59 君が文芸部に行くために

 すーっと深呼吸をして、司書室のドアをノックする。今まで何度も入ったけれど、今回は特別の意味を持つ。文芸部に入部する。それは、海崎達以外の人と関わることを意味した。自分が人と関わることに、こんなにも臆病になっていることに気付き、苦笑する。


「どうぞ」

 と弥生先生の声がする。そのまま入ると、弥生先生だけが司書室にいた。


「え?」

「いらっしゃい、上川君」

「あれ? 達は?」

「ちょっとだけね、時間をもらったの。少しだけいいかな? そこに腰をかけて」


 そう言う弥生先生は、いつものおちゃらけた感じが、一切なかった。






「良い友達をもったね」


 そう言って先生は優しく微笑む。いつもの口と口の応酬がなくて――なんか調子が狂った。


「な、何か雰囲気が違いません?」

「ふふ。君は基本的に真面目だし、素顔も本心もなかなか見せてくれないからね。ちょっとぐらい羽目を外してあげないと、本音なかなか出さないでしょ? 私だって、キャラじゃないのに、結構頑張ったんだからね」


 クスリと弥生先生は微笑む。俺は照れ臭くて、視線を逸らした。


「先生は、俺のことやっぱり知っていたんですよね?」

「ご家族のことはね。でも生徒の本音は言ってくれる子じゃないと分からないから、君が抱えていることの一部が知れたのは、良かったかな」


 弥生先生はそう言って微笑む。俺は昨日、感情を吐き出しことを思い出し、体中が熱くなってつい俯いた。理性のたがが外れて、感情が破裂した。雪姫が包み込むように受け止めてくれた。


 思い出すだけで、恥ずかしさが込み上げてくる。

 でも、嬉しかった。みんな、朝会ったらいつもと変わず接してくれたから。


 ――はい、冬君。お弁当。感想また教えてね。午後に会えるの楽しみにしているから。

 ――冬希兄ちゃん、おはよ。相変わらず朝から目に毒だね。

 ――おはよう上川。

 ――上にゃん、おはよう。


 彼らは、昨日以前と何ら、反応に変化はなくて。昨日のことに触れようとすると、みんながみんな、何を当たり前のことを、と苦笑を浮かべていた。


 ――昨日も言ったけど、冬君は冬君だからね。私には、それしか無いから。抑えられないって、気持ちを我慢していた時より、もっと気持ちが大きくなっているけどね。だからね冬君、大好きだよ。


 ――兄ちゃん、ごめん。俺は良くCOLORSカラーズのことよく知らないからさ。やっぱり冬希兄ちゃんは冬希兄ちゃんでしかないんだよね。あ、それど朝から堂々とイチャつくのは、もうちょっと控えて。本当に遠慮なさ過ぎだから。父ちゃん、仕事に支障が出そうなレベルで、半泣きだからね。


 ――まぁ、昨日は僕も恥ずかしかったからね。柄にないと思うけどさ。改めてよろしくね、


 ――二人して名前で呼び合って、なんか良いね。これ絶対ゆっきがヤキモチ妬くヤツだからね。アフターフォローよろしくだよ、上にゃん。


 みんなの反応を思い出した俺は気恥ずかしくなって、思わず頬を搔く。と、弥生先生が微笑ましそうに、俺を見ていた。ただ、その表情には複雑な感情を宿しながら。

 俺は息を小さく吸い込む。


「それで、弥生先生は俺に何か言いたいことあったんじゃないんですか?」

「え……?」


 弥生先生の表情が崩れて、驚きに染まる。


「……上川君、君は時に本当に聡いよね。本当にだい君みたいなことを言うんだから」

「先生が顔に出やすいんですよ。そりゃ旦那さんも、さぞ心配だと思いますよ」


 と苦笑する。

 予想外の言葉だったらしく、弥生先生は目をパチクリさせた。口には出さないし、誤解を生みそうだけど。本当に真面目で可愛らしい先生だと思う。妥協なんかできない人だから。そりゃ旦那さんは心配だろう。そして、案の定抱え込んでいたわけで。

 弥生先生は、覚悟を決めたようにその口を開いた。





■■■



 


「か、上川先輩?!」


 知らない子に、いきなり奇声を上げられて面食らった。三つ編み眼鏡のいかにも、文学少女。リボンタイの色から、一年生だということは分かる。ただでさえ、弥生先生の告白を受け止めきれていないので、冷静さを欠くのが自分でも分かる。

 文芸部の顔合わせは、こうして騒々しく開幕したのだった。


「えっと? 俺のこと知って――」

「もちろんです!」


 食い気味に畳み込まれて困惑する。この子、何でこんなに興奮してるの?


「だって、上川先輩ですよ? 【気まぐれ猫】【無愛想猫】【図書室の王子様】そして最近では【化け猫】の異名を持つ、上川先輩ですよ? なんでいるんですか?」

 歓迎されているのか、非難されているのかよく分からない。何と言われても良いけれど、【図書室の王子様】だけは止めてくれないかな? 分不相応なのは、本人が一番良く分かってる。


芥川あくたがわさん、化け猫って?」


 黄島さんが首を傾げて芥川さんと、俺を見た。いや、俺も知らないからね!


