45 君は子どもの時、甘えたかった


 雪姫が合流してからの、公園清掃は目をみはるものがあった。子どもたちが、張り切って作業に参加し始めたのだ。


 雪姫が何かを指示したとか、そんなことは一切ない。むしろ指示命令系統は、海崎や黄島さん、空君がテキパキとこなしていた。


 ただ、正論なんだけれど、子ども達がそれで動くわけがなかった。周りの大人達は子ども達がふざけるので、


「しっかりやって」

「みんな頑張っているでしょう!」


 とつい荒くなっている。

 でも、雪姫はそんな声を縫って、ふんわりと声をかける。


「手伝ってもらって良い?」


 簡単な作業を一つ。それが終われば、


「ありがとう、すごく助かったよ」


 と満面の笑顔で褒めて。そこから次の要求はせず、俺とまた作業を再開して。でも子ども達は、また雪姫にお仕事ちょうだいと言わんばかりに、おねだりをしに行く。


「そうそう、ゆっきってこういう子だったよね」


 と黄島さんが漏らした。――とても嬉しそうに。

 見ると、雪姫が俺の横で、何かもの言いた気な。おねだりをしたい、そんな顔をしていた。


「雪姫?」

「……冬君」


 言おうか、言わないか。迷って、やっぱり言わないでおこうと言葉を飲み込んだ、そんな顔をするので。俺は唇から思わず、笑みが溢れる。


「ふゆ君?」

「俺に遠慮しないんじゃなかったっけ?」

「……むぅ。冬君にはお見通しだよね」


 雪姫は小さく息をついた。それから、小さな子が精一杯背伸びをするように。俺の瞳を覗き込む。


「冬君。私はがんばってる?」


 小さな子が背伸びをして。大人の手伝いを一生懸命して。褒められたくて、認められたくて。でも思うように成功できなくて。結局、失敗をしてしまった、そんな子どものように、俺の目には映ってしまう。


 もしかすると――。


 雪姫は、何でもできるお姉さんとして見られてきたんじゃないだろうか。もっと褒められたい、頑張っているところを見て欲しい。そう思っていたんじゃないか、と思う。

 だから、考えるより先に俺の手が雪姫の髪を、この手で梳いていた。


「雪姫はがんばってる。本当にすごいって思ってるし、いつも前向きなところ尊敬してるよ」


 心の底からそう思った言葉を紡ぐ。雪姫はその言葉に照れ臭そうに頬を緩ませながら、コクンと頷く。満面の笑顔を咲かせて。

 だから、俺はもう一度、雪姫の髪を手で梳いた。





「下河って、あんな顔するんだな」


 海崎は目を丸くした。信じられない――そう言いた気で。


「でしょ。冬希兄ちゃんは姉ちゃんマイスターだからね。昔の姉ちゃんじゃ、ちょっと考えられないよね? 今だから言えるけど、姉ちゃんって甘え下手だったからねぇ」


「ゆっきは褒めて――認めて、欲しかったのかもね。やっぱり上にゃんは、ゆっきをとことん甘えさせてあげられる、ゆっきマイスターだね」


 空君も黄島さんの言っている意味が分からないんだけど?


 弟君や幼馴染の呟きを聞きながら、俺は雪姫の髪を梳く。雪姫が気持ちよさそうに目を閉じるのを見て、まるで猫みたいと思いながら。


 別に単純に甘やかしたいと思っているわけじゃない。本当に雪姫は頑張っている。それは心の底から思う。だから雪姫の気持ちも、言葉も、見せる全てを受け入れてあげたい。そう思っていると、雪姫が擦り寄るように俺の腕に――。


