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『安芸ちゃん、今日、誰かお泊りにきてる?』
櫻の顔から笑みが消えた。
安芸ちゃんはというと、
『いるわけないよ。そもそも、呼べないよ。客用布団もないし。ベッドもシングルだし』
『そっか――姪っ子さんでもきてるのかなぁと思っちゃった。見間違いかな……』
櫻はかろうじて笑顔を浮かべたけれど、表情はこわばっている。
同じディスプレイに映ったわたしの顔もだ。半笑いで、ひきつっていた。
姪っ子――そう。たしかに、そんな感じ。
安芸ちゃんのうしろに映る部屋の隅に、人の形に見えるものがあった。
小学四年生くらいの身体の細さで、紺色の吊りスカートをはいていて、ベッドの前で膝をかかえて体育座りをしている。
顎が隠れるくらいのおかっぱ頭で、うつむいているので顔は見えない。
でも、動いた。
食い入るように見つめるわたしたちに気づいているかのように、ゆっくりと動いて、顔が、こちらを向く。
目が合う――。
「ひっ―――」
思わず、悲鳴が漏れた。
でも、おかっぱの黒髪に隠れて、結局顔は見えず、目は合わなかった。
ただ、唇の口角があがった。
画面越しに見つめているわたしを、あざ笑うようだった。
同じものを見たのか、画面に映る櫻の顔も青ざめた。
気づいてないのは、安芸ちゃんだけだ。
『なんなの、二人して。ドッキリ?』
安芸ちゃんが怪訝な顔をする。
「そんな、驚かせようってわけじゃ――」
まもなく夜の十二時。
脅かすならベストなタイミングかもしれない。
でも、わざわざそんな嫌がらせじみたイタズラをするわけがないよ。
画面に映った櫻の真顔が、わたしに話しかけてくる。
『餅子、見えてる……?』
見えてる――って、あの子のことだよね?
かくかくと、わたしは首を振った。
「見えてるよ。いるよね――」
『なになに、ふたりとも? なにもいないよ?』
とうとう安芸ちゃんは、勢いよくうしろを振り向いた。
自分の部屋を見回してから、安芸ちゃんがふたたびパソコンを覗きこんでくる。
『二人にはなにか見えてるの? ごみとか、光の反射じゃなくて?』
――ごみや光の反射だったら、どんなにいいか。
安芸ちゃんの部屋には、たしかに少女が映っていた。
学校が舞台の怪談に出てくるような少女だ。
つまり、あれ。
有名な、トイレにいる女の子の妖怪で。
名前は――。
『二人にはなにが見えてるの? 教えてよ』
「それは、その――」
どうしよう……。
いうべき?
黙っておくべき?
知らないままなら、知らないままのほうがよくない?
それにしても、どうしてわたしと櫻にはあの少女が見えて、安芸ちゃんには見えてないんだろう?
その部屋にいるのは安芸ちゃんなのに。
スピーカーから、櫻の細い声が聞こえた。
『安芸ちゃん。わたしね、ちょっと霊感があるの』
「えっ、そうなの?」
思わず、声が出た。
櫻は、料理もアクセ作りも、服のセンスもインテリアのセンスもよくて、DIYもこなしてしまう子だ。
そのうえさらに、霊感まであるの?
一応わたしも『鏡さんは霊感があるね』と、雇用主から認められたことがあったけど、霊感ってみんながもってるものなのかな。
そもそも霊感ってなんだっけ?
料理やDIYと同列で語られるようなものだっけ――まあ、今はいいや。
櫻はうつむいて、手元をいじりはじめた。
スマホのカメラを、パソコンの画面に向けようとしていた。
『わたしね、子どもの頃からへんな気配を感じちゃうことがあるんだけど、たぶん気のせいだから。――撮影してみるね。きっと、なんにも映らないよ』
――カシャ。
スピーカー越しに、スマホの作動音が聞こえる。
撮った画像を確認しようと、櫻はもう一度うつむいて、息をのんだ。
『映ってる――』
『なによ、見せてってば。なにかいるんでしょ? 私がよく知ってるものの見間違いかもしれないから、見せて!』
安芸ちゃんの声が大きくなる。
剣幕におされるように、櫻の手がすうっと向きを変えた。
スマホの画面を、カメラに映した。
わたしと、安芸ちゃんの顔が画面に近づいていく。
覗きこんで、わたしは息をのんだ。
さっきから見えていたものと同じだった。
安芸ちゃんの部屋のベッドのそばに小学生くらいの少女がいて、膝を抱えている。
しかも、こっちを見ようと振り向きかけている。
おかっぱの黒髪で顔はほとんど隠れていたけれど、視線はたしかにこっちを向いている。
そのくせ、唇は笑っている。
――そんなに楽しい?
