満たしてくれるものを失った者は、新たに満たすものを探し求める。

 商店街のフロアの上の階は、ほのかなライトが照らされていた。


 箱の形をした段ボール箱や、テントがそこら中に設置されているこの場所は、化け物の巣の住宅地なのだろうか。


 その間を、何者かが通過する。


 何かを、引きずりながら。


 何者かがテントのひとつを通過した時、

 そのテントからタビアゲハが顔を出した。


「……?」


 引きずる音に目が覚めたと思われるタビアゲハは、何者かに触覚を向け、後を付け始めた。






 タビアゲハがたどり着いたのは、かつてトイレがあったと思われる部屋。


 その部屋から、荒い息の音が聞こえてくる。


 タビアゲハは部屋に足を踏み入れ、何者かをみた。




 何者かの前にいたのは、女性。




 それも、心臓の位置から上にかけて裂けており、




 墨汁のように黒い液体をまき散らしている。




 何者かは、黒い液体の付いたオレンジ色の尻尾を動かしながら、タビアゲハを見た。




「……!!」


 部屋から立ち去ろうとしたタビアゲハの首を、変異体は尻尾で巻き付けた。


「逃ゲナクテモイイデスヨ……」


 尻尾の変異体の目は、今までの紳士さのかけらもない、欲望に染まっていた。


「彼女ノコトデ怖ガッテイルノデスカ? 彼女ハ仕方ナカッタノデス。コウスルコトデ、僕ハヨウヤク開放サレタノデスカラ」


 鋭利な尻尾の先で頬をなでられるタビアゲハは、ただ震えることしかできなかった。




 その時、懐中電灯の光が尻尾の変異体を照らした。


 懐中電灯を持っていたのは、ターバンを巻いた管理人の青年だった。


「……っ!! 何をして……」


 しかし、尻尾になぎ払われ、管理人は壁に打ち付けられる。


 あぜんとしたのは、タビアゲハと管理人だけでなく、尻尾の変異体自身もだった。


 タビアゲハの首を巻き付けている尻尾の途中から、木の枝のように、2本目の尻尾が生えている。


「僕ッテ……コンナニ強カッタンダ……」


 笑みを浮かべると、目線を再びタビアゲハに向ける。


「僕ハ今マデオ人好シダッタ……ダケド、モウ手加減ハシナイ……ソウダ、僕ガ代ワリニココヲ管理シヨウ。コンナニ強イ僕ノ方ガ、奇麗ニマトマル。イヤ、モット目標ハ高ク持ツベキダ……変異体ヲ集メテ王国ヲ作ルナンテドウダロウ? 元人間ダト認メテモラエルヨウナ、大キイ王国ヲ……君ハソレマデ裏切ラナイヨネ?」


 その側で、管理人が立ち上がろうとしていた。


 ターバンが落ちたその頭には、1本のツノが見える。


 その管理人に対して、2本目の尻尾はヤリのように管理人の胸に向かった。




 尻尾は、管理人のわきをかすめ、壁に刺さった。




 管理人、タビアゲハ、尻尾の変異体の目線は、




 拳を突き出している坂春に向けられていた。




「いっつ……やっぱり素手は無理があったか」


 余裕そうな言葉を放ちながら、坂春はポケットからメリケンザックを取り出し、右手にはめた。


 この老人は、素手で尻尾の方向を変えた。


 決して貧弱ではない、尻尾を。


 困惑していた尻尾の変異体は我に返ると、急いで壁に刺さった尻尾を引っ込めようとした。


 壁から触角が離れたころ、既に坂春は変異体の前に立っていた。




「あんたには、この巣をのは早いよ」




 銀色のメリケンザックが、頬を打ち抜いた。






 街中に、朝日が戻り始めたころ。


 廃虚の入り口から、3人の人影が現れた。


「……すみませんでした。また借りを作ってしまって」


 その内のひとり……管理人の青年は、坂春に謝罪した。


「いや、あれは借りとは言わんぞ。俺はただの旅する隠居。一般の人間がただ困っている変異体を助けただけだ」

「……」

 目線が下に向く管理人に、ローブを着たタビアゲハは心配するように声をかける。

「ダイジョウブ?」

「あ……ああ……」

「しっかりしろ、もう25なんだろう?」

「28ですが」

「だったら、もっと背筋を伸ばせ。だからといって、あの男みたいに背伸びしすぎないようにな」


 そう言い残して、坂春とタビアゲハは立ち去った。






 人間たちが行き交う街中で、


 タビアゲハは坂春にたずねた。


「坂春サン、昨日カラ気ニナッテイルコトガアルンダケド……」


「なんだ?」


「アノ廃虚……街中ニアッタラ、誰カガ買イ取ルンジャナイ?」


「さあな……あの兄ちゃんが管理しているんじゃないか?」


「ソレダト、ドウヤッテ手続キシタンダロウ……審査ガ難シクテ、変異体ニハ難シソウダケド……」




 坂春はとぼけるように、鼻で笑った。

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