみたいと願わないはずがない。民を実際に見てみたいと全く思わないはずがない。

ソウには年の離れた兄と姉がいるが兄が王宮で働いているためよくこの言葉を口にしているのを聞いていた。もちろんソウもそう考えていた。

なので今日は民のひとりとしてスホに会うためにスホになにか民はこんなものを好いている、こんなものを文化としている、そう伝えたいと思っていた。

そんなことをソウが考えているうちに前を馬でゆく父から声がかかった。

「ソウ、ここからは祭りで賑わっているから輿を降りて歩かないとならないのだが大丈夫か?」

「大丈夫です」

そうだ、この歩いている間に出店でなにかかってスホ様に贈って差し上げよう!ソウはそう思いついた。多少安物であることはしょうがないとしてソウは何がいいか考えながら歩き始めた。


食べ物、はダメね。毒味係がいるはずだからバレるわ。あまり大きな物はお父様に隠して持ち歩けないし、王宮に入る時に取り上げられてしまうかも…。

最近、民の間では隣国の風月の国の小説が人気だけど王宮の書庫に既にあるかもしれないわ…。


そんなことをソウが考えているとふと父が止まり振り返った。

「ソウ、悪いが少しここで待っていてくれるかな?私の知り合いがいてね。挨拶に伺わないといけない方なんだよ。侍女と待っていてくれ」

「分かりました」


ソウはいまだ!と思った。

今なら父の目を気にせず贈り物をさがせるではないか。父の姿が遠くに行ったのを確認してソウが出店を見て回ろうとすると侍女に止められた。

「ソウお嬢様!なにをなさるんですか!」

「いいじゃない。少しくらい出店を見て回ったって大丈夫よ」

わあわあ騒ぐ侍女を横目にソウは出店を見て回る。

ぴんと来るものがない。どうしようかと思った時にソウの目にあるものが飛び込んできた。

カスミソウの刺繍が施されたお守り!

柳緑王国は占いや祈祷の文化があり花言葉も贈り物をする際によく用いられる。

カスミソウの花言葉は「幸福」

ソウはこれだ!と思った。「スホ様の幸福を祈る」という意味でこれを差し上げよう!

ソウは水色にカスミソウの刺繍が施されたお守りを手に取り購入した。

これならお父様にも分からないし、王宮にも持ち込めるわ。

ソウはお守りを購入し綺麗に包んで欲しいと店主に申し付けて何食わぬ顔で父を待った。

父はその後すぐに戻ってきて

「ソウ、大丈夫だったかな?特に何も無かったかい?」

と尋ねたがソウは嘘を息を吐くようにサラリと

「ええ、大丈夫でした」

と言いスホに会える期待に胸を膨らませていた。

「では行こうか、王宮へ」

「はい」


ここからがこの話の本当の始まり。これは序章に過ぎないのである。そしてこれが運命の出会いになることはソウもスホもまだ誰も知らないのであった。




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