第3話 守られ、愛されていたミーシャ
ヒトラスがデスアームに仕掛けた、ドミノ連鎖爆破回路。ミーシャによる解明図の正確度は科捜部の技官は言うに及ばず、カプラン62f在住の研究者たちも太鼓判を押すもので、あとはマイクロプラスチック爆弾の除去作業が残った。
エアーダクトや電子機器配線パイプ、結構こまかい部分に取り付けられた爆弾がかなりの数に上り、これらの除去が特に厄介であった。
「細身のミーシャを使うのがベストで、これで除去確率はほぼ100%に跳ね上がるな。ヤーポンの女忍者にはここまでは期待できないが、さすが、バルカニアの天才女性医師だ。どこまで我らの役に立ってくれることか」
ミーシャの存在価値を改めて認識し、長老エドワードは自信をもって、皇帝ジョンとの交渉に臨んだ。ミーシャに対する幼児期からのマインドコントロールは完璧で、彼女がエドワードの命令というか依頼を断ることは考えられなかった。
「何だと! エドワード。ミーシャをそんな危険業務に就かせるというのか! ミーシャに露ほどの危険が及ぶ可能性があるなら、この話はなしだ。そろそろミーシャを解放しないか。幼児期から君に操られて、十分すぎるほど働いたじゃないか。もう終わりにしてくれ!」
ミーシャが現場作業に就くと聞くと、ジョンの穏やかな口調が豹変し、長老を呼び捨てにするとともに、ならず者相手の見下げるような口ぶりに変ってしまった。
「ジョン、無礼ではないか! バルカニアの長老たる方に向かって、その口の利き方は何だ! 一体お前は、何様のつもりだ!」
呆然と声も出ないエドワードに代わって、ハロルドが画面に割り込み、顔を朱に染めてジョンを怒鳴りつける。
「黙れ! ハロルド! お前こそ無礼ではないか! チンピラの出る幕ではないぞ! 引っ込んでろ!」
ジョンも負けじと大声で怒鳴り返した。いつも冷静沈着な皇帝ジョンがここまで激高するのは珍しく、老人二人の言動が彼の我慢の限界を越させてしまったのだ。
「ちょっと待ちたまえ、ジョン。何をそんなに怒ることがあるんだ。帝国軍にとって、これほど喜ばしい提案はないのじゃないか。ほぼ完ぺきに、ロネがデスアームに仕掛けた爆弾を排除でき、旗艦空母を失う不安から逃れられるんだから」
さすがにエドワードは老獪で、交渉相手を落ち着かせ、利益状況を正確に眺めるよう促す。
「まだ分からないのか、エドワード。ミーシャを爆破の危険にさらすくらいなら、デスアームをロネにくれてやってもいいんだ。俺やスティーブの頭の中が見えない老いぼれになったんじゃ、さっさと一線を退くべきだな。これまでミーシャをヤーポンの女忍者くノ一の様に扱いやがって、もう我慢がならん! いずれにしてもエドワード、この話はなしだ!」
皇帝ジョンは荒々しく会談を打ち切ると、ネット画面を閉じてしまい、二度と呼びかけに応じることはなかった。
「エッ! 私の方が旗艦空母デスアームより大事ですって! それにヤーポンの女忍者くノ一って、一体どういうこと!?」
隣室でネット画面を見ていたミーシャは、思わず椅子から立ち上がった。エドワードに呼ばれれば、皇帝ジョンにドミノ回路除去手法を説明すべく、待機していたのだ。
―――俺やスティーブの頭の中って……。
皇帝は、スティーブお兄ちゃんの知り合いなの? エッ! ひょっとして……。
ミーシャは古い記憶を必死に呼び覚まそうとするが、あまりに遠く微かで、しかしわき上がる懐かしく耳を打つ声の響きなのだ。彼女は目をつぶって記憶の糸を手繰っていたが、椅子に腰を下ろすと両手で頭を抱えてしまった。
いきなり帝国軍皇帝から、旗艦空母デスアームより価値があると名指しされたミーシャは驚愕の表情を浮かべたが、これは無理からぬことであった。ジョンとはこれまで直接話した記憶はなく、ボンド所属の同盟軍と敵対する帝国軍のトップ、この程度の認識しかもっていなかったのだ。ウェインによるジョンの脳腫瘍摘出手術の折も、後に述べるウェインとジョンによる特別の配慮により、彼女は立ち会っていなかった。
では、帝国軍皇帝ジョンにとってのミーシャの認識はどのようなものであろうか。ALSを患う親友スティーブの妹であり、彼女が三才まではバルカニア号船内で、ジョンは我が妹のようにミーシャを可愛がってきた。それこそ目の中に入れても痛くない存在であったのだ。
この様に、帝国軍皇帝ジョンとミーシャ、それにバルカニアの長老エドワードとの今後の確執を知る上では、ジョンの親友でありミーシャの兄であるスティーブの存在は不可欠で、彼とのかかわり抜きに三人の物語は始まらなかった。
物語の端緒―――恐らく、エドワードとの交渉を一方的に打ち切った直後の、ジョンとスティーブとの会話が、複雑に織りなされた人間模様の、そのほころびと共に全容解明にも役立ってくれるであろう。
「スティーブ、とうとうやってしまったよ。君やウェインの計画通り、ゆっくりとミーシャのマインドコントロールを解除する手法に賛成していたのに、もうとても我慢できなかった。本当に申し訳ない」
ジョンは皇帝専用中型高速艇WILL(決意)へ戻ると、コックピット後方にある先進医療ルームのドアを開けた。5m平方の中央には、数え切れないチューブに繋がれたスティーブが、点滅するデジタル機器に囲まれベッドに横たわっていた。デスアームの治療室からこちらへ移したのは、ドミノ爆弾による爆破危機からスティーブを守るためである。