「だから、隙を狙ってイチャつくなって!」


 いや、そんなつもりは毛頭なかったんだけれど。またしても空君からお叱りを受けたのだった。





■■■





 無事、公園清掃は終わった。いつもリハビリで歩きに来ている公園が、自分達の手で綺麗になったのは感慨深い。疲労感と相まって、充足感で心のなかがいっぱいになる。


「上川って変わってるよね」


 と言ったのは海崎で。


「普通はさ、町内清掃ってダルいって思うじゃん? 高校生が参加するってなかなか無いと思うけど?」

「一人暮らしだからね。協力金を払いたくなかっただけだよ」


「だとしても、だよ。そこまでビシビシ動くかなぁ、って。たいていの奴らは、ダラダラ時間稼ぎばかりしてるって。もしくはそもそも参加しないか、だよ」

「んー。でも、やるならやっぱりしっかりやりたいじゃん? 中途半端はなんだかイヤだし」


 と言うと、何故か雪姫がニコニコ、破顔した。


「雪姫?」

「なるほどね。上にゃんって、ゆっきと同じ人種なんだね。やるなら徹底的にやりたいし、一番良いカタチで完成させたいと。そう思っているってこと?」


 黄島さんの言葉に俺はコクンと頷く。雪姫はますます笑顔を咲かせていくので、その理由が分からず俺は首を傾げた。


「上川にとっては当たり前かもしれないけど、それをダサいって思うヤツがいて。下河はそれで悩んでいた。そういうことなんだよ」


 海崎の言葉はどこか後悔が滲んでいた。


 海崎の言わんとすることは分かる気がした。力をぬきたい奴、逃げたい奴は少なからずいる。そういう人間は、得てして自分の仲間を作り、より逃げやすい道を作りたがる。それはドコに行ってもかわらない。自分も経験したことだから。

 でも――と思う。


「別に全員と仲良くなれるなんて思ってないし、そんなヤツは放っておいてもいいんじゃない? ただ自分達の邪魔するんだったら、俺は徹底的に排除すると思うけど。それに自分たちで完成させたいのなら、それなりの手段を考えるよ。そんな奴らには最初から頼らない」


「うん、その時は私もがんばる」

「雪姫はもうがんばっているよ。きっと海崎も黄島さんも空君も手伝ってくれると思うから、その時は存分に頼ろう?」


 ニッと笑ってみせる。雪姫は目を見開いて――そして大きく頷いて笑顔を咲かせる。


「はいはい、それぐらいにしてね。最後の大仕事いくからね」


 と空君は子ども会の役員と思わしき、お母さん達と一緒にダンボールを抱えてきた。箱のなかには目一杯入っている駄菓子を見せ、笑んでみせる。途端に子ども達が歓声をあげた。


 駄菓子とはいえ、ご褒美に心を躍らせる子どもたちを微笑ましいと――一瞬でも思った、この時の俺は本当にバカだった。

 すぐに後悔することになる。






「兄ちゃん、競争しよう!」

「肩車してー!」

「鬼ごっこしようぜー!」

「かくれんぼでしょ?」

「野球やろー!」


 もはやムチャクチャだった。主に海崎、空君と三人でもみくちゃにされつつ、次から次へとギャング団の応酬は止まない。一方の雪姫と黄島さんは、女の子達を中心に、ベンチに座って花を咲かせている。よっぽど雪姫と再会できたことが嬉しかったんだろうな、と思わず頬が緩む――と、衝撃を受けて、思わず俺は転んでしまう。

 見れば、保育園児と思わしき女の子がニシシと笑って俺に跨っていた。


「痛っ、イテテ――」

「お兄ちゃん、私を高い高いして~」


 天真爛漫とはこういうことを言うのだろうか。やれやれと砂埃を払いながら、リクエストに応えであげる。俺に抱き上げられて彼女はキャッキャッと笑う。それを見た小さなギャング達が今度は、僕も私も――となるわけで。

 肩で息をしながら、リクエストに応えていくが、もう体力の限界だった。


「これで終了、休憩!」


 俺は胡座あぐらをかいて、座り込む。


「みんなばっかりズルい!」


 馴染んだ声が飛んできて、俺は目をパチクリさせた。本日、何回目かの衝撃が俺の体に直撃をする。膝の上に乗ってきたのは、雪姫だった。


「え、っと……? 雪姫さん?」


 見ると雪姫は頬をふくらませている。


「約束違反」

「え?」


「冬君は私の傍から離れないって言ったのに、私から遠かった」

「いや、あの、でも、この状況下じゃ――」


「息が苦しい。冬君がいないと息ができないのに、冬君は私を放っておいた。他の女の子ばかり構って」

「姉ちゃん。明らかに、今は息苦しくないだろ。それにチビ達にヤキモチ妬くのどうかと思うよ」


 ゲンナリした声で空君は言うけれど、救いの手は差し伸べられない。周りを見れば、海崎は唖然として。黄島さんや、お母さん方、子ども達はワクワクした表情で、この先の展開を待ち望んでいる。