そんなふうに。
「…………!」
みんなで息をのんだ。そして。
きゃあああああ――と、安芸ちゃんの悲鳴が、スピーカーから響いた。
その後、少女の姿は見えなくなった。
体育座りをしていたベッドの前も、いまはからっぽだ。
「大丈夫だよ、安芸ちゃん。もう消えてるよ」
取り乱して青ざめる安芸ちゃんを勇気づけたけれど、糠に釘。
すっかりパニックだ。
『見えないだけで、まだいるかも? さっきも、私の目には見えなかったもんね。こんなところで寝られないよ。やだ、この家にいたくない!』
一人暮らしの部屋は、たった一人だけの楽園だ。
でも、イヤなことが起きた時は、助けを呼ぼうが誰にも届かない無人島や監獄みたいなもの。恐怖は、際限がないのだ。
しばらく経つと、安芸ちゃんはスマホで電話をかけはじめた。
『彼を呼ぶ! ――もしもし、私。遅くにごめんね……』
スピーカー越しに、電話のやり取りが聞こえてくる。
きっと、付き合い始めたという先輩だ。
普段はきびきびとして姉御肌の安芸ちゃんが誰かに頼ろうとする姿を見たのは、はじめてだった。
しばらく経ってから、安芸ちゃんはハッと我に返った。
わたしたちを放ったらかして、恋人と電話をはじめたのを気にしたんだろうな。
正直、わたしは全然気にしなかったけど。
むしろ、女の子モードで彼と話す安芸ちゃんがかわいくて、見とれていた。
取り乱していた安芸ちゃんが落ち着いていくのを見守れたのも、ほっとした。
『ごめん、一度切るね。友達とのビデオ会議の途中で……』と、安芸ちゃんは恋人との電話を終えた。
それから、つくり笑いを浮かべて、画面越しにわたしたちに笑いかけた。
『今日、これからきてくれないか、彼に頼んでみるね。電話もつながったし、大丈夫だよ』
時間はすでに十二時を回っていた。
深夜だけど、安芸ちゃんのために、その彼はいまから駆けつけてくれるんだろうな。
恋人って、いいなぁ――。
なんかこう、困った時には必ず助けにきてくれる専任の王子様――みたいな。
「わかった。なにかあったらいつでも連絡してね」
ホラーな出来事があったけど、お化け騒ぎが、かえって安芸ちゃんと恋人の仲をとりもってたりして――吊り橋効果っていうんだっけ?
不気味な少女を見たことよりも、安芸ちゃんと恋人がうまくいっていることのほうが、わたしにとっては印象的で、怖かったことは上書きされてしまった。
翌日。
キャンパスに着くと、まずは安芸ちゃんの姿を捜した。
講堂でいつもよく座るあたりに、安芸ちゃんは座っていた。
「おはよう。あれからどうだった? 彼がいてよかったね」
安芸ちゃんはぐったりしていた。
机に顔を伏せていて、話しかけると、ゾンビみたいに顔をあげた。
表情も暗い。
「――どうしたの」
「寝不足。朝までファミレスにいたから」
「彼と?」
ううん、と、安芸ちゃんは首を横に振った。
「あんなの、別れる」
「え?」
「見てよ、これ」
さっと差し出されたのは、スマートフォン。
コミュニケーションアプリのMUSUBIが表示されている。
恋人らしき人とのメッセージのやりとりだった。
こうある。
『さっきはありがとう。これからもう一回電話してもいい? さっきの電話の理由なんだけど、トイレの花子さんみたいな幽霊っぽいのが家に出たんだ。怖いからきてくれないかな? 遅くにごめん』
『おれ、怪談系がダメなんだ。ごめん!』
『……』
『むりだよ、近づけない。警察を呼んでみたら? フツーに不法侵入でしょ』
『怖いんだけど』
『おれだって怖いよ。ごめん、ほんとにダメなんだ。大丈夫だよ、最近は女性のほうが逞しいから!』
会話の終わりには、安芸ちゃんが送ったスタンプがあった。
デスマーク風のリアルな骸骨のイラストの上に、でかでかと『わかった、さっさと死ね』とある。
骸骨にこたえて、恋人から送られてきたのは、汗をかいている河童。
かわいい河童のミニイラストが、ぺこぺこ頭を下げながら『ごめんね!』と両手を合わせていた。
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