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「いえいえ、天狗さん。気のせいじゃないですか? こっちじゃなにも見えませんよ」
どうせ見えないなら、いないと信じたもん勝ちだ。
いるように見えても、いないといってあげたほうがいい。
空気!読んで!と、必死で天狗さんを誘導しようとするけれど。
不幸なことに、天狗さんは電子機器の扱いがわりと速い。
『スクショしたから、画像を送ったよ。見えるかな』
もう通知音が鳴って、画像の受信通知が。
カメラを使うのに、天狗さんの声はスピーカーから聞こえるように設定していた。
『どうだろう。おれから見ても、トイレの花子さん――っぽいね、たしかに』
会話は安芸ちゃんと櫻にも筒抜けだし、画面はみんなが覗ける状態になっている。
画像が送られた通知も、みんなが見ている。
「……餅子、画像を見せて」
「うん――」
仕方ない――。
天狗さんから送信された画像を開いてみることにした。
すると、たしかに、いた。
わたしたちの目には見えないはずのものが、映っていた。
昨日、パソコンの画面上で見た時と同じ場所――安芸ちゃんの部屋のベッドの脇に少女がいて、膝を抱えて座っている。
顎まで伸びたおかっぱ頭で、黒髪のせいで顔はよく見えなかったけれど、カメラに気づいているようで、間違いなく視線はカメラを向いていた。
唇の両端があがって、笑っている。
そのうえ、手は、ピースサイン。
画像を撮られるのを待ちかまえたような――。
安芸ちゃんの悲鳴が震えた。
「この部屋に……まだいるんだ!」
その声は、天狗さんにも届いたらしい。
『どうだろうね』と、冷静な声がする。
『きみたちからは見えていないんだよな? なら、そこにいるように見えているだけで、オンライン上にいるとは考えられないだろうか』
「オンライン上?」
『ああ、ARみたいな――』
「AR?って、なんでしたっけ……」
しどろもどろになったせいか、天狗さんが説明してくれる。
この人、こういう時は本当に察しがいい。
『ARは、Augmented Realityの略で、日本語では一般的に〈拡張現実〉と翻訳されるやつだよ。アプリなんかでよくあるだろう? スマートフォンを使って画面越しに見ると、目の前の風景にバーチャルの視覚情報を重ねられるやつだよ。使ったことがないかな? キャラクターを画面上に表示させたり、ゲームをしたり、家電や家具のサイズ感を調べたり――』
「あ!」
ありますね、たしかに。
あれってARっていうんだ。
「でも、そのARと、花子さんがどう関わってくるんでしょうか」
『その場では見えないのに、ビデオ通話をした時にのみ見えるなら、少女が実際にいる場所が、鏡さんがいまいる友人宅ではなくて、プログラム上というか、オンライン上である可能性もあるのかなと思ったんだ。ビデオで見るかぎり、少女はおれたちに気づいているようだよね。声も届いたりするのかな?――あ、あー。花子さん? 聞こえていたら応答してください。聞こえてますか?』
おいおいおいおい――。
トイレの花子さんと話しはじめちゃったよ、天狗さん――。
わたし、安芸ちゃん、櫻の視線が、いっせいにスマートフォンに集まる。
画面に、天狗さんが見ているらしい映像が表示されたからだ。
『画面を共有するよ。おれの画面がそっちでも見えてるかな?』
天狗さんは、天狗さんのスマホで見えている花子さんの姿を、わたしたちにも見えるようにしてくれた。
そんな機能がこのアプリにあったのも、わたしは知らなかったけど。
三人で食い入るように見つめる中、安芸ちゃんのベッドのそばにいた花子さんの顔がついっとあがる。
天狗さんの声に耳を傾けたようだった。
『やあ、どうも。トイレの花子さんとお見受けします。はじめまして』
天狗さんにつられるように、画面の中の花子さんもぺこりと頭をさげた。
妖怪と人間が話してるよ……。
それに、ふたりとも、対応が大人だ。
――すごいな、対話の力って。
『初対面の方にこういうことを尋ねてしまうのも失礼なのだが、あなたは、なぜそこにいるんだろうか。トイレの花子さんというからには、トイレ――中でも、小学校のトイレにいるのではと、おれはつねづね思っていたのだが』
そうだよね。
