二章 桜宮の魔術師
【2-1】蘭夏の宿
「あ、あの……その。ごめん、なさい」
目を合わせられず、笑顔だというのに痛いほどに感じる圧に萎縮してしまう。
船から降りた時、心配した様子で兄・アユがレンを抱きしめた。
一見、感動の兄妹の再会の様に見えるが、その時レン以外誰にも聞こえない声で「後で私の元に来なさい」と低い声で言われてしまった。いつもの常套句である。
「(かなり怒ってるぞこれは……)」
勿論悪いのは自分である。何も言わずに突然飛び出し、民や近隣国等に多大な心配とご迷惑をかけた事は言われなくてもレンは分かっていた。
「(と、いうか……)」
何で兄様は
「何で蘭夏にいたの?」
「貴方を迎えに来たのですよ。来るって事は知ってましたから」
「……もしかして、ライ兄様?」
「はい」
冷茶を両手で上品そうに口にしながら、「貴方の様子はライさんの報告で聞いてましたよ」と言う。
「(いつの間に……)」
レンが驚いていると、部屋の外から「アユ様」と声が聞こえてレンは振り向く。
アユの返事と共に入ってきたのは狐の仮面をした白髪の男だった。
「ウォレスさん。すみません、代わりに様子を見てきてもらって」
「いえ。それよりもあの男。もしや」
「ええ」
アユは冷茶の器を指で撫でながら「いつか来る時は来ると思いましたが」とアユはため息をついた。
また仲間外れにされてるとレンがムスッとしていると、「レン」とアユに嗜められる。
それでもレンは不満そうにしていると、アユはため息をついた。
「ライさんが、ヴェルダの救出作戦で助け出された事は知っていますね?」
「うん」
八年前の事である。
領域の守り神というのは神の位の中でも最上に近いお方。その守り神が大事にしていた鬼が壊滅させられたというのは、緊急事態といっても過言ではなかった。
桜宮も四神を通じて命令を受け調べていたが、数日後襲ったのはどうやらヴェルダの誰かだと知る。
桜宮はヴェルダの元傭兵だったウォレスの力も借りて、ライオネルが囚われている事を知ると、すぐさま助けに向かった。
「それで、その村の襲撃の犯人って」
「……」
「……ねえ、兄様。まさか」
「ライ兄様じゃないよね? 」レンが言うと、アユは静かに「ライさんです」と言った。レンは絶句し項垂れる。
「(え、じゃあ……キサラギは……)」
まさかキサラギはライ兄様を。そう思ったレンは立ち上がり、部屋を出ようとすると「レン」とアユが声を掛ける。
レンは開こうとした障子に手を付けたまま足を止めて、振り向いた。
「止めないと。ライ兄様が」
「なりません」
「何故! だって、ライ兄様は!」
「ええ。彼は私達の家族。だからこそです」
冷茶をちゃぶ台の上に置いてその場に立つ。紅い目は静かにレンを見つめた。
「信じなさい。ライさんを。彼を」
「……は、い」
渋々頷くが、それでも心配なのは変わらない。
障子から手を離し、アユのそばに戻ると落ち込むレンを見て、アユは「大丈夫ですよ」と言う。
そんな兄妹のやりとりを見ていたウォレスは無言でこの場から去り、部屋を出ると先程見てきたばかりのキサラギ達を再度見に行った。
「(アユ様はああして言っておられたが……)」
胸騒ぎを覚えつつ、腰に差した刀の柄に触れながら様子を伺う。
すると、違う方向から足音が聞こえ振り向くと、ここにはいないはずの人物に目を見開いた。
「(何でここに……!)」
音を立てないように駆け寄ると、その人物の口を手で塞ぎ、すぐそばにあった空き部屋に連れ込む。
「何なの一体……」
「っ、少し黙ってろ。バレたら厄介な事になる」
「厄介な事って」
赤と紫の瞳が扉の隙間から覗く。
ここからじゃ見えないが、物音がしてキサラギ達のいる部屋の扉が開かれると、その人物は驚く。
「なん、で、ここに……」
「レン様と一緒に居たんだ」
