4.コンテナ

「とりあえず周辺の戦闘員はすべて制圧した。いまコフォーズが哨戒してる」

 鯨岡がそう言っている間に、ツカサの周囲をヘンリーとマクレアン、そして白蛇が取り囲んだ。護ってくれてるのはわかるが、ツカサは落ち着かない気持ちになる。

 自分を取り囲む輪の向こうから、ゆっくりと鯨岡が近づいてくる。迷彩服姿の彼を見るのは初めてだった。普通なら、サバイバルゲームに興じるおじさんという風貌になりそうなものの、彼にとってはそれが本来の仕事着であることは明らかだった。いつものダークスーツより、はるかに堂に入っている。

 鯨岡とツカサの距離はどんどん縮まり、ついには彼の間合いに入った。鯨岡の片手がぴくりと動くと、ツカサは反射的に目を背けた。つい数時間前に彼に痛烈な平手を喰らったばかりだったからだ。

「あまり俺を困らせるな」

 次の瞬間ツカサが受けたのは痛みではなく、大きな腕に抱きしめられた暖かさだった。鯨岡がツカサをハグするなんて、これが初めてのことだった。鯨岡の身体からは花火をした後のような焦げ臭いにおいがした。それが硝煙の香りだとツカサは知る由もない。

 それだけでなく、鯨岡はツカサの体を離した後におでこに軽いキスをした。

 さすがのツカサも飛び退いて額を手でぬぐう。向こうはぽかんと口を開けていた。

 そう言えば鯨岡はアメリカ人だった。ここに来て突然アメリカンスタイルで抱きしめられても困る。真っ赤になったツカサの顔から汗が噴き出した。

「おい、おまえらはいったいなんなんだよ」

 クサナギだけは冷静だった。当然の質問に白蛇が応える。

「我々は鯨岡さんのチームです。車の中で言いましたよね。このチームで紛争コーディネイターの仕事をしていたんですよ」

「で、おまえらが寄ってたかってツカサに変なことを教えてたってわけか。こいつがこんな性格になったのも、全部おめーらのせいだからな。そのおかげでオレがどんなに苦労したと思ってんだ」

 クサナギの物言いにツカサの汗も引く。いつからこいつはこんな保護者面になったんだ。

「そういえばツカサの前で全員集まるのは初めてだな」

 とマクレアン。みんな顔を見合わせて笑っている。

「考えてみたら隊長に呼ばれて会ったときはだいたい一対一だもんな。それにしてもうまくなったな、ツカサ」

 マクレアンに褒められて、ツカサはえへへ、と照れ笑いした。そしてようやく気づくことができた。

 鯨岡は彼らを使ってツカサを護ろうとしていたのだ。パルクールだのロック・クライミングだのを教えることを口実に、きっと鯨岡が不在の間も自分の元に誰かしらがついているようにしてくれていたに違いない。それはそれでありがたいけど、不器用なやり方だとも思った。なにも説明せず、それぞれが他人だと装ってただなんて。それとも、こういう危ない仕事をしていると知られたくなかったのだろうか。

「そこのツルッパゲはツカサになにを教えてたんだ?」

 クサナギが不信感丸出しの口調で訊いた。白蛇はとぼけた顔で人差し指を頬に当てた。

「私はツカサちゃんに女性としてのたしなみを主に伝授しました。おっぱいを大きくするストレッチとか、欲求不満時のナニとか」

「そんなの知るか!! あんたはひたすらセクハラしてただけでしょ!」

 さすがにツカサもツバを飛ばす。

「なるほどな……。昨晩オレに対して行った非道な性的虐待はキサマの入れ知恵だったわけだ」

 かなりマジな口調でクサナギが呟く。しっかりと周囲に聞こえる音量で。いちばんショックを受けていたのは鯨岡だった。ツカサは顔から火を噴いて弁明した。

「ち、ちがう! 遊んでただけ。断じて違うからね! こ、こんなヤツの言うこと信じちゃダメ!!」

 真剣に言えば言うほどなぜか真実味が増す。ツカサはあまりの顔の熱さに耐えかね手で扇いだ。その様子を見て自然と誰かが吹き出し、笑いの輪が広がった。死ぬほど恥ずかしかったけど、さわやかな空気がツカサの鼻腔を満たしていた。こんな気持ち、久しぶり……というより初めてだったかもしれない。

 〝家族〟が自分にいたのだと、生まれて初めて実感した瞬間だった。父親も母親もきょうだいもいない自分の元に、ぶっ飛んだおっさんが五人とむかつくインラインスケートが一足。このコミュニティをどうして〝家族〟と呼べないだろう。

 戸籍も国籍もない宙ぶらりんの自分にお似合いの、血のつながらない父親たち。ひとりはオカマだけど、そんなイレギュラーぶりすら愛おしかった。自分は確かにメイド・イン・ジャパンの製品じゃなかったけれど、こんなにユニークな職人たちが作ってくれた、手作りの一品だったのかもしれない――。

 そしてすぐさま、現実という名の風がツカサの頬を打った。

「そうだ糸居くん……糸居くんがここにいるんだ」

 そのつぶやきを聴いた鯨岡が、コンテナの方を見る。

「さっきテロリストのリーダーを吐かせてきた。奴らの中でロケットの発射を管理できるのは糸居紘太だけだ。そしておそらく、カウントダウンは始まっている」

 チームはツカサを取り囲みながらコンテナの前に移動した。

 ツカサは白蛇たちをかき分け、銀色の波打つ壁に手を当てた。冷たい感触。背筋の産毛が起きあがる。

「クサナギ、わかる?」

『ああ、待ってろ』

「なにしてるんだ?」

 鯨岡の声に、ツカサは「しっ」と人差し指を立てた。

「よし、もういいぜ。中にある反応はひとつ。小柄な人間だ。武器を持ってるかどうかはわからねーが、やけに息が荒い。アブなそうな気配がプンプンするな」

「そんなことがわかるのか……」

 ヘンリーが素直に感心していた。骨伝導による簡易ソナーの結果だ。ツカサは意を決して鯨岡に言った。

「あたしが話しをしたい。ここまで来たのはあたしの仕事だから。最後までやらせて」

 鯨岡は長い沈黙のあと、親指で鼻を掻いた。困ったときにする彼のクセだった。

「わかった。だが俺も行く。この中にいるのは学生でもおまえの同級生でもなくテロリストだ。なにかあれば、おまえを護るためには残酷なこともする。それでもいいな」

 ツカサは唾を飲み込みながら頷いた。するとクサナギが紐の先端でツカサの足を突いた。

『オレが前に言ったこと、忘れてねーな』

 いつになく静かな口調。

『ここでなにを見たとしても、おまえは壊れるんじゃねーぞ』

「……」

 ツカサは無言でうつむいた。

 それはクサナギだけが知っていることなのだろう。彼はこの期に及んで自分に隠し事をしていたのだ。しかしそれが彼なりの〝優しさ〟だと気づくのに、時間はかからなかった。

「行くぞ」

 鯨岡のハンドサインで三人の兵士たちが一斉に銃を構える。そして片腕でツカサをガードしながら、鯨岡がコンテナの扉にかけられたかんぬきを引いた。

 ついにツカサは、糸居紘太との対面を果たした。

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