「これ土曜日の話なんですけどね。上川先輩がうちの学校のイキったバカに絡まれたんですよ」

「あぁ……」


 雪姫にカフェオレを淹れたあの日か。未成年なのに酒臭かった彼らを思い出す。


「冬希と下河のカフェオレ記念日だね」


 光はしみじみ納得したように言う。お願いだからサラダ記念日のように言わないでくれない?


「あの人達をですね――なんと上川先輩は一網打尽にしたんです!」


 してないからね。


「それだけではありません。完膚なきまでに叩き潰したあと、上川先輩はバカガキ達にこう言って睨んだのです。ベベン!」


 どこから取り出したのか、扇子で芥川さんは机を叩く。講談師かな?


「『酒臭い息を媛夏ひめかに吹きかけるな。メチャクチャ不愉快だ』」


 ぽかん、と。開いた口が塞がらないとは、こういう時に言うんだな。


「……えっと? 誰、媛夏って?」

「私です!」


 キリッと芥川さんが言う。ドヤと言いた気な表情を浮かべて。


「俺、君と会ったの今日が初めてだよね?」

「イヤン、先輩のいけず。そういう【きまぐれ猫】なところ、本当に私、大好きで――」

「ごめんなさい」


 面倒くさいので、さっさと断りを入れることにした。


「思考ゼロタイム? もう少し考えてくださいよ、先輩。これからお互いのことを知ったら、私に惚れ込んじゃうかもしれないじゃないですかー」

「ごめん。俺、好きな人いるから。冗談でもそれキツイ」

「少しも迷わないのひどいです! そんなことを言わないで先輩、まずはお試しの関係からでも――」


 ドン。と、結構本気で瑛真先輩が、芥川さんに拳骨を振り下ろした。


「い、イタアァッ! ――って部長、いきなり酷いです。何をするんで……すか?」


 芥川さんの声がフェードアウト。俺も思わず瑛真先輩から目を逸らしてしまった。終始明るい瑛真先輩の表情から笑みが消えていた。こういうトコは親子だな、って思う。マスターが結婚記念日を忘れた時、美樹さんも同様の表情を色塗っていたことを思い出した。


「媛夏、ちょっとおふざけが過ぎるかな?」

「え? あ、部長。これは、そのですね……。先輩と親交を深めたかったというか――」


「今日、上川君は文芸部に入部しようと思って来てくれたの。文芸部の仲間として歓迎するのが本来じゃない? 媛夏の今の行動は、文芸部の一員として、なのよね?」

「え、あ、それは……」


「コアメンバーはもとより、サポートメンバーにも同じように接するんだね、媛夏は?」

「え? いや、それは部長、え?」


「平等にお試しでみんなと付き合うんだね? 私にはとてもできないから、媛夏のこと尊敬しちゃうわ」

「……そ、そんなことするワケないじゃないですか!」


 芥川さんの顔色が真っ赤になったり真っ青になったりしながら必死の抵抗を試みる。でも時すでに遅しとはこのことかもしれない。


「どうして?」


 瑛真先輩が笑みを浮かべながら聞く。でもその目はまるで笑ってない。何から何まで美樹さんにそっくりだった。


「尊敬するよ。みんなと平等に親交を深めてくれるんでしょ? 流石に学内広報誌に掲載してあげられないけど、生徒専用SNSに拡散ぐらい、協力するから。任せてね?」

「だ、だって部長! 目の前にCOLORSの真冬がいるんですよ? ちょっと羽目外して興奮するぐらい許してくださいよー!」

「へ?」


 この子なんで知ってるの? と思わず黄島さんを見ると、彼女は知らないと言わんばかりに、首を横にブンブン振っていた。


「ふふ。先輩、何で知ってるのかって、顔をしてますね。でもコレは単純な推理の結果なんですよ。COLORSの総合プロデューサー上川小春の夫は、世界的ヘアスタイリスト上川皐月。彼の実家は【恋する髪切屋】です。これはファンの間でも有名なこと。そして真冬は上川夫妻の実子ではないかという噂はずっと囁かれていました」

「え? う、うん、うん……」


 何でも良いが、この子は見かけに反してグイグイ迫ってくるので、苦手意識が芽生える。思わず、距離を離したくなった。


「そんな中、この学校に現れた上川姓。近隣学区を含めてデータベースを検索しても、上川姓は先輩ばかり。そして上川先輩が【恋する髪切屋】に何度か向かっていることを尾行して確認しました。先輩が真冬である証拠は、上がっています! 犯人はあなたしかいないのです!」


 ビシッと指を俺に向けた瞬間、また瑛真先輩から拳骨を振り下ろされて、芥川さんは悶絶した。

 なに、データベースって? 尾行って? ちょっと、この子怖いんですけど?


