ダネル・モア

hanetori.

第1話

 それは20年以上前、エルセーは当時、クリエスから東へやや離れた場所に自宅を構えていた。


 『魔女』と忌み名で呼ばれ、追いたてられる種族となった彼女は、その長い寿命を隠すために20〜30年毎に遠く居を移すか、しばらく人目を避けて隠棲した後に近くの町に移るという生活をずっと繰り返してきている。


 そして行ったり来たりを繰り返しながら徐々に西へにしへ…同族であり愛弟子であるウレイアと適度な距離を保ちながら、ハルムスタッドの目前まで流れてきた。


 人との交流はひどく限定的だが、生まれついてのものぐさもあって、面倒くさいと思うことは適当に人を操ってまるで主人であるかのように…いやいや、丁寧にお願いをして人を召使いのように…いやいや、親切な人の好意に甘えながら細々と暮らしていた。


 まあ、あくまで本人の思うところでだが…


 そして今日は、そんなつましい生活をおくっているエルセーの前に、所狭しと派手な洋服が並んでいた。


「さすがにオリビエ様は何事にもお目が高いですからねっ。なので今回お持ちしたご衣装はオリビエ様のような華美なご淑女でなければ着こなせないものばかりです」


 この男は付き合いのある行商人の1人だが、服のセンスはお世辞にも褒められたものではない。


 値の張りそうなものばかりだが、こんなパーティーで成金貴族が着るような衣装をエルセーが必要としているわけがなかった。


 エルセーは渋い顔をしながらため息をついた。


「あなたねぇ…もう少しセンスを磨いて、は…無理でしょうから、客である私の趣味を覚えなさいな」


「いえいえっ、どれもオリビエ様に相応しいものばかりっ。なんでしたら取り敢えず置いていきますから、お試しください。お代はいつでも…」


 艶麗なエルセーにすっかり惹かれてのぼせている男は、まるで働き蜂のように貢ぎ物を持ってくる。


「まあ、それであなたの気が済むなら好きにしなさいな…。それで?頼んでおいた物は全部でお幾ら?」


「いえいえ、そちらのお代もいつでも…」


 エルセーが軽く睨みつけると、男はびくりと萎縮した。


「払うに決まっているでしょう!あなたも商売人ならばしっかりしなさいっ」


 結局、貢ぎ物と比べれば頼んでいた物など大した金額にはならないのだが、その線をはっきりと引いておくあたりも、エルセーの思惑通りなのだ。


 そして、エルセーは召使いの労をねぎらうかのように微笑む。


「まあでも、いつも気にかけてくれて…感謝していますよ」


 たったそれだけで、商人は商売ができた上にエルセーの嬌笑を得ることができ、満足な顔で帰って行った。


 男が置いていった服を前にエルセーは呟いた。


「はあ、まったく…まあ、この服は他の行商人に引き取ってもらいましょう」





 クリエスはモーブレイ王国とハルムスタッド王国の北の国境に位置し、ハルムスタッドが大地に線を引くまではクルグスとは姉妹と言える町だった。


 そして大きな街と比べれば警備も薄いこの手の町の外には、大概乞食や孤児がひっそりと暮らしている。


 孤児も乞食とひとくくりにされて、いわゆる物乞いをして命をつないでいるが、『物乞い』も一つの職業として認められており、実際はどうであれ、その人権が否定されるものではない。


 それ程に世界は脆くて不安定な時代で、いつでも誰であっても今夜からは空を仰いで眠る、そんなことが起こりうる現実が背景にはあった。


 しかしそんな境遇に歯ぎしりをしながら抗おうとする者もいる。僅かばかりの金で生きる糧を買い、悔しさを噛み締めながら寝床に戻る少年がいた。


「くそっ、俺みたいなガキが少し人足で働いたって幾らも稼げない…」


 拾い集めた木材を寄せ集めてかろうじて形を成している小さな小屋。裕福な屋敷の飼い犬の方が余程ましな寝床を与えられているに違いない。


 しかも彼は一人暮らしでは無かった。


「ただいま…」


「あ、おかえりなさい…」

「おかえりルーにいっ」


 少年はルース、当時は珍しくも無い戦争孤児で、母を早くに失い、9歳の時には兵士であった父を戦争で失った。


 他に頼る身内も無く、ひとりで生きるだけでも精一杯だろうに彼は、同じような幼い孤児に寝る場所を与え、その命をつないでいた。


 ひとりは7歳のホリー、ひとりは12歳のダネル、ルース自身は14歳になっていた。


「ほら、パンと…干し肉は少しだけど、メシにするぞ」


「ありがとうー、お兄ちゃん…」


 ホリーが嬉しそうに両手を広げた。


 ダネルは最近自分の境遇を恨むようになったが、ルースに対する深い感謝は日増しに強くなっていた。


「ルーにい、明日はオレも働きに行くよ。ホリーもひとりで留守番できる歳だし…」


 力仕事はできなくても物乞いはできる、そうすればルースを助け、皆んなでもう少し良いものが食べられるかもしれない。


 ルースはそんなダネルの申し出に考える。


「なあダネル…オレはやっぱり兵士になるよ。そうすればオレ自身は食うに困らないし、少しは給金も出るから……基礎訓練が終わったら3人で暮らせるかもしれないしな……」


 ルースの歳になれば確かに兵隊に志願できる。しかし僅か半年の基礎訓練で戦場に送られ、すぐに戦死するものも少なくなかった。


「ダネル、明日からは一緒に町に行こう。お前の歳なら日銭を稼げるから……オレが仕事を貰ってた人を紹介しておくよ。まあ…ホリーをひとりで留守番させるのは心配だけど…」


 するとパンを少しずつ噛みながらホリーが言った。


「大丈夫だよっお兄ちゃん!誰か来たらすぐに逃げていつもの場所に隠れるから」


「そうか?それじゃあ暫くは2人で稼いで少しでも金を貯めてからモーブレイに行くよ。ダネルもそれでいいな?」


 本当はルースとずっと一緒にいたい。ダネルはそんなわがままを飲み込んだ。


 それに、ルースが兵士になれば3人でまともな生活ができるようになるかもしれない、そんな期待とルースの命を天秤にかけてしまったのだ。




 そして4か月後のある日、残せるものを全て置いて、ルースは兵士になるべくモーブレイへ旅立っていった。


 ルースは出がけ、残す2人を抱きしめながら、


「ダネル、しばらくホリーを頼んだぞ!お前ならやれるだろ?オレができてたんだからな。ホリー、ダネルの言うことを聞くんだぞっ?なるべく早く迎えに来るからな……」


「いつ…?来月くらい?」


 ホリーが不安で顔をいっぱいにして訴えた。


「ん……訓練が終わって…配属が決まってからだから…来年の今ごろかな。でも大丈夫だっ、それまでダネルが守ってくれるからな?」


「う、ん…」


 遠ざかるルースを見送りながら、ダネルは抱き寄せたホリーの命の重さを実感していた。

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