第3話


 あれから、私の頭は、あの工場の夜景と彼の瞳の輝きと、温かい片手でいっぱいだった。

 あの夜流れていた、優しい洋楽が、タイトルは知らないけれど、私の耳に残り、一週間流れ続けていた。


 そのメロディを思い出すだけで、明日を生きられるような気がした。音楽アプリで、同じ曲が無いか、タイトルがわからなくとも、声や特徴で探して、ダウンロードした。


 そして、また、金曜日が来た。


 会社の前に、赤く小さな彼の車が待っていた。


「一週間お疲れ様、愛菜さん」

「ありがとう、麗」


 微笑み輝く彼の瞳で、私はどきどきが加速した。先週よりもずっと、自分の心臓はばくばくと鳴っている。

 でも、それは幸せな音で、緊張とは違う音。


「今日も向かいますか!」

「うん!」


 横に乗り込むと、シートベルトを締めるまで、隣で彼は私を見つめていた。


 カチッと締め終わると、優しくアクセルを踏み、また、先週の道を走った。


 優しい瞳の隣で、また、私は心を柔らかく溶かした。隣にいるだけで、私が生きたかった世界になる気がするのだ。


 流れる洋楽は、また、私の耳に留まり、明日も明後日も流れてくれるだろう。


「アクアライン、越えればすぐさ」

「ここからの景色も綺麗……麗の瞳みたい……」


 ここを超えればすぐに目的地。赤い橋へと繋いでくれる海のトンネルを抜ければ、また、違う宝石が私の目に飛び込んだ。


「俺の瞳の方が綺麗だよ」


 そう、自信満々に瞳を輝かせて、話す彼をとても羨ましく思った。


「ねえ、麗は何歳なの?とっても大人だし。落ち着いていてさ」

「二十四」

「え!?もっと若いかと思った……」

「よく言われるよ。瞳はブルーだし、背はそんなに大きくはないし。ぱっと見子供っぽいから」


 私は最初、十七とかその辺かと思った。綺麗な瞳の青年。そんな感じがした。

 でも、話してみると、もっと大人に感じて、いくつだろうか想像が出来なくなっていた。

 聞いて驚いた、若者だなんて思っていた私だが、三つも離れていないじゃないか。


「ふふ、若く見られて嬉しいよ」

「ほんと?」

「うん、怒ってない」

「あ、怒ってるな」

「ないよ」


 彼と話しているときは、私は私でいられる。社会で上手く話せなくとも、彼の前なら、自然に言葉をありのまま吐き出せる。

 ふふふっと、優しく笑う彼は、私の心をまた、彼の瞳のような透き通った色で染めていった。


「今日も着いたよ」

「登ろうよ!」

「早いなあ、愛菜さん今日は良く笑うね」

「え?そうかな?変?」

「いや、俺は嬉しいんだよ」 

 

 私は気が付けば笑顔になっていたらしい。久々に誰かの前で自然に笑った気がする。

 早く登ろうと、彼を急かすと、彼は笑っているのか困っているのかわからない顔で私に言った。


「登る前にクイズ」

「え?」

「俺は今、何を考えているでしょう」


 突然始まった、難問に私は、頭を抱えてしまう。だって、何って、質問が大雑把で広すぎて難しいから。


「難しい質問……ヒントは無いの?」


 広すぎて、少しは具体性が無いと困る。そう思って、彼へヒントを求めた。


「ヒントは、この赤い橋は恋人が結ばれる聖地であること」


「頂上で、答えを教えてあげる」


 そう言って、彼はひとつしかない手で私の手を引っ張った。その引っ張り方は、いつもより強くて、雑で、落ち着かないように思えた。私にいつも向けるブルーの瞳は、そっぽを向いたまま、こちらを見ようとはしない。

 いったい彼は何を考えて今、登っているのだろうか。

 答えってなんだろう。恋人が結ばれる聖地で、彼は私に何を言うのだろうか。


 私はドキドキする音が、出発前よりも高く強く鳴る。


 気が付けば頂上。


 大きくカーブする橋の、ど真ん中。


 私たちだけしかいない、世界。


 私の手を強く握ったまま、瞳に宝石を輝かせて、彼は言った。




「これからも、俺と、一緒に……この宝石のような景色を見てほしい」


「俺といてほしいんだ」

 



 私は黙って、彼の瞳をひたすら見ていた。ブルーの透明な、どこまでも綺麗な瞳を見つめ、私は熱くなった繋いでないもう一つの手を、繋いでいる手の上に乗せた。


 いつまで、見つめていただろうか。


「ダメかな?」


 彼は返事を待っているので、答えることにした。


「ダメじゃない」


「私も、一緒にいて欲しいの」


「あなたのこと、好きだから」

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