トイレの花子さんといえば、誰もが一度は聞いたことがある学校の怪談。
校舎の三階、入り口から三番目の個室にいる、女の子の妖怪のこと。
「花子さん、あーそーぼ」って声をかけたら、「いーいーよ」と返事がかえってきて、「じゃあ、首絞め遊びをしよっか」と、声をかけた子が殺されてしまうとか。
むかしトイレで死んだ子の幽霊だとか、トイレットペーパーが切れたらそっと差し出してくれる実はとってもありがたい存在だとか、学校の数だけ伝説があるといってもいい。
ある意味、日本全国の子どもに大人気の妖怪だ。
でもいま、花子さんは安芸ちゃんの部屋のベッドの脇にいるのだ。
『えっとだね、つまり、本来あなたがいるはずなのは、別の場所ではないのかな。おれの目に、そこはトイレではなく寝室に見えるんだが』
ヒタヒタヒタ……と、繊細な音がする。
そうかと思えば、画面に文字が表示されていく。
でも、誰もそんな操作をしていない。
しかも、文面は――。
花子さんからの、返答のようだった。
むかし、このあたりに住んでいたんです。
長年暮らしていたトイレが、学校の改築にともなってなくなったのです。
移転した先の新しい校舎にもトイレはありましたが、最近はトイレにいると変質者と間違われてしまい、暮らしていけなくなりました。
そのため、居場所を転々としています。
私はいまや、トイレの花子ではなく、ホームレスの花子です。
スマホを覗きこんだ安芸ちゃんの目がこわばる。
「ホームレスの、花子……?」
そうだね、そうなるよね。
ホームレスの花子さんっていうパワーワードにも驚きだけど、そもそも天狗さんが、妖怪の花子さんを相手になんのためらいもなく話しているのにも驚きだ。
ほんと、ふしぎな人だ――。
『なるほど。アパートや一戸建てだけでなく、学校の校舎もずいぶん様変わりしましたもんね。そこで暮らしていた妖怪にとってはつまり、環境破壊だ。現代人による環境破壊は、自然だけが対象ではないということだね』
画面の中の花子さんが、うん、うんというふうにうなずく。
天狗さんも、同情をするふうに話を続けた。
『現代人としてもうしわけないよ。事情をきいても、学校の改築をやめさせたり、もとに戻したりする力があるわけでもなく、ますますもうしわけない。せめて――そうだ。うちのトイレに移り住んではどうだろう。我が家には使ってないトイレがあるが』
――はい?
『我が家は、たぶん妖怪には寛容だ。妖怪が家にいると家が栄えると信じているからな。――あ。そういえば、こういうトイレもあるよ。水道にはつながっていないが』
そういって、わたしのスマホに映る風景が切り替わる。
画面共有というのが解除されて、天狗さんが受信した映像ではなく、天狗さんのカメラが映すものに変わった。
倉の中が映った。
わたしの勤務先だ。
天井までうずたかく積み重なった箱や骨とう品の数々。
天狗さんは撮影しながら移動しているようで、映像は揺れている。
積み上げられた品々をよけるように天狗さんが進んでいった先は、倉の一番端。
入り口側の隅にあたる場所で、そこにあったものは、やたら豪華な便器だった。
「は……?」
目が点になる。
いろんなものがある倉だと思っていたけど、便器まであるの?
便器といっても、よく見かける白い陶器製のではなくて、便器の形をした芸術品と呼ぶべきものだった。
和式で、黒漆塗り。
ところどころに、きらきら光る貝を使った繊細な細工がほどこされていた。
前までたどりつくと、天狗さんはその手で黒漆塗の便器をなでた。
かぶっていた埃を手で払うためだ。
『とある名家の依頼で作られた品らしいんだが、結局引き取られずにいたらしくて、それをうちが引きとった――と聞いているんだが、どうだろう? もしもお気に召したら、ここに住んでくれてもかまわないが?』
驚きだ。
美術品のような便器がこの世に存在していることにも。
その便器を所有している家があるということにも。
それに、トイレの花子さんという妖怪を下宿させちゃうことも。
トイレの花子さんを、自宅に――。
みずから呼ぶもんかな?
ヒタヒタヒタ……と、また音が鳴る。
花子さんの返答が、文字になって表示された。
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