「ああ、そうなんだ」
忘れていた。そうだ。一緒に旅していたんだった。顔を手で覆い、自嘲するように小さくその人物は笑った。
「(いずれは会わないといけないだろうけれど、少なくとも彼は自分を許しはしないだろう。当然だ。あんな事すれば許してほしいなんて言える訳がない)」
難しい表情を浮かべるライオネルにウォレスは眉間の皺を寄せる。
「……アユも彼がいる事知ってるの?」
「ああ」
「そう」
ライオネルは物音たてずに静かに立ち上がると、「あのさ」とウォレスに話しかける。
「俺に何かあったら、その時はアユとレンをよろしくね」
「……はぁ」
ウォレスは思わずため息をついてしまう。何かあったら。なんてそんな事をあの二人が許すと思うだろうか、と。
腕を組んで「面倒事はごめんだ」とウォレスが言うと、それに対してライオネルは瞬きして、小さく笑う。
「アンタらしいね。相変わらず」
「当たり前だろう。それにアユ様とレン様を悲しませるのは許さん」
「……どちらにしても悲しむ事になるとは思うけどなぁ」
「だろうな」
「許さない?」
「……どうだろうな」
ライオネルに背を向けると、ウォレスはもう一度キサラギ達の様子を窺う。
どうやらまだ戻ってきていないようだ。
「お前はしばらくここにいろ。見つかるなよ」
「分かった」
廊下の様子を気にしつつ、そっと扉を開くとアユの元に向かう。
暗い部屋に残されたライオネルは隅に座る。
「……大きくなったなぁ」
そう呟いて哀しげに笑いながら、抱えた膝に顔を埋めた。
※※※
視線を感じる。どうやら見張られているらしい。キサラギはその視線が気になって、ため息をつくとマコトを呼ぶ。
「どうした?」
「いや、そろそろ、夕食の時間だよな」
「あー……」
大きな窓を見れば、空は完全に暗くなっていた。
カイルは船旅で疲れてしまったのか、壁際に寄りかかって眠っている。
「にしても良かったのか? こんないい宿に」
「あいつらがいいって言ったんだ。気にするな」
落ち着かなさそうなマコトに対してキサラギはそう返した。
もしかして、ライオネルと何かあった事を知っているのではないか。そう勘繰ってしまう。
「(もしそうだとしたら……まあ、警戒するのもおかしくねえか)」
過去がどうであれ、信頼の厚い魔術師の命を奪おうとしている輩がいるのだ。警戒しないはずがない。
すると、はっきりとあの『懐かしい』気配がして、キサラギは短刀の柄を握ると扉を見る。
マコトが「どうした?」と声をかけるが、気配がなくなり柄から手を離す。
「……っ」
だめだ。敏感になり過ぎている。
キサラギはきっと気のせいだと自分に言い聞かせながら息を大きく吐いた後、「湯浴みしてくる」と言うと、マコトも「ついて行く」と言った。
それを聞いたキサラギがギョッとする。
「ついて行くって……」
「ん? 女性と男性で別れてるから大丈夫だろ?」
「ああ、下層はそうなのか」
確かに脱衣所は男女別ではあるが浴室自体は一緒だ。
その事を伝えるとマコトは顔を真っ赤にして「そ、そうなのか」と慌てる。
「別に、気にしなければ来ていいが」
「……いや、これがこの世界の常識ならば!」
「無理するな。それにこの部屋の風呂もあるだろ」
「だ、大丈夫だから!」
「(全く大丈夫じゃなさそうなんだが)」
騒ぐ二人にカイルは欠伸をしながら目を覚ますと、寝ぼけながら「お風呂ですか? いってらっしゃい」と手を振る。
「ほ、ほら、行こうか!」
「はぁ……」
そんな無理をしなくてもいいのにとキサラギは思いつつ、小さく「まさかそういう趣味か?」と言うと、マコトは怒って「違う!」と言って、キサラギの背を押しながら一緒に部屋を出た。
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