「まったく、文芸部のネットワークを私的に活用するなってアレほど言ってるのに」


 と瑛真先輩は怒りが収まらない様子。と言うかネットワーク? え? え?


「芥川さん、もう少し遠慮してくれない? 冬希は何も知らないのに、そうやって近付いて来られるの苦手だから。何よりCOLORSや両親のことは話題に出して欲しくない」


 そう言ってくれたのは光だった。雪姫以外で自分のことを理解してくれる人がいる。それが胸を熱くする。


「海崎先輩は分かっていません。推しの一人が目の前にいるんですよ。これを興奮せずして――」

「ごめん」


 そう俺は遮った。意外にも大きく司書室にこの声が響き、自分でも驚く。光から勇気をもらって、少し感情が落ち着いた気がする。


「もう俺はCOLORSの真冬じゃ無いから。俺は上川冬希として文芸部に参加したいって思って来たんだ。もともと文芸部の部員だった下河雪姫さんと一緒にね。俺は小説は書けないけれど、それ以外でできることは協力したいって思ってる。でも、それ以上のことを求められても、俺は何もできな――」


 パンパンと絶妙のタイミングで手を打ったのは弥生先生だった。


「気持ちは分からなくもないけどね。新入部員、それも憧れの人が入部ってなったら……ね。でも芥川さんはちょっと興奮し過ぎ。上川君、ソコには触れて欲しくないの共有済みなの。だから彼にその話題は触れないで欲しいかな。それと、個人情報の私的活用はNGだからね。芥川さん、次はないよ?」


 弥生先生に静かだけど、これ以上有無を言わさないと、その表情で物語る。流石の芥川さんもしゅんと俯いてしまった。


「でもね、上川君。芥川さんは下河さんの小説のファンになって入部した子なの。下河さんの事情も理解しているから、そこは安心して良いと思うよ。今日はちょっと自制できなくて、悪ふざけが過ぎたみたいだけどね」


 弥生先生の言葉に、芥川さんは申し訳なさそうに頭を下げた。ようやく冷静になってくれたらしい。基本的に自分の好きなことに直球で、ストレートな子なのかもしれない。


「下河先輩の作品は全部読みました。部誌に掲載された短編は本当に好きだし、オンライン小説投稿サイト、下河先輩の“カケヨメのyukkiゆっき@冬君大好き”のアカウントもフォローしてます! 最近連載された【君がいないと呼吸ができない名探偵】も大好きです!」

「え……?」


 えっと?

 見れば、瑛真先輩は天を仰ぎ、黄島さんは頭を抱えていた。

 俺自身、情報量があまりに多すぎて、どう解釈して良いのか分からない。


「とりあえず、一つ一つ説明するとして、ね。上川君――」


 と瑛真先輩がクスリと笑んで言った。でもその前に、と呟く。

 せーの、と。掛け声をかけて。

 弥生先生も、光も、黄島さんも――そして芥川さんもコクンと頷いた。



「「「「「文芸部へようこそ!」」」」」


 みんなの声が息ピッタリ、重なって。心の底から歓迎されているのが、よく分かった。

 でも、と思う。この瞬間、弥生先生のあの言葉が、俺の脳裏にまたされる。

 





■■■





「退学勧告?!」

「だから感情的にならないの。正確には、転校の勧告。通信制高校への、ね。現段階では最終的に出席日数が足りなくなったら、退学処理になるよって話で。今すぐじゃないからね」


「同じことだろ?」


「だから落ち着いて聞いてって。うちの学校で、必要な年間の出席日数が70日。もうすでに下河さんの欠席が11日。このまま不登校が続けば、学校側としては退学勧告を出さざる得ないの。せめて、図書室登校か、保健室登校ができれば猶予を作れると思っていたんだけどね。それもスクルールカウンセラーが、難色を示しているのよ」


「は?」


「下河さんのPTSD――心的外傷後ストレス障害には、しかるべき治療が必要だってカウンセラーが言うの。下河さんのご両親には、学年主任がもう伝えているけど……」


 弥生先生のついた深いため息に引きずりこまれるように、思考が倒錯していく。

 聞いたのは俺だ。


 弥生先生は悪くない。そして弥生先生も悩んでいたのだ。

 それでも、と拳を握りしめる。


 当事者の雪姫を差し置いて、大人達の都合で結論がもう決められていた。

 それがルールだとしても。それがも物差しだとしても。自分の発想が【コドモ】でしかないことも分かっている。それでも納得ができなかった。


 だって、誰も雪姫の気持ちを確認していない。

 でも、と思う。俺にべっとり纏わりついてくるのは無力感で。


(俺には何もできない、だって何もない――)


 両親のネームバリューから抜け出せば、何もできない【子ども】でしかない。それをようやく理解したこの一年間。


 どんなに雪姫に寄り添っても、俺じゃ状況を何一つ変えることができない。

 そんな自分自身に嫌悪を憶えても――今の俺には、唇を噛んでこの感情を抑えることしかできなかった。

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