2.ケーキ
「クサナギさぁ、なんで急にいなくなったりしたの?」
名古屋市街に入った頃、ツカサはなんとなく彼に訊いた。ネカフェでのクサナギの失踪は少なからずツカサにとってショックだった。しかもあの書き置き……もう二度と会えないかも、という恐怖はまだ胸にくすぶっている。
『決まってんだろ。あんなセクハラするやつと一緒にいられるかよ』
ツカサは一瞬どきりとしたが、別にそのあと何事もなく作戦会議をしていたので、おかしな言い分だとは思った。
「本気で言ってんの、それ」
『っせーな。だったら言うけどよ、今回の相手がマジでやばいんだよ。テロリストなんかとやり合うにはおまえは邪魔だと思ったんだよ』
「……確かにそれはそうだけど……ってどういうこと? あんたテロリストと対決するつもりだったの? 靴だけの身で?」
名古屋市内は信号も多く、車の運転も乱暴なのでツカサは〈リニミュー〉ではなく自分の足で進んでいた。それでもインラインスケートは邪魔らしく、気の短い名古屋のドライバーから何度もクラクションを鳴らされていた。
ツカサは一旦歩道に入り、歩く程度のスピードでのろのろ進んだ。
『戦うわけねーだろ。ただAIとしての興味はある。ニンゲンが何を考えて同族を攻撃しようとするのか。そんな暴力的な手段で、本気で世界が変えられると思っているのか。そこに潜む本音みたいなものが見てみたいのさ』
「……本音……か。たぶんあたしもそれが知りたいんだと思う。糸居くんがやりたいのがテロだなんて、未だに信じられないもん。糸居くんが何を考えてて、何を訴えたいのか。それはテロじゃなくてもいいような気がするし……」
『まぁ、利用されてると見た方がこっちも気が楽だよな。それで糸居紘太に会って、おまえはどうするんだ?』
その質問には、ツカサはしばらく口ごもった。
「どうするって……たぶんその場で言いたいことを言って……どんなにお母さんが心配してるか伝えて、それで帰ってきてもらうよ。ぶん殴ってでも連れて帰る」
するとクサナギは呆れた様子で言った。
『ぶん殴ったらあの鯨岡ってヤツと一緒じゃねーかよ! でもまぁ、それくらいしないとダメなのかもな。うまくテロリストの目を出し抜いて、サクッと拉致っちまうのが手っ取り早くていいよな』
かなり物騒な作戦だが、ツカサもそうするしかないとは感じていた。うまくいきそうな方法など何も思い浮かばない。ただ現場に着いて、彼を前にして、思いつくままに行動することしか考えていない。そんな無謀も、クサナギが一緒なら可能な気がした。なんだかんだ言ってこいつの頭脳は頼りになる。
「クサナギ、あんた糸居くんのPC覗いてなにかわかったんでしょ? あたしにも詳しく教えてよ」
『ん、ああ、そのうちな……。だけどこれだけは言っとくぜ。これから向かう先でなにを目にすることになっても、おまえはぶっ壊れるんじゃねーぞ』
「え……壊れる?」
そんなに衝撃的な事実を知っているのかと、ツカサは少し身構えた。
『ま、パニクるなってことだ。おまえがダメになったら、オレも連鎖的にお陀仏だからな』
結局は自分のことが心配なだけか。ツカサは気を取り直して車道に戻り、道路を軽快に滑走していった。
まるで自動車の戦場のようだった名古屋市中心部を抜け、ツカサたちは田舎の田園風景が拡がる郊外を走行していた。さすがに脚を使うと疲れてしまうので、適度に休息を挟みながら〈リニミュー〉で一気に進む。
ちなみに、大型車につかまって一気に初速を稼ぐ例の方法は、クサナギが〈サイドガード・カタパルト〉という、やたらかっこいい名前をつけていた。ただしツカサは覚えきれなかったので、勝手に〈ダンプ掴み〉という技名をつけた。
その〈ダンプ掴み〉を要所要所で使いつつ、二本並んだ巨大な河川を渡りきると、三重県を示す看板が道路脇を流れていった。しかし目的地はまだかなり先である。
『あいつらは名古屋港で〈ケーキ屋〉っていう密売人と接触するつもりだったらしい。というかもう接触したんだろうな。計画通りならそこでやばいものを手に入れた』
「ケーキ屋」
小麦粉でも買ったのかと思ったが、まさかそんなことはないだろう。
『絶対知らないと思うから説明しとくとだな、世の中には〝イエローケーキ〟って言われてるモノがあるんだよ』
「でもそれチーズケーキじゃないんでしょ」