スティーブはALSの最終進行段階にあり、意思伝達はアイトラッキングによる重度障がい者用意思伝達装置を使っている。会話が必要なときはコンピュータープログラムによる合成音声で行うが、アイトラッキングによる意思伝達の方が体への負担が小さいようで、ジョンとの意思伝達はもっぱらこれを用いている。
「いいんだ、ジョン。でも君がそんなに腹を立てるなんて、余程のことがあったんだね。一体、ミーシャに何が起こったか、話してくれないか。僕の病状を考えてだろうけど、ウエイン先生もミーシャについてはほとんど話してくれないんだ。お願いだよ、ジョン。妹のミーシャに何が起こっているんだ」
モニター画面とジョンに交互に視線を送りながら、スティーブの表情は悲しみに沈む。最愛の妹に救いの手を差しのべられず、そんな自分がもどかしく堪らないのだ。
「うん。ミーシャを一日も早く、長老エドワードの呪縛から解放してやらないと、彼女の身に危険が迫るんだよ。さっきも複雑な迷路に仕掛けられた爆弾の処理、これをミーシャにやらせる案をエドワードが提示してきたんだ。危険極まりない作業内容に、さすがにカッとなって、エドワードを怒鳴りつけてしまったよ」
老い先短いエドワードにとって、ミーシャは野望実現の単なる持ち駒。ミーシャをそのように位置付けて、エドワードはこれからも危険作業に就かせるだろう。目的のためなら、ミーシャの命なんか、ボロ布のように捨て去る―――エドワードの言動で、そのことがよく分かった。が、この阻止のためにはジョンは悠長に構えてはいられず、先手を取る必要を痛感したのだ。
「ミーシャに対するエドワードのコントロールの根は深いから、ウェイン先生の言うように、時間をかけてミーシャの状況を改善していくのがベストだと考えていたけど、確かに、そんな悠長なことは言ってられないみたいだね。でもジョン、他にも何かジョンを怒らせる出来事があったんじゃないの?」
さすがにスティーブは勘が鋭く、ジョンは胸中の懸念を言い当てられてしまった。
「この際、君には話しておいた方がいいだろう」
ジョンはほん三日前の、ウエインからの調査依頼をスティーブに伝えることにした。調査結果が昨日出たことも、エドワードを怒鳴りつけた理由だったのだ。
「ウェインにDNA鑑定を頼まれたんだよ。ミーシャが極秘に保管していた試料が気になっていたらしく、彼女に内緒で一部を取り出し帝国軍の科技研(科学技術研究所)へ送ってきたんだ。バルカニアの医療機関とは比較にならないデータを科技研は持っているからね」
「極秘に保管していた資料って、何だったの?」
「スペルマ(精液)だったよ」
「エッ! いったい誰の?」
スティーブは動きの乏しい顔に、信じられないという表情を浮かべた。
「ボンドのだったよ」
昨日、結果を伝えたときのウェインの表情もネット画面上で凍ってしまった。直接の性交渉で手に入れたものでないことはウェインにはすぐ分かった。保管時期との絡みで考えると、ボンドと千加子のLMRの際に、ごく細カテーテルを使って採取したのであろう。問題は使用目的である。この点、ウェインとジョンの意見は完全一致を見た。
―――ミーシャにボンドの子を産ませる。
これ以外に考えられなかった。
「くそっ! どこまで汚いんだ!」
ウェインの言葉以上のものを、ジョンも口から出せなかった。ミーシャを天才製造器として使おうという腹なのだ。
長老エドワードのマインドコントロールは徹底した卑劣極まりないもので、三歳の時から、ミーシャはベッドへ就く前の三十分間、Webカメラと連動するヘッドセットでの母ナタリーとの会話が日課とされていたのだ。思考を司る脳の前頭前野に、強い刺激を与えるよう操作された装置とプログラムで、ミーシャは脳の深部に徹底的なコントロールを施されていた。
「長老エドワード様には感謝しきれない御恩を受け、スティーブや母さんがこうして生きていられるのは、ひとえに長老エドワード様のおかげなんだから、ミーシャ、お前も感謝して、エドワード様の指示に従い、バルカニアのために一生懸命働いておくれ」
これがミーシャに伝えられる、母からの呪縛だった。医学のみならず心理学にもたけたウェインは、すぐさまこの卑劣極まりないプログラムを無力化するプログラムを組んで、ミーシャの精神の改善に着手したが、大脳深部に幼児期から何度も何度も執拗に上書きされてきたコントロールの消去は容易ではなかった。
結局、催眠療法を併用しての、一枚ずつ上書きされたものを根気よく剝がし正常へ戻す。これがベストと考え、この手法を採用して来たが、過激化するエドワードへの対抗措置として、外科的対処療法も必要と考え始めていた。こんなところへ降って湧いたのが、ボンドのスペルマ事件だった。
「スティーブ。エドワードべったりのナタリーおばさんの目を覚まさせ、こちらサイドに引き込むのが有効であるように思うんだ。バルカニア号に居るおばさんと話してくれないか」
「それは構わないけど、母がそう簡単に長老から離反するだろうか」
「いや、最近分かった事実を伝えれば、おばさんもきっとエドワードに怒りを向けると思うよ」
帝国軍保安部情報局が入手した、エドワードの悪意ある情報操作。本来的には天才としてアビ研の手厚いサポートを受けられ、バルカニアの研究機関で様々な学位を取得していたはずのナタリーが、蔑みと差別による迫害を受ける羽目に陥ったのは、長老の情報操作が原因だったのだ。
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