5.GPS

 御殿場の道の駅で白蛇は車を停めた。夜を徹してツカサを追う予定だったのだが、研究所の八代井スーザから急な連絡を受けたためである。

「で、先生はなんだって?」

 眉間を押さえながら鯨岡が訊く。

「八代井主任が――というよりは、私の方でも異変は察知していました。ツカサちゃんが持ってるスマホのGPS信号が突然途絶えてしまって」

「また電池が切れたのか」

 白蛇は首を横に振った。

「とも考えたのですが、先ほど主任から電話があって真相がわかりました。GPSを切断したのは八代井主任自身のようです。というのも、どうやら我々は欺瞞ぎまん情報をつかまされていたようですね」

 鯨岡は先ほど買ってきたコーヒーのカップを白蛇に渡した。

「GPS信号はやはり偽物だったか……。例のコンピューターが素直に後を追わせるはずはないからな」

「それで主任はダミーを上書きされる前の信号をなんとか特定したとかで、それを我々に送ってくれるそうです。……あ、きた」

 白蛇は地図アプリを表示させたスーザのスマホを鯨岡に見せた。

「どうやらここに〝停泊〟しているようですね。もう数時間動いてないということです」

「名古屋――だと?」

 鯨岡の眉間のシワが、指でつまんだ形そのままに深まっていた。

「名古屋――ですね。同市北部の大曽根という町です」

「……どう思う」

「偶然の一致と言うほど私は楽観的ではありませんので」

 鯨岡は脳内で情報を整理していた。

 情報にはジグソーパズルのように組み合わせるべき突起がある。その突起は実にたやすく知識のくぼみに入りたがり、勝手に形を――それも見覚えのある形状を作り上げてしまう。それを慎重に見極めて正しく使えるものに磨き上げるのは骨の折れる仕事だった。

 鯨岡はいったん、情報の詰まった箱からツカサという大きなピースを取り外した。

「コフォーズからの連絡は?」

「少々お待ちください……。あ、動画ファイルがアップロードされています」

 白蛇は運転席のシートを倒し、大きく振り返るようにして自身のスマホを鯨岡の方へ向けた。そのままの姿勢で再生ボタンを操作する。彼は身体が柔らかいので苦になるような姿勢ではない。

「〈ケーキ屋〉の取引現場を押さえた映像です。望遠でしかも暗視ですから見やすいとは言えませんが――」

 しかも音声は拾えていなかった。今はまだ対象を泳がせている段階なので仕方がない。

 三脚によって固定されたカメラの映像にはブレがなく、言うほど見づらいものではなかった。そこには、港湾の倉庫街でいかにも怪しげな物品の交換会が開かれている様子が克明に映っている。

〝チーム〟の監視員であるコフォーズに命じて見張らせていた場所はそう――名古屋港だった。

 鯨岡はその動画を一通り見終えると、リピート再生に設定させてスマホを受け取り、隅々まで検分した。

「こいつらの実像は絞れてきたな。情報部のプロファイリングにかなり近い。この雑多な人員構成、手際の悪さはチームのものだ。しかし金の動きは少額かつ極めて慎重で追い難い」

「とすると……」

 白蛇がコーヒーをすすりながら目配せした。鯨岡も眼の動きで応える。

首謀ボスは〈コストカッター〉だろう」

 白蛇はコーヒーを飲み干した。

「〝現地調達屋〟ですか。〝現場〟で得物や専門家を適宜そろえ実行に移す……。ならそこに映っている少年も日本ここでスカウトされた可能性が高いですね」

「少年だと?」

 鯨岡の顔がいままでになく曇った。

「奴らの足であるコンテナ車――その角から右方向へ、たぶんトイレかなにかだと思うんですけどね、速足で歩いていく影があるんですよ。えっとほら、四分二〇秒付近です」

 鯨岡は茶褐色の瞳を可能な限り画面に近づけて、白黒の映像を凝視した。

「少年――に見えるのかおまえには?」

「わたしの眼は、それが少年かどうかにはうるさいですよ」

 そういって白蛇はスキンヘッドを輝かせてくすくすと笑った。時折見せる彼の変態性には、さすがの鯨岡も閉口することがある。

「身体を作りこんだ実行部隊に紛れて、こんな痩せガキがいるのは確かに不自然だな。しかも東洋人だ」

「メガネをかけています。頭脳担当インテリですね」

「確かに子供に見えるな……ツカサと同じくらいの――」

 言いかけて鯨岡は思わず白蛇の顔を見た。

「おいまさか……」

「この子が誰なのか、知りたくありませんか鯨岡さん?」

「こいつが、例の糸居紘太だと!?」

「そして〈クサナギ〉というAIがエシュロンを使ってまで検索した〈ハーミット〉だとしたら……」

 白蛇が勝手にジグソーパズルを作っていることを危険視しつつも、すでに鯨岡の中にも同じ形ができあがろうとしていた。タチが悪いことにこの情報パズルはふとしたきっかけで他人に伝染する。

「〈コストカッター〉と思われる男が直近で金を動かしたのは松本です。ツカサちゃんが向かっていた方角と同じ。そして中央道では、インラインスケートをはいた少女がコンテナ車を追うようにインターを降りた姿が目撃されていました。ツカサちゃんはその先の蓼科たてしなでスマホを失った。なんらかのトラブルに巻き込まれて……」

 鯨岡は眼を伏せて呟いた。

「続けろ」

「松本から名古屋までは車で三時間ちょっと。ツカサちゃんが追っていたコンテナ車と取引現場のものが同一の車だとして時間的な矛盾はなく、そのルートは奇しくも大曽根の近くを通ります」

「ここまでくると否定する方が無理があるか……。きわめて不愉快だが……」

 白蛇は肩をすくめた。

「確かめる方法はあります。糸居紘太の情報はすでにそろえてありますから、顔写真とこの映像をセットで八代井主任に送りましょう」

「は、先生にか?」

「画像解析を依頼するんです。あそこにはそういった設備もあったはずですから――」

「……なるほど。彼女もツカサを行かせたことにはかなり反省してたからな、断れまい」

 冷静にそう言いながら、鯨岡の顔には焦りの感情を含んだ汗が浮かんでいた。

 もはや情報の整理など不要だった。なによりも早くツカサを捕まえることが安全と安心につながるのは間違いない。

「白蛇、名古屋に向かうぞ。三〇分の仮眠をとれ。それから出発する」

「いえ……すぐに出られますよ」

「無理はするな。命令だ」

 白蛇は手に持ったカップを鯨岡に差し出した。

「コーヒーを飲んでしまいまして。いますぐに仮眠はちょっと」

 鯨岡は呆れた表情でため息をついた。

「すまんな」

「飛ばせば未明に間に合います。向こうで軽く眠るとしましょう」

 そう言うが早いか、白蛇はアウディのエンジンをかけた。

 鯨岡は沈み込むように後部座席の背もたれに体重を預け、ぐっと首を反らせてルーフを仰いだ。たが、やはり白蛇と同じように眠ることはできそうになかった。

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