 ――やっぱり救いの手はない。俺は小さくため息をついた。

 と、雪姫が俺の首に手を回す。


「私の気持ちって、やっぱり重い?」


 不安そうな目で俺を見る。でも抑えられないと、その目が訴えている。


「俺はチビちゃん達と遊びながら、ずっと雪姫のことが気になっていたけどね」

「それは知っているけど。でも納得できないし、抑えられない。今の私は冬君の一番じゃない。そんな気がした」

「もうちょっと、こっちにおいで。俺の一番さん」


 俺も雪姫の背中に腕を回す。雪姫は、俺の肩に顎を乗せて、ようやく満足そうに息を漏らした。


「あーあ、あんなに嬉しそうな顔しちゃってね」


 と黄島さんがクスリと笑みを溢す。俺もそう思う。照れ臭くても、気恥ずかしくても、そんな雪姫の表情をもっともっと見たいと思ってしまう。


「空君は、もう突っ込まないの?」


 と海崎が言う。そこで空君を煽らないでくれるかな?


「……もう言うのも疲れた。良いの、姉ちゃんが幸せなら。冬希兄ちゃんに後のことはすべて託すから」


 それを人は丸投げと言うが――まぁ、良いか。むしろこの役割を誰にも譲るつもりはないから。


「あのね、お姉ちゃん。そういう時は思っていても、余裕を見せることも大事よ? むしろお姉ちゃんのことしか考えられないくらい、お兄ちゃんをメロメロにしてあげたらいいんだから」


 女の子の一人がそう言った。えぇ、と……? コメントにとても困るんだけど。女の子はそういう点やはりマセて――男の子より数歩先をいっているということか。しみじみとそう思う。


「メロメロ……にできるかな?」


 雪姫も真面目に返事をしない、と俺は思わず苦笑が漏れてしまう。


「できるできる。一つになって、満たしてあげたらそれだけで良いのよ。私と空兄ちゃんも、そうやって一つになったから」

「空……?」


 雪姫が冷たい視線を弟に送る。


「イヤイヤイヤイヤ、あからさまにおかしいでしょ? 一つになった憶えないし、なるわけないから! 姉ちゃん、冬希兄ちゃんの膝の上からの軽蔑の眼差し送らないで! 微妙にこたえるから本当にヤメて!」

「お兄ちゃん、ひどい! 魔法少女プリティーキューンの約束、忘れたの?! お兄ちゃんと私、『二人はプリキュン』でしょ?!」


 純粋無垢な少女の抗議に、空君は項垂れる。なんというか、空君。本当にご愁傷様。確かにさっき遊んであげていたもんね。

 そんな喧騒を尻目に、俺は雪姫の耳元に唇を寄せる。


「みんなが待っていてくれて良かったね」


 と雪姫も俺の耳元に同じように唇を寄せた。頬に触れるか触れないか、それぐらいの距離で。


「それは嬉しいけれど。それでも、それでも――冬君は私だけの、冬君だもん」

「うん、ソコは何一つブレないよ」


 と雪姫の髪を手で梳く。雪姫を安心させたいだけじゃなかった。こうすることで俺自身も安心することができて。距離が近い。これでもかというくらい近いと自分でも思う。それでも、まだまだ足りないとお互い思っていて。

 俺達は、自分達が思う以上に、どうやら貪欲だったらしい。





■■■





「上川がバイト休みになっても、こんなの見せられたらね。午後、どんなスケジュールで遊びに行く? とか言いにくいよな」


 と海崎。何でこのタイミングでそんなことを呟く?


 見れば、しっかり雪姫には聞こえていたようで。また不満そうな表情を浮かべている。身から出た錆なのは実感するが、それにしても、タイミングが絶妙過ぎて酷い。


「アルバイトがあるって聞いていたから、我慢していたのに――」


 ますます頬をふくらませる雪姫を見ながら。俺はどんな言葉をかけるべきか必死に思案を巡らしていた。

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