クサナギは鼻で笑う。鼻がないのによくそんな芸当ができるものだとツカサは感心した。
『イエローケーキっていうのは精製ウランのことだ。そこから転じて〝ケーキ〟が放射性物質全般を示す隠語として使われてる。連中がそいつから買ったのはプルトニウムだ。本当にバカとしか言いようがねぇ』
「ああ、それね」
『さすがにプルトニウムは知ってるな』
「中学のときさ、化学の先生が『〝なんとかニウム〟は全部毒物だから気をつけなさい』って言ってた。たぶんすんごい毒なんでしょ、それ」
クサナギはシューレースをぼんやりとツカサに向けた。もうそれだけでバカにしているとわかる。
『……確かに、なんとかニウムは鉱物系だから人間にとっちゃ毒だわな。簡単に言えばプルトニウムは史上最強の猛毒だ。臨界量が集まれば近づいただけで死ぬ。で、そいつを使ってテロをしようってんだけど、おまえならどうする?』
問われてツカサは戸惑った。頭を使いすぎて転倒しないよう、走行にも気を配る。
「毒だから……ごはんに混ぜるとか? ああっ! 郵便で送りまくる。総理大臣とかに!」
『ああ、おまえがテロリストだったら警察も楽だよ。近づいただけで死ぬんだから、まず郵便局員が全滅してそこで終了だろ。それでもじゅうぶんテロだけどな。とにかくだ、そんな扱いにくいブツの使い道はすげぇ限られるんだよ。だから世界でもほとんど使われない』
「ふんふん、それで?」
『ここで糸居紘太が登場する。あいつは〈ハーミット〉を名乗るハッカーとしてネットじゃそこそこ名の知れた存在だったらしい。そのネクラ引きこもり少年に、テロリストたちはテストと称してある計算をやらせたんだ。ネットを介してな。その結果に満足したんだろう、仲間として引き入れ、本格的にプログラミングをやらせることにした』
「わかった。その〝計算〟ってヤツがミソなんだね」
『そーゆーこと。それはなんと、ある程度の質量物質を打ち上げた際の弾道計算だった。コンピューターがあれば誰しもが可能な計算ではあるが、たぶんそういったことをやれるメンバーが仲間にいなかったんだろう』
ツカサはさっきから首を傾げたままだった。
「悪いんだけど、中卒にもわかる言葉でお願いします……」
クサナギは「はいはい」と気のない返事をして続けた。
『要するにロケットの軌道計算だ。テロリストの目的は、ロケットにプルトニウムを詰め込み、弾道飛行――ぶっちゃければミサイルにして都市部にぶち込む、っていうとんでもない計画なんだよ。もうビビって声も出せないだろ』
「……」
さすがのツカサでもそれは簡単にイメージすることができた。要は猛毒の積まれたミサイルが、東京か大阪か、そういった都市に落ちてくるということだ。
「じ、自衛隊に連絡して撃ち落としてもらえば?」
『へー、信じてくれるかなー。なんなら今ここで電話してやろうか?』
なんとなく結果がわかってツカサは項垂れた。
「……やっぱ、いい」
『だが問題はそこじゃない。こいつは〈汚い爆弾〉と呼ばれてる、あらゆる攻撃の中でもダントツで嫌われる最低の手段だ。撃ち落としてもそこに放射性物質がばらまかれ、周囲一帯はチェルノブイリのような有様になる。海に落とせば漁場が全滅だ。向こう一万年くらいな』
「い、一万年……?」
ツカサはプルトニウムの危険性について、正直あまり聞いたことがなくてわからなかった。しかし、あの賢い紘太なら間違いなく知っているはずだ。それなのにどうして――という気持ちが当然湧いてくる。いったいなにが彼をそんな計画に参加させるだけのきっかけになったのだろう。
「それで、そのロケットのある場所が――」
『そうだ。これから向かう場所――紀伊半島の先っちょにある小さな離島だ。ロケットといえば種子島なんだけどな、ブツの引き渡し場所からあまりにも遠くて不自然だ。んで調べてみたら、和歌山の串本町になんと、民間初のロケット発射場があって、そこにはもうロケットが完成した状態で置いてあるんだよ。それをぶんどって、〝ケーキ〟積んで、弾道計算して送り出せばそれで終了だ。つまりそこが――』
「最終目的地!」
ツカサは息を呑み、姿勢をぐんと低くした。追い越された車のドライバーが呆然と口を開ける中、彼女は国道四二号線をトップスピードで駆け抜けていった。
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